【僕はこんな店で食べてきた】

ブイヤベース・クロニクル1980’S-2018

ブイヤベースとの出会い

1980年代に一番通った店は前回記したように青山のスペインバル「ポコ・ア・ポコ」だったが、当時一番気になっていた料理は何かと考えると、実はブイヤベースだった。

そのころの僕はまったくの料理初心者で、先人の食随筆で耳学問はそれなりに齧っていたが、実践が伴っていなかった。だから、この世界に入って驚いたことは、出来上がった料理になにかを加えると、味がまったく変わるという事実を知ったことだった。

たとえばクスクスやカジョス(スペインの牛もつ煮こみ)にアリッサソースを入れたときの変化、赤ワインを空気に触れさせていると30分で味がまったく変わること、同じ牛の胃袋(ハチノス)でもトマト煮とシードル煮では味わいが変わることなど、驚きはたくさんあったが、その最たるものがブイヤベースだったのだ。

 

最初に食べたのはたぶん、前回記した銀座の「ドデュ・ダーンド」だったと思う。それがブイヤベースなのか、フュメ・ド・ポアソン(魚のスープ)なのかは忘れたが、魚の匂いとハーブの香りがする野性味のあるスープに、ルイユ(カイエンヌペッパー入りにんにくマヨネーズ)を入れたら、甘みがひろがり、魚の旨みが立ち上がってきたのだ。
調べてみるとブイヤベースの本場はフランスのマルセイユ。せっかくならマルセイユを訪れ、海岸沿いのフランス料理店でブイヤベースを食べようと企んだ。
当時はネットはなかったから旅行ガイドで研究。店も決めて、格安チケットと夜行列車で喜び勇んで訪れたのだが、結果は失望しかなかった。本場のブイヤベースは、スープには鱗がたくさん浮いていて、生臭さが前面に出て、ルイユを入れてもちっとも美味しくならなかったのである。

 

あまりにも残念だったので、東京に戻ってから周囲にそのことを吹聴していたら、年長の友人たちが「ブイヤベースみたいな料理は日本人のほうが丁寧に作るから、東京で食べたほうが美味しいよ」と、さまざまな店を挙げてくれた。

理想の味を求めて

そのひとつが六本木にある「わかば」、アート業界のプレスをしているお姉さまが連れて行ってくれた。彼女が「ここの和風ブイヤベースが美味しいの」と言った料理は「タラバガニのクリームソース」で生クリームのソースだから、ブイヤベースとは違ったものだったが、蒸しパンをつけて掬ったソースは濃厚で、あっという間になくなった。

「わかば」名物の腸詰 出典:タマちゃん.さん
「わかば」の蟹のクリームソース 出典:タマちゃん.さん

わかばは台湾風の腸詰が名物で、だれもがビールと一緒に、まずは腸詰を頼むのが習わしだった。当時の「業界人」が集う、20代の若者にはかなり背伸びをする必要のある店だったが、それなりのお値段は取るものの、特定のジャンルにこだわらず「旨いもの」を出す高級居酒屋の存在を知ったのはここが最初だった。そのころは初代が料理長だったが、いまは息子3人が厨房に入り、店は健在だ。

 

フランス風のブイヤベースならここ、といって紹介されたのは道玄坂上にあった「京」だった。大手町「エヴァンタイユ」(参考1)の支店で、本店はフランス料理界の重鎮、扇谷正太郎が経営し、クラシックなフランス料理を出す店として有名だったが、そこに訪れたことはなかった。
京はエヴァンタイユのカジュアル版で、ブイヤベースはオーソドックスでたしかにうまかったが、僕には洗練されすぎたイメージ。何度も訪れるまでにはいかなかった。

参考1:『東京いい店うまい店85~86』(文藝春秋刊)より

そのほかにも「ここがいい」と聞いた店は、だいたい訪れた。
現・五反田「ヌキテパ」の主人、田辺年男さんが独立して最初に出した恵比寿「あ・た・ごおる」(参考2)も魚のスープで有名だった。ここは魚の味が前面に出ていて、これはこれで美味しいのだが、僕の考えているブイヤベースとは違っていた。当時、ブイヤベースといえば「東京會舘プルニエ」といわれていたが、こちらは京をさらに洗練させた味で、これまただいぶ違う。

参考2:『東京いい店うまい店91~92』(文藝春秋刊)より

そんな中で、僕の描いたブイヤベースにぴったりと寄り添ってくれたのは飯倉片町にあった「レストラン・ド・プロヴァンス ミレイユ」だった。
ギンガムチェックの布のかかったテーブルが目を引くいかにも南仏風の内装で、メニューも店名どおり、プロヴァンス料理ばかり。スープ・ド・ポアッソンもブイヤベースもメニューにあったが、僕はニース風や子羊のローストを使った具だくさんのサラダを前菜に選び、ブイヤベースを主菜にすることが多かった。
シェフの茂木さんが作るスープはハーブやパスティスの香りたっぷりだったが、そこにルイユを入れるとあら不思議、うまみが前面に出てくる。これこそ僕があこがれたブイヤベースだった。

参考3:『東京いい店うまい店85~86』(文藝春秋刊)より

ミレイユはフランス料理店にしては値段もカジュアルだったので、当時のガールフレンドともよく一緒に行った。「夏の南仏料理にはロゼが一番」などと、どこかの受け売りをいいながら、ロゼを一本あけたことも思い出すが、今では赤面ものだ。
ミレイユはその後、飯倉片町から日暮里に移ったが、いまはない。ミレイユで修業したシェフには、いま荻窪で「ポワン ドゥ デパー」というカウンターフレンチをやっている薗部明宏さんがいる。薗部さんはミレイユに3年半いたのちに渡仏。帰国してから阿佐ヶ谷に同名の店を開き、六本木、赤羽を経て昨年、荻窪に移った。僕はまだ訪れていないが、3月中旬まで「あんこうのブイヤベース」フェアを行っているらしい。もしかしたら、ミレイユの味の片鱗が味わえるかもしれない。

「ポワン ドゥ デパー」のブイヤベース 出典:きゅいそんさん

世田谷にあった「しらとり」の白鳥恒夫シェフの名物料理もブイヤベースだった。六本木の支店「ロワゾー・ブルー」でも味わえ、そちらのほうにずいぶん通った。しらとりもロワゾー・ブルーもいまはないが、白鳥シェフは昨年春まで岩手県久慈市のビストロ「くんのこ」のグランシェフを務め、青森県八戸市で毎年行われる「八戸ブイヤベースフェスタ」にも参加していたという。

ブイヤベースはフランスの料理だが、イタリア料理の老舗、飯倉「キャンティ」では金曜日にだけ、隠れメニューとして「ブイヤベース」を出す。ルイユはなかった記憶があるから僕の思うそれとは違うが、いかにもキャンティらしいかっこいい料理だ。

2018年にブイヤベースを食べるなら

アタのブイヤベース(出典:やっぱりモツが好きさん

カジュアルに食すなら、いまは渋谷の「アタ」のカウンターがいい。ブイヤベースは開店当時からの名物メニューで、食べ終わったらリゾットにしてくれる。

トレフ・ミヤモトのブイヤベース(出典:anima80さん

だが、いま僕の一番のブイヤベースは六本木「トレフ・ミヤモト」だ。宮本シェフは同年代だからブイヤベースのような古典的な料理に郷愁がある世代だろう。
真夏の思い切り暑い時期に毎年、ブイヤベースフェアを開催しているが、白身魚やオマール海老、ムール貝などを個別に最適な時間で火を入れ、最後にスープと合わせる。
そのスープも、皿に入れる魚とは別に、大量の魚やカニ、海老を使い、大きな寸胴鍋で作っても、出来るのはわずかボールに2杯弱だという。マダムのブログによると、
<この時、厨房の機材一式(ガスコンロ、プラック、サラマンダー、グリヤード、オーブン等など)全てに火がつくのですが、その時の厨房の温度と言ったら(汗)。ブイヤベースが出来上がる時はシェフも茹でダコみたいに仕上がって真っ赤になっています>
日本人らしい丁寧な調理で、きっとこれがかつて僕が憧れた「南仏のブイヤベース」だろうと思わせる味だ。
この数年、最先端のフランス料理は飛躍的に進歩しているが、こういう伝統的な味をひさしぶりに食べると、歴史をふりかえることも大切だとあらためて思う。

 

今回の話に登場する店

・わかば
・ポワン ドゥ デパー
 ・キャンティ 飯倉本店
・アタ
・トレフ・ミヤモト