【森脇慶子のココに注目 第39回】「一平飯店」
ここ最近、広東料理、それも香港料理の勢いが止まらない。注目の店が、次々と巷を賑わせているのだ。元「福臨門酒家」の料理長だった袁家寶シェフが腕を振るう銀座シックス「家寶 跳龍門」、「味坊」グループのニューフェイスである代々木八幡の香港飲茶専門店「宝味八萬」に香港ストリートフードに特化した新中野「香記豚記」等々。去年から今年にかけて気になる新店が目白押し! そんな中、またひとつ、香港の私房菜を思わせる期待の一軒がオープンした。
今年3月1日、麻布十番の外れに店を構えた「一平飯店」がそれ。仕掛け人は、あの六本木「桃仙閣 東京」のオーナー林亮治氏。そんな林氏が見込んだ料理人は、安達一平シェフ。
林氏曰く「安達シェフとは、(中華の)料理人達の勉強会で知り合いました。普段は大人しいのに、料理の話になると止まらない。熱く語る様子が印象的でした。コロナ禍の中、独立を考えていたものの、物件など中々思い通りにいかないことがあるなど聞き、一緒にやれば彼も能力を存分に発揮することができるのではないかと思い、力を合わせることになったんです。安達シェフは熱の入りすぎなぐらいの香港料理好き。なので、彼には、料理だけに没頭してもらうようにして、その他のできる限りのことはサポートしました」とのこと。
とはいえ、料理内容やスタイルについては2人で相談のうえ決めたそうで、試行錯誤の結果、全18品からなる小皿スタイルの「おまかせコース」19,800円、一本でいくことに決定。ことの真相は「あれこれ試作して、林さんに食べていただいているうちにあれも出したい、これも出したい状態になり……。いつの間にか意図せず18品になっていました」そう語る安達シェフは広東料理一筋24年。
「赤坂璃宮」や本場場香港のレストラン等で研鑽を積んだ練達の士だ。ここでは、現地で舌に叩き込んだベーシックな香港の味を、ときにストリートフード的な皿も交えつつ、味つけの細やかさや下ごしらえの丁寧さで品格あるテイストに仕上げている。食べ疲れをしない余韻豊かなおいしさが身上だ。
コースの始まりは上湯で炊いた上品なお粥から。トッピングに揚げた桜海老をあしらい、季節感をさりげなく演出。香ばしさと旬の香りが食欲をそそる。まずは、胃袋を優しく温めてから、との配慮だろう。スターターとしての役割は充分だ。続いて「客家風揚げ豆腐」「クラゲと紅芯大根」「ホタルイカとシシトウのフリット」などが少しずつ次々と運ばれてくる。小皿とはいえ、いずれもきちんと味が伝わるポーションなのも好ましい。中でも、安達シェフ渾身の一皿と言えば「フカヒレの上湯蒸しスープ」だろう。
老鶏、豚赤身肉に金華ハム、豚の背骨を鍋に入れ、弱火でじっくり炊くこと3〜4時間。出来上がったスープに、今度はフカヒレを入れ、2〜3時間ほど蒸し上げる。こうすることで、フカヒレの芯まで味がしっかりと入るわけだ。この状態でフカヒレをストック。スープは別に漉して、フカヒレのにおいをクリアにしておくのもポイントの一つ。食べるときに、先のフカヒレをスープとあわせて温め、提供するわけだ。「おいしすぎないように、そう心がけています。これでもかといわんばかりの美味が続いたのでは、舌が疲れてしまいますから」と安達シェフ。
そこには、林さんのすすめで日本料理を食べ歩いた成果が垣間見える。ワイルドさと力強さが持ち味の香港料理だが「一平飯店」では、日本料理ならではの季節感と食材を生かすアプローチをさりげなく加味。一歩引いた余韻のあるおいしさ。それが、安達シェフの目指すところなのかもしれない。
とは言っても、いたずらに和に寄せているわけでは決してない。あくまでも基本は香港テイスト。それを最も感じさせる逸品が、シグネチャーメニューでもある「香鶏のクリスピーチキン」だ。
香港名で“脆皮炸鶏”と書くように、サクサクの皮と身のジューシーさがこの料理の肝。その理想の食感に仕上げるには、揚げ油の温度や揚げ方に加え入念な下ごしらえが必須となる。
鶏は丸のまま八角や桂皮、丁字、甘草など数種類の香辛料を加えた塩水にマリネすること30分。その後、熱湯をかけて皮を張らせ、麦芽糖を混ぜた酢を皮全体に回しかけ、風に当てつつ5時間干したら下ごしらえは完了となる。
次にその揚げ方。天ぷらのようにたっぷりの油に投入するのではなく、フレンチのアロゼよろしく熱した油を鶏全体に繰り返し何十回と回しかけながら揚げていくのだ。その油の温度も、安達シェフによれば「最初は150度くらいの低温から揚げ、最終的には200〜250度の高温にもっていく」そうで、この独特な揚げ方が皮を軽やかな食感に仕上げるコツ。ジュワジュワーッという快音を立てつつ、次第に狐色に色づいていく香鶏は迫力たっぷり。見るからに、皮のクリスピー感が伝わってくるようだ。
揚げ上がった香鷄は、艶々と輝きそのまま食べても充分美味。だが、安達シェフはそこにもう一手間かけている。豆板醤や沙茶醬を絡めて味付けしたガーリックチップスを合わせ、よりコクのある味わいに仕上げているのだ。揚げたてを頬張れば、皮はパリッサクッの軽やかさ。噛むほどに、弾力のある身の柔らかさが心地よく舌になじみ、骨付きで揚げればこその旨味が後を引く。「皮と身のバランスが良いから」と香鶏を選んだ安達シェフの思いが伝わる味わいだ。
このほか、薄衣をつけて揚げた海老を腸粉の皮で巻いた「脆網皮海皇腸粉」や「湯葉巻き蒸し」などの点心、そしてココナッツミルクやバターの風味がエキゾチックな「伊勢海老の沙茶ソース土鍋煮込み」など、緩急を付けたコース運びには、お酒もついつい進みそう。アルコールも、紹興酒をはじめ、ワインも豊富に揃い、料理に合わせたペアリングも1万円から楽しめる。
また、夜9時からはベタな香港料理をガッツリ食べられる「夜香港」に変身。こちらでは、“香港迷”(香港ファン)が泣いて喜びそうなマニアックな香港料理を大皿で味わえる。「おまかせコース」19,800円、週に2回ほどの変則的営業ゆえ、詳しくはお店にお問い合わせを。