うなぎのまつ嘉
「昼食のおすすめを教えてください」
松本に詳しい方に聞くと「そりゃあ『まつ嘉』でしょう」と言う。
近隣では人気のうなぎ屋らしい。
「ただし注意点があります。開店時間に合わせて行ってはいけません」
「じゃあ少し早くいきます」
「それではダメです。できるなら1時間近く前に行くこと」
そう厳命されたのであった。
理由は教えてくれない。
翌日、念には念を入れて、開店の1時間以上前、10時15分に行ったが誰もいない。
不安になった。
おそらくすでに数人が並んでいるか、整理券を配っているのかと想像していたのだが、誰もいない。
店は堂々たる松の木を備えた、木造一軒家である。
中に誰かいるのか、音がするかと目と耳を凝らしていると、煙が漏れていて、うなぎの香りがする。だがそれでも不安になって、電話した。
「はい今日はやってますよ、前の椅子に座ってお待ちくださいね」と、電話口に出たおばさんが、のんきに答えた。
やがて1人2人とお客さんが集まって来る。
10時半すぎに、おばさんが出てきて注文を取りはじめた。
常連客らしい夫婦連れに、おばさんが言う。
「今日は仕入れが少なかったから、早く来てくれてよかったわ」
おお、そういうことか。
10時45分、正式開店時間の45分前に引き戸がガラガラと開いた。
「中へどうぞ」と、おばさんに案内された。
まだ開店時間には早いが、瞬く間に2階席までほぼ埋まった。
店は入れ込み式の座敷で、一番客の僕は窓側の席に座って、うなぎを待つ。
やがてビールが運ばれてきた。
すでに「うな丼」と「肝焼き」に「お新香」を頼んであるので、完璧である。
隣にやや遅れてきた客が座った。
うな丼と肝焼きを頼むと「はい肝焼きね、あるかどうか聞いてきます」とおばさんが言う。
先に頼んだ僕の肝焼きは大丈夫か。
「お新香お待たせしましたあ」
お新香が800円とは高いなあと思っていたが、かなりの大盛りである。
やがて肝焼きが無事運ばれた。
隣の客にも運ばれた。
小丼に、どっさりと入っているではないか。
量を見て、これはビールでは間に合わないと、燗酒を頼む。
数えてみれば8匹分あった。
カリカリに焼かれた肝焼きに、山椒を振り、燗酒をいく。
胃袋と腸を分けて、それぞれの味を楽しむのもよい。
そして「うな前」を楽しみながら、待つこと50分。「うな丼」が運ばれた。
割き、地焼き、蒸し、蒲焼きという仕事が行われる関係上、うなぎは待つこともごちそうである。
蓋を開けると、1匹のうなぎが重なっている。
珍しいタイプである。
皮までとろりと蒸し焼き上げたうなぎで、逆に腹側はカリッと焼かれている。
これもまた珍しい。
背と腹の、食感の対比がいい。
甘辛タレも、甘すぎずキレがある。
肝吸いもうなぎの味を邪魔しないように淡く、お新香には、蒲焼きにはベストマッチングな奈良漬が添えられている点も正当である。
ご飯がやや軟らかめである。
このうなぎは、ご飯に山椒を少しかけて、ちぎったうなぎをのせて、握り寿司のようにご飯とともに、ご飯を舌側にして一緒に食べるのが一番おいしい。
11時40分。満腹、幸せに満ちて店を出る。
11時30分からが、正式開店の時間である。
しかし店の前の立て看板には「ごめんなさい、売り切れました」と書かれた紙が貼られていた。
そうここは10時30分から1時間だけ店を開くうなぎ屋なのである。
※価格は税込