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広島県内最大であり、西日本でも屈指の規模を誇る歓楽街・流川。流川町を中心に、隣接する新天地や薬研堀(やげんぼり)を総称して「流川」と呼ばれることが多く、居酒屋やスタンド、キャバクラやガールズバーなど、さまざまな店がひしめき合う、夜を楽しむ大人のためのエリアです。ちょっぴり近寄りがたい印象を持たれがちですが、中には古くから暖簾を掲げる温かな雰囲気の店も。どこか人情味のあるこの地で、70年店を営む洋食店「アラスカ」を訪れました。
〈広島人のソウルフード・ローカル飯〉
旧海軍による組織「呉水交社」の専属コックを務めていた新田信康(にった のぶやす)さんが、1953年に創業した「アラスカ」。神戸の飲食店で下積みをし、同じくコックの道を歩んでいた同郷の大黒築(だいこく きずく)さんを誘い、洋食の専門店として展開してきました。1999年に築さんの息子である健太郎(けんたろう)さんが店に入り、新田さんは引退。2018年に同じ流川で移転をし、新店舗で変わらぬ味を提供し続けています。
教えてくれたのは
浅井ゆかり
大分県出身、広島市在住。3児の子育ての傍ら育児雑誌で始めたレポーターがきっかけでライターに転身し約10年。タウン情報誌をメインに、県や市町の広報誌、フリーペーパー、Webサイト、書籍などさまざまな媒体で活動する。関わった人が明るい気持ちになれる取材&記事制作がモットー。得意分野はグルメ、観光、地域関連。
流川で約70年営業を続ける老舗洋食店「アラスカ」
いくつもの飲み屋が軒を連ねる流川は、広島県最大の歓楽街。夜になるときらびやかなネオンが灯り、蠱惑的なムードを放ちます。華やかな店ばかりのイメージですが、昔から営業する素朴な定食屋や餃子屋があったり、近年では女子ウケしそうなスイーツショップ、ジューススタンドといったオシャレ店も進出したりと、雑多なところも魅力になっています。そんな中で約70年という長い間営業しているのが、老舗洋食店「アラスカ」です。
小綺麗な店舗は、一見すると最近できたばかり?と思ってしまいますが、実は以前は流川エリアで別店舗を構えていました。旧店舗はゆうに築数十年は経たであろう建物の1階。雑居ビルのような雰囲気も漂っていたため、酔っぱらった人がフラフラと入ってきて、そのままテーブルで突っ伏して寝てしまうこともあったと言います。かつての建物は老朽化で取り壊しが決まり、2018年にセントラルゲート3ブロックの2階へと移りました。
将校クラブでの経験を経て、同郷の仲間と開業。人気店へ成長
現在店を営む店主の大黒築さんは、創業者である新田信康さんと同郷の仲間。旧海軍の組織「呉水交社」で専属コックとして働いていた新田さんのことを「現場叩き上げの人だった」と称えます。水交社は、海軍高等武官、候補生、海軍高等文官、試補によって構成された組織。学術の研究や相互の親睦を図ることを目的に、1876年に東京府(現・東京都)で創設、1886年に安芸郡呉港(現・広島県呉市)へ設置されました。「のちに将校クラブとなった呉水交社は、いわゆる高級士官さんたちの社交場。そこでコックとして働きよったんじゃけぇ、相当鍛えられたと思うよ」
呉水交社で腕を磨いた新田さんは、流川に洋食店「アラスカ」を開店。時を同じくして、神戸のレストランでコック修行をし、広島へ戻ってきた同郷の大黒さんに声をかけ、一緒に店を切り盛りするようになったそうです。
最盛期には9名ものスタッフが在籍していたというアラスカは、流川の有名店。「明るく気さくな新田さんの存在が大きかったね。配達に行きよったら、“今日おとうさん(新田さん)おるの? おるんじゃったら、あとで寄らせてもらうわぁ”なんて声をかけられよったから」と、大黒さんはかつての日々を振り返ります。
今、店を背負うのは、大黒さんと息子の健太郎さんの2人。健太郎さんは呉にある「クレイトンベイホテル」で接客やサービスを学び、1999年に店へ入りました。それまで頑張ってきた創業者は、若い健太郎さんが入ってくれたことで安心して引退したのだそうです。
実の親子ということもあり、調理も接客も息ぴったりの2人。そんな2人が醸し出すアットホームな雰囲気も、店の居心地の良さにつながっています。
今も昔も愛される、正統派の洋食たち
オムライス
メニューは昔から変わらない、正統派の洋食がずらり。中でも人気の品を、いくつかピックアップしてもらいました。
ツヤツヤの紡錘形が美しいオムライス(950円)は、「王道」という言葉がふさわしい一品。中身は鶏肉やタマネギをケチャップで味付けしたチキンライスで、懐かしいおいしさです。添え物として福神漬けとラッキョウが運ばれてくるのが新鮮。かつての洋食店ではこの組み合わせがスタンダードだったのだそう。
卵をよくほぐしてから、十分に熱したフライパンで手早く焼いていくのが、きれいに仕上げるコツ。調理風景を見せてもらいましたが、そのスピードと鮮やかな手さばきに驚き! まるでマジックのようにフライパンを数度揺するだけで、きれいな形がクルッと出来上がります。「昔は娯楽ってもんがあまりなかったから。店へ来た客に、オムライス作りを見せるのが一種のショーじゃったんよ」と、大黒さん。客を喜ばせようと練習を重ね、より技術が向上したのだと言います。