〈秘密の自腹寿司〉

高級寿司の価格は3~5万円が当たり前になり、以前にも増してハードルの高いものに。一方で、最近は高級店のカジュアルラインの立ち食い寿司が人気だったり、昔からの町寿司が見直され始めたりしている。本企画では、食通が行きつけにしている町寿司や普段使いしている立ち食い寿司など、カジュアルな寿司店を紹介してもらう。

教えてくれる人

武智新平
1970年生まれ。食雑誌をメインにフリーの編集&ライターとして活動中。食事では寿司、そば、カレー、洋食全般など、お酒は特に日本酒が好きで、仕事でもそれらを担当することが多い。一見でも心地よく、かつリーズナブルに楽しめる店を中心に紹介していきたい。

住所いらずで郵便物が届いた、古くから愛される名店

浅草寺から歩いて1分。銀座線浅草駅7番出口からも徒歩3分という距離にある。かつては大きな暖簾のかかる木造建築であったが、今は近代的なビルの1階になっている

店の近くにある浅草寺本堂の南東にある小高い丘。弁財天を祀る弁天堂があることから、この丘は弁天山と言われ、そこから店のある地域もかつては「弁天山」と呼ばれていたのだとか。また創業された慶応2(1866)年、店名は「都寿司」だったが、店の創業50周年を記念して、俳人久保田万太郎と同級生であった3代目の主人が読んだ句「みどりこき やなぎことぶく ことしかな」から、み=美、や=家、こ=古と漢字を当て「美家古寿司」と店名を改めることになったそうだ。「昔は『弁天山 美家古寿司』って書くだけで、郵便物が届いてたんだよ」と5代目店主・内田正さんは笑う。歴史ある店だからこそのエピソードだ。

カウンター6席の奥にテーブル席もある、こぢんまりとした店内。ひとりでも知人たちと連れ立ってでも、どちらでも立ち寄りやすいのがうれしい
 

武智さん

店名からすでに歴史を感じさせる寿司店は都内でもここだけなのでは? それゆえに江戸時代から受け継がれてきた仕事(煮る、〆る、漬けるなど)のなされた握りへの期待も高まってしまいます。また店内に飾られた絵も、暖簾に描かれた絵もすべて、こちらのファンである俳優の中尾彬氏の手によるもの。独特のタッチにしばし見惚れてしまいます。

文明の進化とともにできることも多くなった

今年で80歳を迎える5代目店主の内田 正さんが店に入ったのは15歳の時。65年近く寿司を握ってきた。技術革新や流通がよくなったことで、仕入れる魚介や米の品質も上昇。加えて調理道具の革新にも立ち会うことに。思い出深いのはガス釜の登場だ。「薪窯で米を炊くのは火加減の調節とか大変だったんだよ。3代目の頃は、寿司を握らないでシャリを炊くだけのシャリ炊きのカネさんという人がいたくらいだから。そこにガス釜の登場でしょ。シャリ作りが一気に楽になったのには驚かされたねえ」

5代目店主・内田正さん。「いつ引退してもいいんだけどさぁ」と笑うも、毎日元気に握り続ける80歳! 6代目は「寿司が大好きなんです!」と笑う山下大輔さん(50歳)


また冷蔵庫の進化、普及も寿司を大きく変えたそうだ。「それまでは〆る、漬ける、煮るなんて手間を加えることでおいしさだけじゃなく、保存ができることも目指していた訳でしょ。それが、冷蔵庫が出てきたことで生でも保存ができるようになって、やがて生のネタを握る寿司屋がどんどん増えていった」。内田さんは生のネタを握る寿司を生寿司、仕事をしたネタでのものを寿司と呼び分ける。伝統を受け継いできたからこその、矜持の表れだ。

この日のケースに並んだネタは16種類。マグロは湯引きしたあとヅケに、平目は昆布締め、鯛は湯引き、鰹は炙ってあり、鮑は蒸すなどなど、手を加えず生のままで握るのはシマアジのみ

「江戸時代は冷蔵庫もなく、流通も悪く、生で食べてもらうのは難しかった。そこで保存ができるように、おいしくなるようにとひと手間加えて楽しんでもらうものが寿司でした」。内田さんは煮る、〆る、ヅケにするといった江戸前の仕事を今も大切に守った寿司にこだわり続けている。とはいえ、その手法に固執しているわけではない。例えばシャリ。昔から新潟県黒崎町(現在は新潟市西区の一部)のコシヒカリで、粘りの少ない古米を使っている。「お米は随分とおいしくなりました。でも合わせる寿司酢は敢えて昔のまま。酢のバランスを変えるより、そのままの方がお米のおいしさが引き立つと思ってるんです」。何よりも大切なのは、常においしい寿司を楽しんでもらうこと。江戸前の仕事にこだわるのはそのための手段に過ぎない。

江戸前を代表するネタ・小肌。捌き、塩をして、頃合いを見て水洗い。さらに酢で洗い、生酢に漬け、写真のように立てて2-3日。「1824年に江戸前寿司を考案した華屋与兵衛が出したのがこの小肌。江戸前を名乗る以上、この小肌には力を入れています」(内田さん)

いいネタをがんばってそろえつつも、手頃な価格で楽しませてくれる姿勢には頭が下がる。年に数回ではなく、月に1度は通い、仕事がなされたネタで季節の移ろいも堪能したい。

 

武智さん

丁寧に仕事がなされたネタはどれも、魚の旨みや香りが引き出され、あるいは爽やかさを加味され、どれもが「あぁ」と悶絶しそうなほど美味。その上、寿司のこと……例えば旬や施されている仕事のことなども聞けば丁寧に教えてくれる親切さ。そこから弾む会話の楽しさ。そんな雰囲気も込みで7,000円台からいただけるのは、まさに口幸の極みです。

握りの前に、酒と合わせてちょいと楽しみたい酒肴たち

日本酒はすっきりしたタイプから旨みあるものまで幅広く用意。となれば、握りの前にあれこれと酒肴も楽しみたいところ。写真の品以外にも磯部焼き、穴子焼、煮タコなどが程よい量で用意されているので、寿司とは違う仕事ぶりをあれやこれやと堪能してみてほしい。くれぐれも飲み過ぎに注意!

右は「自家製海苔の佃煮まぐろ添え」1,000円、左はワカメとネギ、マグロを合わせ味噌で和えた「ヌタ」1,500円

さまざまなネタが楽しめる握りもいいが、こちらの名物マグロのヅケがたっぷりのった丼も捨てがたい。丁寧に作られたヅケ、やや酸味のあるシャリ、さらに海苔や茗荷が口の中で絡み合えば、マグロの香りがさらに際立ち、旨み、コクがグッと広がり……思わずおかわりしたくなるほどの絶妙な味わいだ。ちなみにヅケでお酒を楽しんだあと、ご飯を食べるなんて楽しみ方もありだ。

名物の「づけ丼」3,960円。湯引きしたあと、鰹節の出汁・みりん・2種の醤油で作る煮切り醤油に漬けること3時間。程よく脂が抜け、マグロ独特の鉄っぽい香りが引き立てられたヅケが鎮座する
 

武智さん

昼も夜もメニューは同じなのがうれしい。浅草巡りの途中で立ち寄るもよし、散策を終えて足を運ぶもよし。昔と変わらぬ江戸前寿司が待っています。