僕はこんな店で食べてきた
出版界きってのグルメでもあり、「日本ガストロノミー協会」「軽井沢男子美食倶楽部」の会長でもある柏原光太郎さん。編集者としての仕事をきっかけに、どんどん食の世界に傾倒していったという柏原さんの“食歴”はそのまま日本の外食カルチャーの変遷に当てはまる。本連載ではリアルタイムで美食体験を重ねてきた人だからこそ知る、“深遠なる食の世界”をひもといてもらう。
このストーリーを読めば、次の予約がさらに楽しみになることは間違いない。
第3回 はじまりはスペインだった(後編)
第2回の前編で、食への興味を一気に強めた若き日の柏原さん。その後は…?
「食」の勉強はじまる
その日以来、Hさんには懇意にしていただき、いろいろな店に連れて行ってもらった。
当時はほとんどなかった貸切を赤坂の天ぷら「楽亭」(閉店)でやったり、初代主人がもうすぐ引退するからその前にいくべきだといわれ、一緒に京都の割烹「千花」に出かけ、二軒目は明治末期に創業した祇園町の会員制カウンターバー「元禄」に連れて行っていただいた。
香港が大好きだったカメラマンのKさんとともに現地集合、解散で香港ツアーに出かけ、はじめて九龍半島の「福臨門魚翅海鮮酒家」に行ったのもなつかしい。
週のうち半分はHさんと話し、そのほとんどが食の話題だったから、ある日彼から「そんなに食い物を勉強したいならランチでいいから、できるだけうちの店に来なさい」と誘われた。
彼の店ドデュ・ダーンドは、渋谷にあった伝説のフレンチ「シェ・ジャニー」が岩手・安比高原に移転したときにスーシェフをもらって開店したフランス料理屋だった。
シェ・ジャニーは南仏料理を中心にしたフランス郷土料理の店で、ドデュ・ダーンドも同じようなラインアップだった。タルタルステーキやムサカ、子羊のナヴァラン、クスクスなどフランスのビストロの味を華やかにしたメニューが並び、僕の席は常にHさんが目の前に陣取るカウンターで、メニューもすでに決まっていた。
「この季節は羊の味がよくなるから、メインは子羊の網焼きにした。前菜には昨日作った牡蠣のポタージュがいいと思う。ワインはどうする?」
といった具合で、彼のレッスンを受けていると、自然と四季のフランスの味が理解できるという仕組みだった。
カウンターという学び場
彼の店に通いながら、カウンターの楽しさにも目覚めた。ポコ・ア・ポコもそうだが、カウンターならひとりでいっても主人と会話ができ、学ぶことができる。そこで都内のカウンターのある料理屋を片っ端から開拓したのだが、ある時期一番通ったのは、白金にあった洋食「ヴェル・プレ」という店だった。
もともと白馬にあった店で夫婦で東京に移転。鉄板カウンターを駆使し、ハンバーグが食べたいといえば、目の前で牛肉を叩き、ベーコンを巻き、鉄板でじっくり焼くといった具合だった。そしてハウスワインはスペイン産。ここもまたメディア業界人の溜まり場だった。
いまはもう、ドデュ・ダーンドもヴェル・プレもない。現在Hさんは埼玉に住み、自宅近くで小さなカフェを経営している。ヴェル・プレも一時、名前を変えて池袋でやっていたが、ご主人は引退。息子さんが軽井沢で昨年まで「オー・デパール」というワインバーのシェフをしていたが、その後、店の経営が変わってからはそこにいないようだ。
ポコ・ア・ポコができた当時、本格的なスペイン料理店は、赤坂「ロス・プラトス」を始めとして数軒しかなかった。が、10年ほど前に空前の「バル」ブームが訪れて以来、日本全国にスペインバルが出来た。
ポコ・ア・ポコの西野さんは「本物のバルではパエリャなんて出さないんだ」と頑なにパエリャを作ることはせず、それでかなりの客を失ったと思うが(笑)、同じくらい頑固に食を愛する常連を作っていった。
初期の頃の常連は僕以外、ほとんど来なくなったが、テレビ局や外資系投資銀行の客が西野さんの生ハム、トルティージャ、カジョス(牛ハチノスのマドリッド風煮込み)、ピキージョ(赤ピーマンの詰め物)、タコのガリシア風などの定番料理を楽しそうに食べ、西野夫妻も年に1度はスペインを訪れ、最新の食事情を身に着け、料理に反映していった。 が、西野夫妻の体力の問題でポコアポコは2014年に閉店。ポコアポコで使っていた食器と調理器具はいま、田原町にある「AMETS」というスペインバルに移っている。
頑固さも受け継いだスペインバル
AMETSの服部公一シェフも西野さん同様、頑固一途な料理人だ。最新のスペイン料理を学ぼうとスペインに修業に出かけたが、「本当のスペイン料理は地方にある」と自覚し、結局6年間にわたり、スペインの地方レストランを回った。だからここは「有頭海老のアヒージョ」や「仔豚の丸焼き」など手のかかる料理がうまい。
開店当初から「パエリャで儲けたくないんですよ」といって、冬になると土鍋で丸の鳩と米を一緒に煮込んだ「鳩ごはん」
そんな頑固さが西野さんと似ていて、きっと皿と一緒にレシピも禅譲されたのだろう。たまに田原町に行くと、ポコアポコのなつかしい料理が、なつかしい皿にのって出される。そんなとき、僕は西野夫妻の笑顔を思い出す。
★今回の話に登場した店
・千花
あわせて読みたい