奇跡のようなつながりから生まれたレストラン
本田:学びながら、将来、自分でも店をやろうって最初から思ってた?
藤尾:いや、全く。
本田:思ってなかった?
藤尾:思ってなかったですね。それこそ5、6年ぐらいは、ただ無我夢中で駆け抜けました。ふと我に返って、どうしようってなって。店は絶対持たないと思っていたんです。同じところにいるのは性に合わないので、海外も含めて、いろんなところを行き来して、ケータリングのような形で料理ができたらいいなぐらいに考えていました。
本田:「ラ シーム」をやめて「木山」でも働いて。
藤尾:あのときも、まだ、店を持つことは考えていませんでした。
本田:何でそれが変わったわけ?
藤尾:「木山」で研修させていただいていたとき、京都が好きになって。当時、知り合った妻が京都出身というのもあって、京都に住みたいって思うようになったんです。でも、店をやりたいなって思い始めるようになったのは、今の店の物件と出会ってからですね。当時はイタリア領事の方が住んでいたんですが、領事が退居された後、レストランができるように設計にされていました。
本田:借りてるの? 家賃めっちゃ高くない?
藤尾:本来の家賃だったら、もうやっていけないぐらい高いです。オーナーの方に直接、お会いして、こういう思いでやっていきたいと伝えて。だったら、しばらくは抑えた値段で借りていいと。内装も手を入れる必要がなくて、初期費用がほとんどかからずに済みました。
本田:よく見つけたね、こんなとこ。
藤尾:「木山」と同じ設計なんです。
本田:「木山」で研修するのもなかなか良いチョイスだったよね。
藤尾:それも本当に偶然で。「ラ シーム」でお世話になっていた八百屋さんに京都で働きたいと言ったら、木山さん(「木山」オーナーシェフ)を紹介してもらいました。
本田:そこで和食に入ったのが良かったでしょ。
藤尾:和食で研修したことがすごく良かったし、京都に来たこと、「木山」だったこと、全てが自分の中で奇跡みたいなんです。
本田:毎回、奇跡がつながっている。今、振り返ると、とんでもないセレクトをずっとやってきている。「パッサージュ」はすごかったけど、当時はまだ二つ星になってないし、「ミラジュール」も「ラ シーム」もまだだったよね。「木山」も昔は予約が取りやすかった。すごいね。先物買い。見る目があるよね。
藤尾:いや、僕が選んだんじゃないんで。たまたまメールを送ったら、返していただいたぐらいの感じです。
本田:やっぱりトップの店で経験したことは大事でしょ。
藤尾:確かに。トップを見ているのと見てないのとでは違います。
本田:トップが普通の基準になっていると、料理人としての目線が違うじゃん。俺もいろんなシェフ見ているけど、決定的な違いは仕事を作業と考えるかどうかだと思う。例えば、大根を切るにしてもさ、毎日の作業になっちゃうと何もなく終わるけど、ちょっと切り方を変えてみようとか、今日はこういう違いがあるんだなと思ってやると、伸びが全然違う。高い目線で仕事して、しかもそれが楽しいわけでしょ。大学卒業してから始めたのもよかったよね。
藤尾:若い頃からでなくて。
本田:ベースに違う能力があるから、視点もちょっと違う気がする。違う視点を持っている人は成長の度合いも違う。上司のシェフたちがその人を見る視線も違うと思うんだよね。だから、ちょっとやらせてみようかってなるじゃん。そういうチャンスをもらって、それを生かさないと。野球選手と一緒だよ。戦力外通告されたら、もう終わっちゃう。
藤尾:びっくりするのは、チャンスをあげるよって言われて、バッターボックスに立っても何も触れないみたいな人が結構いることです。思い切りスイングして空振り三振すればいいのに。何でかなと思ってしまいますね。
本田:今までの話を聞いていると、康浩は新庄みたいなタイプかもね。大丈夫かって感じだけど、いきなりホームラン打っちゃうみたいな。
藤尾:牽制球も打つ。
本田:そう、そして、それをホームランにしちゃう。