シェフインタビュー「本物を発信する場を作りたい」−−日本料理 龍吟 山本征治さん

2003年、六本木に開業して以来、日本料理だけでなく日本の食のシーンをリードしてきた「日本料理 龍吟」。ミシュラン7年連続の三つ星掲載、ワールドベストレストラン50への数回に渡るランクイン、世界のベストシェフ選出……。いくつもの輝かしい実績を作ってきた名実ともに日本を代表する名店が、開業15周年を迎える今年8月、日比谷に移転し新たなスタートを切った。オーナーシェフである山本征治さんに話を聞いた。

東京ミッドタウン日比谷の7階に構えた新店舗は11テーブルと個室。7階は同店のみの専用フロアになっており、エレベーターから降りると異空間へと導かれる。

 

 

––開業15周年での移転。どのような心境でしょうか?

 

「本物を伝えたい」というのが今の一番の思いです。それがうまく伝わるよう、第二章の幕開けを果たしたつもりです。

この14年間、「物事の真髄とはなんぞや」という思いでやってきました。そして行き着いた心境というのが、自分の店で、日本という国の価値を作って行きたいということ。自分自身の料理人としての価値ではなく、日本料理が日本の誇りになっているかどうかに力を注いでいきたいと思うようになりました。

奇しくも平成の最後に、皇居の近くという日本を象徴するような場所で新たに店を構えることになったことも、何か感慨深いですし、日本料理への使命のようなものも感じています。

 

 

ーーより「日本料理」に対する意識が強くなったということでしょうか。山本さんが考える「日本料理」のあるべき姿とはどのようなものですか?

 

日本料理は「日本の自然環境の豊かさを、料理を以て表現したもの」と、僕は定義しております。その時期の海の状態、山の状態がどうなっているかを料理で表す。そこには一切の作為がないようにしたい。季節のもの、素材感、組み合わせ……あらゆることを理解しなければいけない。なおかつ、その表現は多彩であって美しく、そして「和」の精神が通っているかどうか。器にしても、自分の料理を盛らせていただけるのか、それくらい自分の精神修行も成熟してきているのか、と私の心が問われるわけです。やっとそういうことが少しずつわかってくるようになってきました。

だから、素材も器もすべて本物だけを揃えています。ピュアで純潔な日本を守りたい、表現したいという気持ちからです。

店主の山本征治さんは、1970年生まれ香川県出身。

 

ーー素材に科学的なアレンジをされたり、色々なチャレンジをされていた時期もありましたね。

 

「チャレンジしたい」「あれもしたい、これもしたい」っていうものがあるうちは、何も知らない、未熟者だから「したい」んです。そしてやり尽くし、多くの事を達成してきた結果、今後料理人として、僕自身が評価を受けることに本当に意味があるのか、と思いはじめたんです。あらゆるところから評価をされることで成功を感じていましたが、それだけじゃダメだよね、という気がしてきました。

料理は作れても素材は作れない。料理はシェフのクリエイティビティではなく、日本の誇るべきものとして伝えていきたい。僕自身が評価を受けることが最終目標ではないはずだと思うようになってしまったんです。

龍吟でデザインし特別注文をしたという輪島塗のハロウィン椀。1年のごく限られた時期だけ使われるものにも本気の遊び心を。海外からのゲストも大いに喜ぶという。椀には、海老しんじょう、松茸、餅、コウモリを象った水前寺海苔を乗せて。

ーークリエイティブであることを突き詰めて、行き着いた境地なのでしょうか。

 

もちろん若い頃は自分自身が評価されたいという思いがありました。自分の個性やクリエイティビティを発揮したいって思っていた時期も長くあります。

そして本当にありがたいことに、色々なところで評価していただけて、じゃあ今、自分は何をすべきなのかを考えたら、「日本料理」の本質に向かい合って今だからできる地点まで、深く掘り下げていきたいと思うようになったんです。

「ご馳走とはなんぞや」。それはあらゆる状態を管理したものを指します。きゅうり一本、豆腐一丁でもご馳走は作れる。温度と状態をいかに管理するか。すごい技術をもったピザ職人が焼いたピザを1時間後に食べるのと、宅配ピザの焼きたてだったら宅配のほうがうまいんです。結局、料理はブランドではなく素材の命を預かって、いかに技術を施すか。「メニューは処方箋」なんです。食べた人を癒やさなければいけません。

鯛のお造りと焼き松茸は、アツアツに熱したすだち醤油を添えて。お造りがほんのり温まり、身の甘みと香りが更に際立つ。

 

ーー「メニューは処方箋」。名言ですね。

 

世の中の「美味しいもの食べたい病」の人たちを癒やす仕事なんです、僕たちは(笑)。

 

ーーそれにしてもこれまでとは全く違うステージに入りましたね。

 

料理人は偉くなることはないんですよね。「スターシェフ」という言葉があるけど、そんなんで、やっていける訳がない。私は、いらっしゃいませ。ありがとうございました。と頭を下げない日は一日もございません。お店にいらしたお客様、素材の作り手、器の作家さん。器に関しては、作家の方に永久レンタル料を払って使わせてもらってるという感じです。だからこそ器は壊してはいけないんです。大切にお預かりして、一生丁寧に使わなければいけない。

さらに言うと、料理人は料理は作れるけど、素材は作れません。自然は尊いんだということを実感させられるんです。

素材が本来もっている魅力を伝えるメッセンジャーの役割を負っているような気分です。あくまで主役は素材。伊勢海老なら「甘い」とか「食感がプリプリしている」とか、その素材の持ち味や価値を最大限に引き出すために、「蒸す」「焼く」「煮る」といった技法で施術というか、「施す」ことで美味しく料理することが料理人の心得なんです。

伊勢海老のしゃぶしゃぶは、焼いた伊勢海老の殻で取った出汁と白味噌を合わせたものに身をくぐらせていただく。殻を焼いたときに取れる海老の油を垂らし、さらに風味豊かに。伊勢海老のプリプリとした食感と甘みを存分に味わえる逸品。

ーー山本さんは、いち早く、世界に向けての発信も意識して行動されてきました。国際的な評価を受けるだけでなく、「日本料理」を世界に向けて伝える第一人者として、世界料理学会に参加されたり動画で調理法を公開したり。海外からのインターンを受け入れるのも、誰よりも早かったですね。

 

2004年に世界料理学会に登壇した時、ヨーロッパのシェフ達から「なんで日本は、外国の料理人を自分のキッチンに受け入れないんだ。我々はあんなにたくさんの日本人を受け入れてきたのに」と言われたんです。それ以来、僕はずっと海外からのインターンを受け入れてきました。現時点でウチを卒業した外国人研修生は388人になりました。15周年のときは、総勢80名以上の子たちが一人1分の動画メッセージを送ってくれて、それを見たときは嬉しくて感動しました。

広々と贅沢に作られた店内。天井に龍が描かれ、独自の世界観が広がる。
店内には、骨董から人間国宝の作品などの器が展示され、さながら美術館のよう。山本さんの私蔵コレクションから、季節などに合わせて内容を変えるという。

ーー後進を育成する、というのも非常に重要な任務ですね。場所も新たになり、目指していらっしゃることはなんでしょうか?

 

(前の店があった)六本木は9テーブル。今は12テーブル。スタッフは30人を超えます。日比谷に移転するにあたり、炭火を使えることが絶対条件。無理を言いましたが、三井不動産の協力を得て実現しました。7階から最上階の屋上まで専用ダクトが立ち上がっております。店の内装については、まだまだ絶賛手入れ中ですね。

たかだか飯屋なんですけど、料理を以てなにを伝えられるのか。感覚を呼び覚ますような体験をしていただける場でありたいと思っています。

日本の人には「日本に生まれてよかった」、海外の人には「日本てこんなに素敵なんだ」と思っていただけるような。そして、海外の方が帰国される際に、日本で一番よかったものは「食」だと答えてもらえれば嬉しい。今、観光客が東京に大勢来ますけれども、ここに来れば本物の日本料理とは何かが、わかるという場所にしていくつもりです。

料理屋として、「日本」を伝えるにはどうすべきかを常に念頭に置いています。嘘のないもの、本物と認められているもの、日本料理屋はそれが詰まってる場所であるべきだと。日本の本当の楽しみ方を伝えて行きたい。今、48歳ですが、これから自分の現役人生をそこに費やして行きたいんです。

数々の経験と実績を経て、まさに「円熟期」に入ったといえる「日本料理 龍吟」。

インタビュー中、何度となく「自分自身が評価されるのではなく、日本という国として誇れる料理を作りたい」と繰り返す姿に、料理人としての矜持と凄みのようなものを感じさせた。店も新たに魅力とパワーを増し、これからますます目を話せない存在である。

 

 

聞き手:小松宏子

撮影:松園多聞