〈和菓子と巡る、京都さんぽ〉

四季折々の顔を見せる名所を訪れたり、その季節ならではの和菓子を食べて職人さんたちの声を聞いてみたり……。ガイドブックでは知り得ない京都に出会う旅にでかけてみませんか。

 

あなたの知らない京都について、京都在住の和菓子ライフデザイナー、小倉夢桜さんに案内していただきましょう。

其の十七 懐かしく、だれもが親しみやすい味を作り続ける「鍵甚良房」

夏の京都の風物詩である光景が広がる、鴨川沿い

四条大橋から目に広がる風景は、みなさんにお馴染みの京都を代表する風景です。なかでも京都の夏の風物詩として5月から9月に鴨川西岸で行われる鴨川納涼床には多くの観光客が訪れます。

鴨川納涼床

 

川のせせらぎを聴き、川風に吹かれながらいただくお料理は格別です。近年は、高級なお店だけでなく気軽に足を運べるお店も増え、幅広い層に親しまれています。そして、四条大橋から南東側の鴨川のほとりには五花街のひとつ宮川町があります。近隣にある祇園甲部、祇園東の花街に比べて、観光客の行き交う姿が少なく落ち着いた雰囲気の街並みです。

宮川町

 

その宮川町からすぐにあるのが「京都ゑびす神社」。年が明けて行われる「十日ゑびす大祭(初ゑびす)」には、昼夜を問わず商売繁盛を祈願する参拝者で賑わいます。

十日ゑびす

 

毎年、東映の女優さんや祇園町と宮川町の舞妓さんによる福笹の授与が行われ、京都ならではの華やいだ雰囲気となります。その福笹は江戸時代に京都ゑびす神社がはじめたものが全国に広まったものです。

 

十日ゑびす大祭の時には、京都ゑびす神社前に数多くの露店が立ち並びます。その中に混じって、店頭でえびす様を模った「えびす焼」を実演販売されている一軒のお店があります。えびす焼を買い求める人の列が途切れることなく続きます。毎年、十日ゑびす大祭の見慣れた光景です。

甘いもので、ひとやすみ。

前述のえびす焼をこの時期だけ実演販売をされているのが大正10年(1921年)創業の和菓子店「鍵甚良房(かぎじんよしふさ)」です。

「鍵甚良房」外観

 

祇園の老舗和菓子店「鍵善良房(かぎぜんよしふさ)」で番頭をしていた初代が暖簾分けとして、現在の場所で創業された和菓子店です。創業当時は、「鍵善良房」がある賑やかな祇園に比べて、「鍵甚良房」がある場所はそれほど人通りもなかったそうです。

 

お菓子は、「鍵善良房」が販売していたものと同じように、お干菓子を同じ形態の詰め合わせで販売していたそうです。その為売り上げが伸びずに、考えた末、お干菓子をバラ売りで販売したところ、気軽に家で食べることができるお菓子という評判が広まり買い求めるお客が増えたそうです。現在でもその販売方法は受け継がれており、バラ売りをされています。

 

また、季節の移ろいに合わせてお干菓子の内容が変わる詰め合わせ「吹き寄せ缶」も販売されています。

吹き寄せ缶

 

創業されてから約100年。「今まで廃業の危機にさらされたこともなく、店の規模は小さくなりましたが順調にやってくることができました」と語るのが、四代目のご主人。昨年、店を継いだ31歳の若いご主人です。外見は、好青年といった印象でとても気さくな方です。

 

店を受け継ぐ前は、世界的な一流ホテルに勤めるサラリーマンでした。就職されていた当時は店を継ぐ気はなかったそうです。とはいっても、「心のどこかに店のことを気にしていました」と言うご主人。贈答用などで自分の店のお菓子が使用される度、「美味しい」と言ってもらえる度に、「こんなにいろんな方に喜んでもらえる、感謝される素晴らしい仕事を父はしているんだ」と思い、次第に気持ちが変化していったそうです。

 

そして、店を継ぐ決定的なこととして挙げられたのが、ご主人の弟さんのことです。「弟は障害者なんです。私が弟の面倒を見ると考えた時にサラリーマンでは、難しいのではと考えました。やはり、商売をしている方が融通が利くので面倒をみやすいと思い、店を継ぐ決心をしました」。こう話すご主人からは、並々ならぬ家族の絆を感じます。

「鍵甚良房」店内

 

「店を継いでからのご苦労はありますか」の問いに「苦労よりも、感謝の気持ちしかありません。同業者の方々に色々と教えていただいたりして、とても大切にしてもらっています。毎日が勉強で、学ぶことが多いですが、素晴らしい京菓子を作り、多くの方に知っていただければと思います」と楽しそうに語るご主人。

 

現在は、とにかく多くの方に京菓子を身近に感じていただきたい。「鍵甚良房」を知っていただきたい。そんな想いから、積極的に出張和菓子教室を行ったり、SNSで京菓子の魅力を定期的に発信したりして好評を得ています。

 

通年、四季の移ろいを写した上生菓子が常時4種類ほど販売されており、茶道のお稽古菓子をはじめ、多くの常連客が買い求めに訪れます。その理由は、誰もが親しみやすい懐かしい味。そして、素材にこだわっているにもかかわらず昔から据え置いている価格。

 

「多くの方にできるだけお菓子を気軽に召し上がってほしいので、家族だけでやり、無駄をできるだけ省いて何とかやっている価格なんです。お客様に喜んでいただけるのが何よりも嬉しく、やりがいを感じています。ただ、これだけ原材料費が上がってくると、いつまでこの価格でやっていけるのかわかりませんけど、できるだけお客様に喜んでいただけるようにがんばります」と語るご主人。

椿餅

 

日本最古の餅菓子といわれている「椿餅」。『源氏物語』第34帖「若菜上」の中で、「椿い餅、梨、柑子やうのものども、様々に筥(はこ)の蓋どもにとりまぜつつあるを、若きひとびと、そぼれとり食ふ」と若い人々が蹴鞠のあとの宴で食べる場面が登場します。その当時には砂糖は無く、甘葛(あまづら)というツタの汁を煮詰めたものでほんのりと甘味をつけていたようです。現在、京都の和菓子屋では、こし餡を道明寺で包んで椿の葉を二枚使用して挟んだ椿餅が一般的に販売されています。

 

こちらのお店の椿餅は、その意匠とは少し異なり、道明寺ではなく、羽二重餅でこし餡を包んで寒天でコーテイングしたお菓子となっています。非常に口溶けが良いのが特徴のお菓子です。

桜餅

 

京都で桜餅といえば道明寺粉を使用して餡を包み、その後、塩漬けした桜葉で包んで仕上げた関西風の「道明寺」が一般的です。一方、関東風として紹介されるのが長命寺(焼き皮)製の桜餅。京都では、あまり見かけることがないお菓子ですが、こちらのお店は長命寺製をアレンジ。焼き皮と桜葉の間に塩漬けされた桜の花が添えられており、より春を感じることができる桜餅です。

亥の子餅

 

11月になると京都の和菓子屋の店頭で亥の子餅を見かけるようになります。平安時代の宮中では、その年にとれた穀物で作られた亥の子餅を食べて無病息災を祈る「御玄猪(おげんちょ)」と呼ばれる年中行事が行われていました。玄猪の儀は民間にも広まり、旧暦十月亥の日、亥の刻に亥の子餅を食べて冬の無病息災を祈ります。また、猪は多産なところから、子孫繁栄を願ったともいわれています。

 

亥の子餅は、一般的にはこしあんを求肥などで包んだとても簡素なお菓子です。こちらのお菓子は、こしあんと共に秋の味覚である柿、栗、銀杏を羽二重で包んだとても珍しいものです。

 

昔は一般的な亥の子餅を販売していたそうですが、お客様のご提案を取り入れて40年ほど前から現在のような亥の子餅を販売されています。ただその当時は、食感が変わっているということが理由で京都の食文化として受け入れてもらうことができなかったそうです。しかし時代の流れと共に世の中の食の好みが変化して、ようやく数年前からこちらの亥の子餅を買い求めてお店へ足を運ぶ方が増えてきました。今ではお店には欠かせない晩秋のお菓子となっています。

顔見世

 

師走の京都といえば、やはり顔見世。南座からほど近くで営むこちらのお店では、約30年前より顔見世にちなんだ意匠のお菓子を販売されています。歌舞伎をあまりご存じない方でも、一度は目にしたことがあろう「三升紋(みますもん)」。市川團十郎をはじめとする成田屋の家紋として有名です。初代・市川團十郎が初舞台の時にご贔屓から三つの桝を贈られたことに由来する家紋です。

 

三升は「ますます繁盛(=升升半升)」をさらに上回って芝居小屋が大入りとなるようにといった願いが込められています。歌舞伎役者の着物の袖をこしあんと「こなし」(※)で表現して三升紋を型押しした威厳を感じるお菓子です。

 

※=白あんを主原料に粉を混ぜて蒸した生地

 

懐中しるこ

 

「懐中しるこ」は、懐にしのばせて気軽に持ち歩き、食べることができる汁粉です。最中の中には、サラサラのさらしあんが入っています。最中を割り、お椀に入れてお湯を注ぐだけで召し上がっていただけます。寒い冬場に買い求める方が増えるお菓子ですが、本来は夏場に暑気払いとしていただくものです。夏は冷やして涼菓として召し上がってください。冬場に食べる懐中しることは違う味わいがあります。

 

「これからは、新たな素材を使用して新しいお菓子作りにも挑戦したいです」と語るご主人。若い感性でどのような新しいお菓子を創り出すのかが楽しみで目が離せないお店です。

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取材・文・撮影/小倉 夢桜-Yume-