香港通が待望の一軒、目黒にオープン

待ちに待った、待望の一軒がようやくオープンした。目黒は三田通り沿い、日の丸自動車学校の向かいに、この4月3日ひっそりと店を構えた「サエキ飯店」がそれだ。オーナーシェフの佐伯悠太郎さんは33歳。年は若いが、「聘珍樓」から「福臨門酒家(現 家全七福酒家)大阪店」、そして「赤坂璃宮」 まで名だたる名店で修業。更には、ワーキングホリデーを利用し、香港で一年間研鑽を積んだ期待の新星だ。

「サエキ飯店」店内の様子

 

そんな彼の料理を初めて口にしたのは3年前。外苑前のナチュラルワインと中華の店「楽記」の料理長として腕をふるっていた頃のことだ。“潮州式煮込みの鳩”やら“蝦味噌手羽先唐揚げ”に“ハムユイ肉餅(※1)”etc. 香港さながらの、それも贅沢な食材を使った高級料理ではなく、現地で食べられている庶民派料理にシフトしたメニューのラインナップにすっかり心惹かれてしまったのだ。

 

※1 ハムユイ=中国でよく使われる、魚を塩漬けして発酵させたもの。肉餅(ロービン)=中華風蒸しハンバーグ。

 

だが、僅か1年で「楽記」を辞め、香港へと旅立ってしまった佐伯シェフ。それから早2年。その間、香港から広州、 果ては世界33カ国を約1年間かけて周遊。帰国後の1年は、あの外苑前「傳」で研修していたそうで、この春、まさに満を持しての独立を果たした次第。人知れず?店を始めたにもかかわらず、耳聡い食いしん坊や香港通が開店早々怒涛の如く駆けつけ、既に1カ月半先まで予約でいっぱい!(※2) この状況に最も驚いているのは、他でもない佐伯シェフ本人かもしれない。

 

※2 2019年5月13日時点で、6月末まで予約は満席。7月分の予約受付開始日は未定。

 

佐伯シェフが、中華の料理人になる!と心に決めたのは高校生の時。きっかけは、伝説の料理番組「料理の鉄人」だった。ダイナミックかつ鮮やかに中華鍋を振り、料理を仕上げる鉄人・陳建一シェフや脇屋友詞シェフ――そのカッコ良さに憧れた。加えて、決め手となった⁉︎のは、高校時代、友人たちに作った“もやし炒め”。高校は宮崎の全寮制だった佐伯シェフ、毎日のように仲間と寮の部屋に集まり、集会をしていた時のこと。部屋にあった簡易なガスコンロで作ったにもかかわらず、「旨い旨い」と食べる同僚たちの姿に背中を押されたのだ。「中華料理ってダイレクトに美味しいでしょう?」

オーナーシェフの佐伯悠太郎さん

 

福岡の専門学校を卒業して上京。新宿「聘珍樓」に入る。当時、「聘珍樓」は、香港から招聘した謝華顕氏がグループ全店の総料理長に就任。この謝総料理長との出会いが佐伯シェフの目を香港へと向けさせた。そして、24歳にして初めて香港へ渡る。それは彼にとって、まさに運命の岐路だった。「香港の活気に満ちた人や空気、エネルギッシュな食への探求心に痺れましたね。『ここで絶対に働きたい!』心底そう思ったんです」。その思いを、見事29歳で達成。香港・湾仔(ワンチャイ)の「家全七福」をはじめ名店4軒で働き、帰国後、シェフとして腕をふるっていたのが「楽記」だった。

 

「あの頃は、食材も調理法も出来るだけ香港と同じにして、香港と全く同じ味、スタイルにすることに必死でしたね。今思えば、そうしないといけない、みたいに思って、ちょっと自分を追い込んでしまっていたように思います」。晴れ晴れとした笑顔でこう語る佐伯シェフ。今は気負うことなく、自分が美味しいと思う料理を自然体で作っている。「僕の場合、広東料理を勉強してきた料理人なので、中華の調理法になるだけで、もうそれ以上そこには固執していません。ハムユイがなくなったら、アンチョビで肉餅を作ってもいい。今は、そう思えるんです」

「香港ラブ!」なシェフならではの品書き

とはいえ、これまでどっぷりと香港にはまり、今も変わらず「香港ラブ!」な佐伯シェフのこと、メニューに並ぶ料理は、やはり香港テイスト満載だ。

迫力の“鳩の丸煮”

 

中でもご覧の“鳩の丸煮”は、佐伯シェフのシグネチャーディッシュ的一皿。その名の通り、広州の乳鳩(仔鳩)を、醤油と氷砂糖、八角に肉桂、メイグイルーチュウ(ハマナスの酒)を合わせたタレで煮込んだもの。香港でもおなじみの一品だが、ここではさりげなく佐伯テイストを加味。本場ではしっかりと火を入れるそうだが、佐伯シェフは「しっとりした身質とジューシー感、肉の旨味を引き出したくて、煮込む時間は14〜15分と、ギリギリの火入れにしています」とのこと。なるほど鼈甲色に艶びかりする乳鳩は、つるりと滑らかな皮と、その下に潜む肉片の柔らかくきめ細かな食感とが絶妙のバランス。鳩そのものの鉄分のうまみを損なわぬタレの加減も上々だ。

シェフが食べやすく解体してくれる

 

また、“豚トロとハムユイの香港風土鍋ご飯”も、香港ラバーなら見逃せない逸品だろう。米は、もちろんジャスミンライス。ハムユイが持つ、発酵食品ならではのややくせのある旨味が豚トロの脂分を受け止め、肉汁共々じんわりと米に染み込んだおいしさは格別。ついおかわりを所望してしまうこと請け合いだ。その他、“揚げ大根餅”に“発酵からし菜とモツの煮込み”、“豚足酢漬け”、“ハタ 揚げにんにく 干ししいたけ土鍋煮”に“ホタテ 春雨 ガーリック蒸し”etc.メニューは、少しずつ日替わり。締めの食事も、先の土鍋ご飯のほか炒飯や麺も用意されている。

“豚トロとハムユイの香港風土鍋ご飯”

 

中でも、食べずに帰れば後悔すること必至の逸品が“上湯麺”である。この上湯スープが実に美味。聞けば、水4リットルに対して老鶏1羽、豚赤身肉1kg、金華ハム350gを入れ、最初は強火、沸騰したら弱火で1時間半煮込み、更に蒸し器で5〜6時間あまり蒸し上げてようやく完成する労作だ。黄金色に澄んだその上湯スープは、雑味なくクリアにして、しみじみと舌に広がる滋味深い味わいが印象的。このピュアなおいしさに余計な具は無用の長物だ。少量の黄ニラのみの潔いスタイルが、スープの旨味の邪魔をすることなく、全体の味を品良く引き立てている。

“上湯麺”

 

“菜の花 煮浸し”

 

ちなみにメニューは、アラカルトと予約客用のコースを用意しているものの、既に6月半ばまで予約客で殺到しているため、現状ではコースが主体。税別8000円と5500円のショートコースがある。(取材時の料理は、いずれも8000円のコースから。写真は3人前、上湯麺のみ1人前)

取材・文/森脇慶子

撮影/飯貝拓司