本田直之グルメ密談―新時代のシェフたちが語る美食の未来図

食べロググルメ著名人として活躍し、グルメ情報に精通している本田直之さんが注目している「若手シェフ」にインタビューする新連載。本田さん自身が店へ赴き、若手シェフの思いや展望を掘り下げていく。連載第2回は京都「middle(ミドル)」の藤尾康浩シェフ。フランスの有名店を皮切りに数々の名店で腕を磨き、世界的なコンクールにも優勝した若手シェフが描く未来の展望とは?

遅咲きの花を咲かせた日仏の名店での修業の日々

左:藤尾康浩シェフ 右:本田直之さん

本田:若手シェフにフォーカスして、話を聞いていく連載。今回は「middle」藤尾康浩シェフ。まず、どうしてシェフになろうと思ったかっていうところから。

藤尾:高校1年生でイギリスに留学して、ずっとビジネスの道へ進もうと考えていました。イギリスからパリの大学に移って、両親と一緒に住んでいたとき、僕が、毎日、ごはんを作ることが習慣になって。そこで、喜んでもらったっていうのが大きいですね。それから料理好きになって、カフェでアルバイトしながら、学校へ行くという生活を続けていました。一番大きな転機は、夏休みに佐藤伸一シェフの「Passage53(パッサージュ53)」で研修させてもらったことです。

本田:料理学校とかに通っていないのに、いきなり「パッサージュ」?

藤尾:お願いして、3カ月だけなら大丈夫ですっていうことで働きました。そこで初めて本当のプロの世界に触れて、感銘を受けました。

本田:おもしろいと思っちゃったんだ。厳しいと思わなかった?

藤尾:めちゃくちゃ厳しかったです。けど、そういうことを体験したことなかったので、逆にそれが面白いなと思って。

本田:プロの料理人でもあそこはなかなか厳しいよ。そのとき、いろいろやらせてもらえたの?

藤尾:いや、さすがに「パッサージュ」では。盛り付けをちょっと手伝わせてもらうぐらいです。

本田:それで料理にはまった。大学卒業して、経営じゃなくて料理に行こうと思ったのはやっぱり楽しかったから?

藤尾:経営に進んでも何をしたらいいのか、どこで働きたいかイメージがわかなかったんです。料理が楽しい、だから料理を仕事にしたい。そんな感じでした。「世界のベストレストラン50」に入っているヨーロッパのレストラン、20軒ぐらいにメールを送ったんです。返事があったのが南仏の「Mirazur(ミラジュール)」とストックホルムの「Frantzén(フランツェン)」でした。「フランツェン」に2カ月行ってから「ミラジュール」に行きました。

本田:「ミラジュール」、行って良かったよね。

藤尾:めちゃくちゃ良かったです。本当は、無給の研修みたいな感じで来てくださいって言われていたんですけど、いざ行ってみたら、魚部門をやってもらいたいと。

本田:マジで? 魚、得意だったの?

藤尾:いや日本人っていうだけなんです。日本人が来るから、魚は任せるみたいにいきなりなって。こっちは半年ぐらい、しかも研修でしかやったことないのに。結局、スペイン人と2人で魚部門を担当したんですけど、席数が50席もあって、毎日、ヒイヒイ言いながらやっていました。

本田:プロとしての料理人の経験がそんなに長くなかったのに、いきなり「ミラジュール」で魚担当になる。すごいよね。だって、皆、16歳ぐらいのときから、少しずつ経験を積んでいくわけだから。料理が得意だったの?

藤尾:いや、全然、得意じゃないです。毎日、失敗ばかりで怒られていました。それでも本当に粘り強くやりました。

本田:いろいろシェフインタビューしてきたけど、大学を卒業してからプロとしてスタートっていうのは、あまり聞いたことがないね。選んだ方向性も正しかった。

藤尾:結果なんですけど、いい店ばかり行かせてもらいました。そこでスーシェフされていた神崎千帆さんが、料理人としてやっていくのであれば、きちんとした技術を学ぶために日本に帰った方がいいとアドバイスしてくれて。フランスには先代の日本人シェフの方々が築き上げた日本人ブランドがあるじゃないですか。それを崩してはダメだと。確かにそうだなと思って、日本に帰国して、2012年12月に「La Cime(ラ シーム)」に入りました。

本田:「ラ シーム」に入ったのは何でだったの?

藤尾:当時、高田シェフがブログをされていたんですけど、それをいつも見ていて、すごくかっこいい料理だなと思って。日本に帰るならそこで働きたいなと思っていました。

本田:「ラ シーム」はどのくらいいたの?

藤尾:「ラ シーム」は7年ぐらいですかね。2012年末から2019年まで。

本田:仕事のやり方とか変わった?

藤尾:それはもう。言ってみれば、「ラ シーム」に入ったときは、まだ、技術的には素人みたいなもんだったので。

本田:トップの店で働いてきても、まだまだ自分の中ではプロになってないって感じだったの?

藤尾:まだまだ、全然でした。「ラ シーム」でゼロから料理人として作り上げてもらいました。高田シェフが求めてくるスキルは本当に高いレベルで。料理自体のレベルもそうですが、例えば、物をちゃんと置くとか、ラップをちゃんとするとか。そういうところから日本は求められていますよね。

本田:海外はクリエイティビティを求めるよね。でも、細かいところを見ると、結構、適当だったりする。

藤尾:「ラ シーム」に入ったばかりのときは僕の上に2人いて、すぐ1人辞めて、その後、年上で経験ある方が入ってきて、メインを務めていたんですけど、その方も2、3年目で辞めてしまって。結局、上に誰もいない状態になって、まだ3年目でしたが、やらざるを得なくて、そこからは必死でした。高田シェフから料理の基礎だけではなく、料理人としての覚悟、料理の自由な発想やデザイン、また世界へ挑戦することの意義など、さまざまなことを学ばせていただいたと思います。

本田:勉強はどうしたの?

藤尾:シェフの仕事を見るだけです。

本田:パリのときはどうやって料理を勉強したの?

藤尾:そのときは、英語やフランス語の本を読んでました。あんまり勉強は好きじゃないんですけど、料理はやっぱり好きでしたから、勉強という感覚ではなかったですね。「ラ シーム」ではシェフの料理を作りたかったので、シェフのことばかり見ていました。シェフが何かをやるとして、やっとけって言われたときにできないといけない。そういうマインドでしたね。