〈秘密の自腹寿司〉

高級寿司の価格は3~5万円が当たり前になり、以前にも増してハードルの高いものに。一方で、最近は高級店のカジュアルラインの立ち食い寿司が人気だったり、昔からの町寿司が見直されはじめたりしている。本企画では、食通が行きつけにしている町寿司や普段使いしている立ち食い寿司など、カジュアルな寿司店を紹介してもらう。

教えてくれる人

川井 潤
フジテレビ「料理の鉄人」企画ブレーン(1993年~99年)。元(株)博報堂DYメディアパートナーズ。現在は、渋谷区CFO(Chief Food Officer)として渋谷区にあるおいしい店の啓蒙・誘致、区独自の商品プロデュースほか食品関連企業、IT会社、広告代理店などのアドバイザーを務める。滋賀県彦根市、その他エリア等これまでの企画ノウハウを活かして「地域サポート」も行っている。

“握り寿司発祥の地”で食通を魅了する気鋭の店とは!?

両国駅から徒歩10分。大通りから一本それた裏通りに店を構える。さりげなく飾られた木札に「花富」の文字が。屋号は店主の祖父の名前から

東京・両国と言えば“相撲のサンクチュアリ”をイメージする人も多いはず。かつては江戸最大級の庶民の街として賑わい、今も粋な下町文化を残す両国を代表するグルメと言えばちゃんこ鍋が有名だが、実は握り寿司発祥の地であることは意外と知られていない。その起源は約200年前にまで遡り、小泉与兵衛という人物が岡持ちに入れた握り寿司を売り歩くことから始め、屋台を経て文政7(1824)年に両国に構えた「華屋」という屋号の店が、現在の寿司店のルーツになったと言われている。

カウンター7席のみの空間で赤い暖簾と信楽焼の丸皿が目を引く。“無駄なき美学”を貫く清々しい空間からも店主の誠実な人柄が感じられる

庶民のソウルフードから、和食の花形へ。時代とともに多様性を持って進化してきた寿司店だが、ここ数年は食材の高騰やインバウンド向け競争の激化もあって「すっかり高“値”の花になってしまった」という嘆きの声も多く聞かれるように。その中で原点に立ち返り、寿司文化をもっと身近にと奮闘する職人によって、1貫ずつ注文可能なお好みやカジュアルな立ち食いスタイルの店が続々とオープン。“昔ながらの新しい寿司店”が脚光を浴びているが、特に食べ慣れた大人を夢中にさせているのが、両国駅にほど近い裏通りに店を構える「おすし 花富」だ。

 

川井さん

若いお客さんも多くて、最近インフレが激しいハードルの高い寿司店が増えてきているのとは逆に、飾らない雰囲気の中、握りやつまみをいただけるのがうれしいです。

寿司の道で20年! 熟練の店主が追い求める「今の時代だからこそ叶えたいこと」

寿司に限らず、食の好みは人それぞれだ。だからこそ、自分と似た価値観を共有できる店や人に出会えた時の喜びは大きい。「おすし 花富」の推薦者・川井潤さんも「予約困難な高級店は確かに気分が高揚しますが、やっぱりリラックスしながらおいしい寿司をいただくことができるのがありがたいです」と話す。真っ赤な内暖簾が映えるカウンターのみの空間は、シンプルで心和むしつらえ。無駄を省き、真心を注ぐという店主の静かな熱意が清々しい空気感を生み出している。

付け場で黙々と仕事に向き合う店主の五十嵐成伸さんは、千葉県や都内の寿司店で腕を磨き、2022年に独立。一番長く働いた「鮨 新太郎」(現在閉店)は、かつては神田神保町に店を構え、食通で知られた小説家・開高健も通った名店だ。「僕が修業に入らせていただいたのは、店が銀座に移転した後ですが、とても多くのことを学ばせてもらいました」と五十嵐さんは話す。

店主・五十嵐成伸さん。23歳の時に寿司職人のキャリアをスタート。「釣りが好きで魚を自分でおろせたらいいな、という気持ちで千葉県の寿司店で働きはじめたんですけれど、人生何があるかわからないですね(笑)」

真心とは誠意を持って思いを尽くすことである。五十嵐さんの握りには、伝統的な仕事を伝えるために手間と心をかけるという職人の矜持が宿るが、寿司の高級化がどんどん進む中で、その営業スタイルや値付けにも良心を感じずにはいられない。「いろいろな考えを持つ人がいて、ぞれぞれの職人のやり方がある。僕はこういうお店だったら何度も通いたいと自分が思える店にしたかったんです。自腹でもひとりでも通いたいと思ってもらえる寿司店でありたい」
そうした思いがあるとは言え“寿司バブル”と言われるこの東京で、客の入れ替えをせず、おまかせの握りが5,500円から、つまみを含むコースは1万円から供するという心意気にただただ頭が下がるばかり。予約困難な高級店もいいが、本音を言えば自分のペースでおいしい寿司を味わいたいという人にとっては、あまりにも理想的な“原点の店”なのだ。

 

川井さん

おつまみ含め、ネタがちゃんとしています。大将は腰が低く、肩肘張らずに気楽に通えるところが、高級店で緊張しがちの僕にはありがたい存在と思いました。

日本酒を呼ぶつまみは「旬味をシンプルに」が信条

東京の寿司店の多くは、最初につまみが数品出てから握り、もしくは握りとつまみを交互に供するのが主流であるが「おすし 花富」は、つまみの有無を選ぶことができるのも“気分ファースト”で寿司を楽しみたい人向き。季節や仕入れによって刺身や煮ダコ、焼魚など6〜7品のつまみが登場し、日本酒を飲みながらつまみと握りを楽しみたいという思いに応えてくれる。特に“酒飲み泣かせ”と常連客から人気なのが「甘海老の紹興酒漬け」。ねっとりとろけるような海老の食感と鼻をふんわり抜ける紹興酒の香りに、杯がどんどん進む。

甘海老の紹興酒漬け(おつまみを含む1万円〜のコースの一例)。有頭のまま丸一日、紹興酒に漬け込んだ甘海老のねっとりとした食感に陶然