白ご飯と豚肉と玉子。きっと多くの家庭に必ずあると言っても過言ではない定番中の定番食材です。やっぱり好きなんですよね、食材三種の神器「米・肉・玉子」。そんなたった3つの食材で、40年近く地元の学生の心と胃袋を掴みっぱなしのソウルフードがあります。それが、ポパイの肉玉ライスです。

「ポパイの肉玉ライス」

〈広島のソウルフード・ローカル飯〉

呉市、広(ひろ)エリア。JR呉駅や大和ミュージアムなどがある呉市の中心地からは、車で東へ約15分。小学校5校、中学校4校、高等学校3校、大学1校があり、今も昔も多くの学生さんが青春を謳歌している町です。そんな広の町に昭和50年代、高校生たちを中心としたひとつの食のムーブメントが起こりました。その名は「肉玉ライス」。この名グルメは今もなお、この町と学生、そして青春時代をこの町で過ごした大人たちに愛されています。

教えてくれたのは

村山ゆかり
広島県呉市出身。広島弁のまま飛び込んだ関西のストリート雑誌の編集部を経て、グルメ&タウン情報誌、自治体や企業の広報誌など、気がつけばライター歴20年超。最近は呉市が官民一体となって取り組むリノベーションまちづくりにも参加し、ヒト・モノ・コトがまちで出会う瞬間を言葉に紡ぎ届けている。

学生が登下校時に立ち寄れる店として、昭和40年代に開店


テントに記されたYoung plaza(ヤングプラザ)の意味にも納得の立地

JR呉線広駅から徒歩5分の場所にある一軒のお店「ポパイ」。近くには高校が2校あり、駅から各校へ向かう通学路の途中に位置しています。あの“ポパイ”を彷彿させるイラストが描かれたテント看板からも「お腹いっぱい食べて超人的なパワーを出してがんばってね」という優しい思いが感じられます。

優しい話し方が印象的なママさん。ついつい何でも相談してしまいそう

「いらっしゃ~い、なんにする?」と声をかけてくれるのが店主の石田直子さん。客からは、女将さんやママさんと呼ばれ、まさにみんなのお母さん的存在です。直子さんのお母さんが約54年前にオープンし、平成時代は母娘の二人三脚で営業してきました。現在は2代目としてひとりでお店を切り盛りされています。

古き良き時代の名残が心地よい店内には12席を用意

注文を済ませたらテーブル席へ。昭和・平成の元気な高校生たちが過ごした空間は今もそのままに。「オレ、この席によう座っとったわ~! いっこも変わらんね」と卒業生たちが当時を懐かしむ光景もポパイでは日常。ひとりで切り盛りするママさんに負担をかけまいと、セルフサービスが基本です。

なんと実は、肉玉ライスの考案者は高校生だった!

手際よく豚肉を広げて、鉄板でしっかりと焼きます

「肉玉ライスは、元々はポパイの隣で父が営業していたうどん屋『ほりした』で出していたメニューなんです」とママ。隣でうどん屋!? お父さんが!? と新事実に驚くと同時に、ポパイの肉玉ライスは「ほりした」の肉玉ライスだったことが判明。

「昭和50年代、ポパイには現在のような鉄板はなく、パンやタコ焼き、肉まんを販売していました。その隣で父が脱サラしてうどん屋『ほりした』をオープンし、うどんのほか、鉄板で焼きそばなども提供していたんです」とママが教えてくれました。

ご飯にふりかけをかけるのは、元々ふりかけご飯に具材をのせたことの名残り

ポパイ同様に「ほりした」にもお腹を空かせた男子高校生が連日来店。ある日、ライスを注文した学生さんが「白飯だけじゃ物足りないから、その焼きそばに使ってる豚肉と玉子をのせてよ」と。焼きそばの味付けに使用していた「センナリソース」とマヨネーズをたっぷりかけて出したところ、その学生さんは大大大満足! 翌日にはその噂が高校生たちに広まり、たくさんの学生が「肉玉ライス食べさせて!」と店に詰めかけたそうです。