本田直之グルメ密談―新時代のシェフたちが語る美食の未来図
食べロググルメ著名人として活躍し、グルメ情報に精通している本田直之さんが注目している「若手シェフ」にインタビューする連載。本田さん自身が店へ赴き、若手シェフの思いや展望を掘り下げていく。連載第3回は軽井沢「Restaurant Naz(レストラン ナズ)」の鈴木夏暉シェフ。オープン半年で世界的なグルメガイドブックに掲載され、全国のグルマンたちがこぞって訪れるレストランを作った若手シェフが描く未来の展望とは?
偶然つかんだ北欧ガストロノミー最高峰への切符
本田:なぜ料理に興味を持って、料理人になろうと思ったかっていうところから話を。
鈴木:昔から料理は身近にありました。祖父が大きい食堂をやっていて、料理が生活の中でかなり近かった。それが一番ですね。ずっと料理を見てきて、いろいろ手伝ったりして。かなり小さい頃から興味がありました。魚のさばき方も祖父に教わって、学校を卒業する頃には大抵の魚は扱えました。
本田:本当に? 誰かに言われてやっていたわけじゃないでしょ。それで料理人になりたいと思ったということ?
鈴木:料理人にはなるべくしてなったと思います。他に何もできないし、興味もなかった。
本田:学校を卒業して、地元のピザ店「ピッツェリア ジンガラ」に入った。それは何で?
鈴木:たまたま家の近くにあったんです。地元で人気のピザ屋さん。親の友人に紹介してもらって、働くことになりました。本当は料理がやりたかったんですけど、スタートはピザ職人。最初はすごく嫌でした。仕込みしながら、厨房を見て、料理、面白そうだなって。
本田:でも、そこからナポリに行っちゃったんだよね。
鈴木:めちゃめちゃハマっちゃったんです。中目黒で「ピッツエリア エ トラットリア ダ イーサ」に行ったら、ピザ職人がめちゃくちゃかっこよくて。これなら本気でピザをやる価値あるって、スイッチが入りました。4年ぐらい無我夢中で働いて、やるなら究めたいと思って、ナポリへ行ったんです。
本田:ビザ修業は何年ぐらい?
鈴木:ナポリを入れて6年ぐらいですかね。ナポリでは「イル ピッツァイオーロ デル プレジデンテ」で働きました。日本のピザ店で1日に焼くのは200〜300枚ぐらいだと思うんですけど、向こうは2,000枚ぐらいを普通に焼く。枚数をこなすことが大切で、それで一枚一枚のクオリティが上がる。そういう面でもすごく勉強になったし、面白かったです。
本田:ピザをやって帰ってきた。
鈴木:本当はピザ店を出したかったんです。でも、帰ってきたらなぜか熱が冷めてしまって。店をやりたいという目標もなくなってしまった。ピザを作るのはすごく楽しいんだけど、仕事として自分がこの先もやっていくのなら、自分の役目はそこにあるのかと考えて、それは違うなと。だったら好きな料理をやりたい。でも、まだいきなり料理の店は出せない。
本田:でも、料理はやりたい。
鈴木:独学で料理を勉強して、ピザではなく東京のバルで働きました。
本田:本当に? イタリアで修業したのに。
鈴木:知り合いの人と一緒にコースを任されて。好きな食材を使って、好きな料理を作っていました。
本田:やりたい料理ができた?
鈴木:日本では料理をガチで勉強したことないんですよ。全部独学です。学ぶっていうか遊びの延長ですけどね。カジュアルなバルだけど、1,000円とか2,000円の料理も出したりしていましたね。それから、そこを辞めて、ちょっとしたコースを出せて、お給料がいい居酒屋に移りました。お金を貯めたかったんです。デンマークに行きたかったから。その頃「noma」の名前を目にすることがよくあったんです。イタリア料理やフランス料理のレストランでは別に勉強したくなかった。情報がありきたりに思えて。
本田:「noma」は紹介で?
鈴木:2軒目の店のお客さんの紹介です。さすがにコネがないと「noma」じゃ働けない。諦めて、他のいろんなレストランにメールを送って、いくつか他の店で働くつもりでした。それが出発する1週間ぐらい前に、居酒屋の時のお客さんが、偶然「noma」のヘッドペーストリーと繋がっているのがわかって。その人の紹介で働くことが決まりました。
本田:そんなことあるんだ。運命だね。
鈴木:ラッキーだなと思って。他のレストランに行かず、スタージュ(研修)として「noma」に行きました。厨房を体験できたのは面白かったですよ。
本田:どれぐらいスタージュしたの?
鈴木:3カ月です。3カ月で代わるんです。僕の後を待っている人たちがいるんで。その後「KADEAU」で4カ月ぐらい働いて、コロナで閉店したので、日本に帰ってきました。