【噂の新店】「割烹 室井」

話題のレストランが点在する美食エリア西麻布。とりわけ、西麻布交差点から根津美術館にかけての通りは、どの駅からも徒歩10分余りの不便な場所ながら、隠れた実力店が潜んでいる。そこにまた一つ彗星のように現れた注目店が、ここ「割烹 室井」だ。

白い暖簾が揺れる楚々とした佇まい

往年の食通家なら、その名を聞いてもしや?と思われた方もきっと多いことだろう。そう、この店の店主 室井豪さんは、実は惜しまれつつ店を閉じた銀座の名店「割烹 室井」のご子息。京都「京懐石 吉泉」をはじめ、西麻布「山﨑」等名だたる店で研鑽を積んできた俊英だ。

その彼が、今年6月「割烹 室井」の名を継承。そのDNAを引き継ぎつつも、父とはまた違うスタイルで、思いも新たに自らの料理を追求しようとしている。

真一文字の檜のカウンターは、まさに料理人の舞台。カウンターでのやり取りもご馳走の一つ

白地の暖簾をくぐり、席へと続くアプローチを抜けると真新しい檜の香りも清々しい和空間が現れる。真一文字に伸びた木曽檜のカウンターが圧巻な店内は、すっきりとして清楚。どこか凛とした空気が漂うのは、ご主人室井さんをはじめ、スタッフらのキビキビした動きのせいだろうか。ゆったりとした空間ながら、席はカウンター9席のみと贅沢な設え。アイランド形式のオープンキッチンは、舞台を見るような高揚感を与えてくれる。

「割烹 室井」を支えるスタッフ2人と室井豪さん36歳(写真中央)。鮨屋での経験もある麻生勇介さん31歳(写真左)、新人の新川彗太さん22歳(写真右)。平均年齢29歳と若々しい。これまでの親方と弟子という構図ではなく、“チーム室井”的な爽やかな空気が漂う

心地よい緊張感の中、供せられるのは先附からデザートまで全9品(実際はご飯ものが2度出るので10品だが)の「おまかせコース」39,600円(税込、サービス料別)。私が訪れた日、最初に運ばれてきたのは、ガラスの器も涼しげな「すっぽんの煮凝り」。

すっぽんの煮凝り

煮凝りに覆われた塩水うにの下には、昆布で締めてからさっと炙った帆立貝と白芋茎のおひたしが隠れている。聞けば、すっぽんは、さばいて下処理した後、数十秒コントレックス(フランスの超硬水ナチュラルミネラルウォーター)で下茹でしているのだとか。

「コントレックスを使うと、すっぽんの臭みが取れるんですよ」と室井さん。これまでの和食の手法では〈日本酒と生姜で炊く〉のがすっぽんの臭み取りの定石。だが、それではどうしても日本酒の甘さがだしに残ってしまう。けれども「この煮凝りに甘さはいらない。すっぽんのピュアな旨みだけが欲しい」と考えた結果、思いついたのが件の手法だった由。既成概念にとらわれることなく、良しと思ったことは積極的に試してみる。そんな進取の気性と柔軟性は、なるほど、修業先譲りかもしれない。

軽く炙ることで帆立の甘みを引き出している

そんな思いを巡らせながら、透明感のあるジュレを口にすれば、淡い旨みがやんわりと広がり、帆立やうにの甘みをそっと受け止める。さらにその甘みをすきっと引き締め、全体の味の輪郭を鮮明にしているのが、隠し味のヘベスの酸。そして、後を引くすっぽんの滋味が、静かな余韻となって舌に残り、のっけから心を掴まれる。

お凌ぎは、新潟米・新之助の煮えばなが登場。煮えばなとは、お米からご飯へと変わる瞬間の水分を含んだお米のこと。出来立ての一番おいしいところをお客様にお出しする、という茶の湯のおもてなしの精神が汲み取れる一品だ。煮えばなのご飯だけでも充分旨いが、室井さんは、割烹らしく少しだけ贅沢感をプラス。うにと季節の新銀杏を添え、味わいに華やかさを添えている。

海老真薯のお椀

続く海老真薯のお椀には意表を突かれた。幾つかの味を重ねて華やかな味覚を演出した先附とは打って変わって、こちらは、椀種の海老真薯と椀妻の叩きオクラのみ、の潔さ。その海老真薯も、つなぎは一切加えず天然の車海老のみ。それも「海老をそのまま食べている感覚で食べてほしい」との思いからだ。海老真薯は粗く叩いて食感を出し、一度蒸してから軽く揚げることで淡白になりがちな味にコクを持たせている。

また、だしへのこだわりも生半可ではない。

昆布は「奥井海生堂」の天然利尻昆布1等級と羅臼昆布、本枯節は伊勢神宮の献上品でもある三重「天ぱく」の本枯節・雄節を使用。これは古式燻しの技「手火山製法」で作られる希少な鰹節で、通常のものより薫香がやや強い点が特微だとか。香り高く澄んだ味わいの利尻昆布にコクのある羅臼昆布を合わせてたおやかな中にも厚みのある旨みを感じさせ、鰹節の薫香に負けぬ底味を引き出している。

また、水も鹿児島垂水の温泉水「寿鶴」を用いるなど細部にわたる心配りも周到だ。それだけに、引きたてのだしの香りは実に豊潤。その芳香をゲストにも味わってもらいたいと、営業直前に一番だしをひく姿勢にも、室井氏の料理に対する真摯な思いが感じられる。

皮目をさっと炭火で炙った、温かいお造りといったニュアンスの「金目鯛の炙り」、お口直しの「トマトジュースのすりながし」が出た後、いよいよコースのハイライト「鰻の蒲焼き」の登場である。

鰻の蒲焼き

「今日の鰻は長崎大村湾の天然もの。これで700g。大きすぎると皮が硬くなってしまうので、500~700gぐらいのサイズがちょうどいいですね」と室井さん。焼き方にも彼なりの一工夫がある。

「山﨑」で教わった焼き方をベースに、火はやや強めの中火。紀州備長炭に翳し、途中タレをつけつつ、時に火から外し、身と身を合わせて皮だけに火を入れるなど余分な脂を落とす要領で、皮目をしっかり焼くのが室井流だ。

こんがりと狐色に焼き上がった蒲焼は、潤いを帯びた光沢を放ち、芳ばしい香りで食欲を刺激する。目の前でザクッザクッとカットしていくその音からして、もう既に旨そうだ。

皿にうず高く盛られた鰻は、見た目の迫力も充分。その肉厚な一切れにかぶりつけば、皮はパリッ、身はふっくらのまさに理想の焼き上がり。迸るような勢いのある味わいは、地焼きなればこそだろう。甘さをグッと控えたタレは、ご飯というより酒を呼ぶ味だ。

うざくをイメージして仕上げた鰻の蒲焼は、下に黄韮の浅漬けを忍ばせ、上からすりごまをふりかけている

最後の〆も「とうもろこしご飯」に「牛しゃぶと白飯」の2本立て、と期待を裏切らない。コースを食べ終え感じたのは、すべての皿にわたって何を食べさせたいのか、しっかり伝わってくる料理ということだろうか。先附のすっぽんの煮凝りこそ複数の食材を組み合わせているものの、お椀にしても、鰻にしても、基本的に主役級の食材は一つ。それを引き立てるためにはどうすればいいか——、と考えるところから室井さんの料理は始まっている。

「天然の食材には身体が喜ぶおいしさがある。それを最大限に引き出すのは技術だけではないと思うんです。素材の本質を的確に捉え、その上でいかに手をかけるかが大切」と室井さん。

シンプルな仕立ての中に潜む一手間、一工夫。発想の柔軟性から生まれる自然な味わい。それが、室井さんが目指す理想のおいしさなのかもしれない。

撮影:佐藤潮

取材:森脇慶子

文:森脇慶子、食べログマガジン編集部