〈広島の麺料理〉
コロナ禍の前は年間90万人の来場者が訪れていた、広島県を代表する人気施設「大和ミュージアム」。そこから徒歩圏内に屋台が軒を連ねる場所があるというのは、それほど知られていないのかもしれない。今回は、広島で数々のグルメ番組を手がけてきたディレクターが呉屋台の老舗を紹介。呉屋台の楽しみ方をレポートする!
教えてくれたのは
日帰りじゃもったいない! 呉が見せる夜の顔
私が幼い頃「呉」という地名は、メディアなどで難読地名として紹介されていたと記憶している。たしかに普通に読めば「ゴ」と読んでしまうところだが、おそらく現在では全国で多くの方々が「クレ」と認識しているのではないかと思う。
それは大和ミュージアムの効果だったり、映画のロケ地となった効果だったり、行政の広報活動の効果だったりするのだが、私はさらに“呉に屋台文化があること”を多くの人に知ってほしいと思う。そう、呉の街は日帰りではもったいないのだ!
蔵本通りにともるちょうちん。青いのれんの「富士さん」へ
呉市では蔵本通りでの屋台営業が許可されており、現在の登録店舗は10軒。行政のバックアップで電気や上下水道が整備されているのは全国でも珍しいのだという。コロナ禍の影響もあり、常にすべてがオープンしているわけではないが、大概どこかの店の灯りがともっているので、屋台デビューをしてみたいならピッタリのエリアなのである。
昭和49年創業の屋台「富士さん」は、呉屋台の中でも屈指の歴史を持つ老舗。先代から通い続けるファンも多いが、初めて立ち寄る旅行客でも入りやすい雰囲気に満ちている。爽やかな印象を与えるのれんの水色は、呉のマスコットキャラクター「呉氏」のようでもあり、瀬戸内海に面した港町の涼やかさを感じさせてくれる。
屋台といえども、店構えは立派なものだ。屋根があり、周囲もしっかりと囲われている。たとえ冬の寒い時期でも、屋台に一歩踏み込めば不思議なことに暖かいのである。
席数はと言えば、およそ8人の客がL字形に肩を並べてほぼいっぱい。見ず知らずの客ともすぐに仲良くなり、気付けば“みな兄弟”なんていう魔法がここにはあるのだ。
屋台というとラーメンやおでんのイメージが強いかもしれないが、この店の屋台には中央に鉄板がある。鉄板を組み込むと屋台の重量がかなり増すらしいのだが、これは昭和49年の創業時から変わらないスタイル。屋台の寿命は長くて20年くらいとのことで、現在の屋台は3台目だという。この鉄板から生み出す名物メニューもあるのだが、まずは定番から紹介していこうと思う。
屋台越しに魅了する! 鮮やかな手さばきに惚れ惚れする
「富士さん」という店名は、もともと先代のお母さん「山内富士子さん」から名付けたもの。その後、今から約30年前に息子の一寛さんが手伝い始め、店を引き継いで現在まで続いている。そんな脈々と続く歴史の中で創業時からずっと常連客に愛されているのが、中華そばなのである。
使用する麺は昔と変わらず、地元・呉市本通の丸米(マルヨネ)食品のもの。古くから呉で中華そばを提供する店の多くは、この店の麺を使用してきたそう。やはりラーメンの核となるのは麺とスープであり、麺の部分で常連の期待を裏切らない普遍性を保っているのは流石と言える。
「昔ながらの呉のラーメンには2種類あるんです。ひとつは、鶏ガラ醤油をベースにした澄んだスープのもの。もうひとつは、いわゆる広島の醤油豚骨です。うちは昔から醤油豚骨でやっているんです」と山内さんは語る。
この店の名物的な光景なのが、湯切りの場面。一般的な深めの「テボザル」ではなく、「平ザル」を使用する。ゆでている最中、麺が鍋の中を自由に泳ぐ上に、湯切りがしやすいために滑りの少ないキレのある中華そばに仕上がるのだ。
鮮やかな手さばきを褒めるとご主人は「もともと剣道をやっていましたからね、棒を振るのは得意なんです」とのこと。聞けば剣道2段の腕前なんだそう。「昔は面で、今は麺ですね。メンつながり!」そんな話で笑っていると、あっという間に中華そばが完成した。