弱冠26歳でオープンした予約が取れないレストラン
本田:日本に帰国した後、店をやろうと思ったの?
鈴木:全然、思ってなかったです。もっとどこかで勉強してみたいなと思っていました。デンマークから、こんなに早く帰るつもりもなかったので。それで、帰国後「INUA」や「カンテサンス」に履歴書を出して。でも、コロナ禍でどこも取ってもらえなかった。それで良かったんですけどね。
本田:じゃ、自分でやっちゃおうみたいな?
鈴木:全然、そんなんでもないです。本当にどうしようかなと思って。ただ日本のレストランで一からやるのは嫌だなと思っていました。そういうのもあって、地元(長野)に帰ってきました。でも、地元では働きたい店がなくて。それで、しばらく草刈りのバイトしてました。
本田:えー。
鈴木:その仕事も3カ月で辞めてしまって。それから、物件を探しだしたんです。地元でちょっとした店をやれば、何とか食べていけるだろうと思って。それぐらいの超簡単な気持ちです。
本田:店をやろうと思ったけど、そんなに準備してなかった?
鈴木:何もしてない。やばかったです、本当に。
本田:資金はどうしたの?
鈴木:借りました。でも、それ以外にもお金を貯めていたんですよ。料理人として経験を積むよりお金を稼ぐ方を優先していたので。経験とお金を稼ぐこと、両方は取れないって昔から思っていました。レストランをオープンしたのは26歳で、それまでに少しお金を貯めていました。どんな店をやるのかはわからないけど、やっぱりお店を自分でやりたいっていう気持ちはあったので。
本田:軽井沢でやろうとは思っていた?
鈴木:軽井沢は、全然物件が見つからなくて。自分たちの車で走り回って探したりしていました。この店は、自分が探し始めたとき、ちょうど建設中の宿泊施設だったんです。軽井沢から離れた山の中に立っている場所だったので、一度話だけでも聞きに行こうくらいの気持ちで行きました。それで、自分たちはこういう店をやろうとしているんだみたいなことを話しました。そのとき、マネージャーに案内してもらったんですが、ほぼやることになったんです。
本田:地の利はあった? この辺のエリア。軽井沢ってさ、結構、エリアごとの違いってあるじゃん。
鈴木:全く地の利はないですね。
本田:そうなんだ。
鈴木:軽井沢の人たちは、この辺ではやりたがらないですね。でも、あんまり、そういうことはよくわかんなかったですね。
本田:物件にほれちゃった?
鈴木:いや。やれるところが限られているんで。内装はちょっと改装しましたが、基本はそのままです。
本田:カウンターも?
鈴木:カウンターもそうです。マネージャーさん、ここでカフェやろうかなと思っていたらしく、それで、君、何がやりたいのっていう話になって。実は料理やっていて、お店を探しているって言ったんです。そうしたら、ここでやればいいじゃんと。でも、向こうも今みたいな店になるとは思ってなかったでしょうね。僕たちも、最初は3,000円ぐらいのランチを出してました。
本田:昼2組、夜1組という営業はずっと?
鈴木:そうです。料理は全部自分で作ってます。ノンアルコールドリンクも。
本田:キッチンはどうなっているの?
鈴木:キッチンは家庭用キッチンです。たぶん中古のプロ用ガス台をドンって置いてるだけです。三つ星店のシェフや和食の料理人とかがレストランに来ますが、キッチン見たら、相当びっくりしますよ。普通の家のキッチンより狭いです。
本田:え、狭いの? 熟成とかどうしてるの?
鈴木:熟成発酵は、調理器具は必要なくて、スペースが必要です。それで、1部屋、そのスペースにしています。
本田:発酵部屋はこの建物の中にあるの?
鈴木:あります。建物自体は30坪ぐらいあって、僕らは客席を含め20坪ぐらいを借りています。こんな状態でやって良かったと本当に思うんですよ。限られているから頭を使ってやる。そうするといいものができますよ。
本田:今、出している料理からすると、そういう考えの方がいいかもしれない。
鈴木:ただ、食材を乾燥させる機械は置いています。色を飛ばさないように乾燥できる機械。うちの料理には絶対必要なんです。だから機械、三つあります。乾燥させる技術は「noma」で学んだ技術なんですけど、いろいろな食材を乾燥させて、味を染み込ませています。過程は多いですが、やっていることはそんな難しいことじゃない。