【噂の新店】「寛心」

赤羽橋駅から徒歩3分ほどの場所にオープンした「寛心」

“一斉スタートおまかせコース”一辺倒だった昨今のファインダイニング。それが、近頃、少しずつ変わりつつある。そう、和洋を問わず、アラカルトスタイルの店が少しずつ増えてきているのだ。和食店の中には、コースの品数を減らし、足りない方はアラカルトから追加でどうぞ、というパターンもあり、客側の自由度は以前よりグッと高まってきた。

そんな昨今のレストラン事情にあって、まさに時流に乗った一軒が誕生した。2025年6月1日、大人の美食店が点在する東麻布界隈にオープンした「寛心」がそれ。仕掛け人は林亮治氏。西麻布の和食店「明寂」や麻布十番の中華料理店「一平飯店」、そして広尾のフレンチ「白寧」など数々の人気店を手掛けてきた名伯楽だ。その林氏が、今回白羽の矢を立てたのは中井甚恭さん。「京都 吉兆」で約20年修業を積んできた逸材だ。

店主の中井甚恭さん

中井さんとの出会いは、知人を通しての紹介だったそうで、林氏曰く「人柄で選びました」と一言。もちろん“「京都 吉兆」で20年”のキャリアがあればこそ、ではあるが、ただそれだけの理由では決してない。「人間性が一番大切で、あとは本人の料理の力量に合わせた店づくりをすればいいと思っています」と語る林氏の一言に、名店を輩出してきたオーナーとしての器量の大きさがうかがえる。

今回「寛心」を始めるにあたっての思いを林氏は次のように語る。「フォーマルでありながら、さまざまなお客様を受け入れたいという心持ちのあるお店。そういう優しさがありつつ、気品のある店を作りたいと思っていました」とのこと。単なるアラカルトのおいしい手軽な店というスタンスではなく、心尽くしの料理とそれを取り巻く空間や空気感、つまりは、設えやサービスなどすべてを含めたおもてなしの場をここで表現したい、食を通じて文化を継承していきたいと考える林流の哲学(或いは信念)がそこにある。そんな林氏が思い描く料理屋の有り様と中井さんが理想とする料理感が一致したこと、これが、この店を生み出した大きな原動力となっている。

店名の「寛心」は、心が広くおおらかで、周囲の状況などを穏やかに受け入れることができる状態を指す言葉

京都・宇治に生まれ、日本料理人だった父親の背中を見て育った中井さん。幼い頃、包丁さばきも見事な父親の姿に憧れ、料理人の道に進む決意を固めたとか。辻調理師専門学校を卒業後、19歳で「京都 吉兆 嵐山本店」に。ここで、文化としての日本料理を叩き込まれる。

「日本料理の気品というのは、世界中どこを探してもありません。それは、お茶の作法に基づく侘び、寂びがあるからですわ。ちょっとした墨画や俳句が書いてある掛け物でも、床の間に掛けてあると素敵に映る。四畳半、三畳の部屋でも『ああ、ええなぁ』という気がわく。その佇まいですな。日本料理というのは、長い歴史を経て今日のような形ができあがった。日本の文化そのもの、とゆうてもええと思います」。これは「吉兆」の創始者・湯木貞一氏の言葉だが、その精神は今も脈々と受け継がれ、中井さんにとっての日本料理に対する指針となったに違いない。

メインのカウンター席

東麻布の閑静な住宅街の中、辺りの静寂に溶け込むかのような佇まいを見せる「寛心」。店名が記された木の表札が無ければ、うっかり通り過ぎてしまいそうなほどその外観は慎ましい。店内に入り、まず目がいくのは真一文字の見事な一枚板のカウンター。あえて緊張感のある檜ではなく欅を使用。重厚感と品格はありつつもどこか温かみのある色調が、ゲストを寛いだ気分にさせてくれる。

個室は2部屋あり、繋げれば最大8名での使用も可

アラカルトが主体とはいえ、品書きを渡され、いきなりお好きな料理をどうぞと言われても、食べ慣れていなければ、どれから頼んでいいのか迷うもの。そこで、ここでは最初におまかせ3品が出され、その後、アラカルトの中から好きなものをオーダーするシステムとなっている。付き出しの豪華版といったニュアンスのおまかせは、先付け、煮物椀、炊きあわせの3品。「和食店の顔とも言えるだしは味わっていただきたいので、お椀は必ずお出ししたいと思っていました」と中井さん。

「鱧椀」

取材当日のお椀は牡丹鱧。骨切りした鱧に葛粉をつけて湯通しした様子が牡丹の花のように見えることからその名がある、日本料理の夏を彩る定番のお椀だ。見事に花開いた鱧の姿に包丁の冴えがうかがえる。椀妻に長芋の千切り、吸い口には梅肉と佇まいも清楚。最後に散らした青柚子が清涼感を誘う。無駄のない美しさに心が和む。

すっきりとした風味のだしが、夏の疲れた体にスゥーッと染み込んでいく

まず、だしを一口。見栄え同様、すっきりして綺麗なうまみが舌に広がる。昆布は利尻昆布。これを京都から取り寄せた伏見七名水の一つ“白菊水”に漬けること約10時間。こうして水出しした昆布水に本枯節を加えてとるだしは、京都仕込みらしいクリアなおいしさを感じさせる。

車海老の酢の物

飾り気のないお椀に対し、先付けの「車海老の酢の物」は彩り豊か。涼しげなガラスの器に盛り付けられているのは、車海老をはじめトマトやアスパラガス、黄ズッキーニなどの野菜たち。酢の物とはいえ、アスパラガスと黄ズッキーニは焼いて、ほうれん草はゆでて、とそれぞれ異なる火入れを施す手間もご馳走だろう。

賀茂茄子、湯葉、里芋、万願寺とうがらしの煮物

お椀の後の煮物も同様。賀茂茄子、湯葉、里芋に万願寺とうがらしは別々に調理し味付けも変えて提供。文字通り“炊き合わせ”となっている。この3品で6,600円。これをベースに、あとは各々好きな料理を追加するも良し、軽く飲んで済ませたいなら、この3品で終わらせるのも良し。その日の気分と腹具合に合わせられるゲストファーストなスタイルがうれしい。

手渡されたお品書きに目をやれば「焼き海老真薯」や「ミル貝のぬた和え」といった小鉢ものやお造り。「甘鯛」や「京赤地どり」などの焼き物に「賀茂茄子揚げ出し」「鱧フライ」といった揚げ物などなど。料亭仕込みでありながら小料理屋的な一品もあり、メニューの振れ幅の広さに、あれこれ迷うひとときもアラカルト店ならではの醍醐味だろう。その中で目に留まったのが、小鉢の「焼きカマセロリ」。

「焼きカマセロリ」550円

何かと思えば、魚のあらの部分の肉を丁寧に取り除き、セロリと和えたものだそうで「魚の中骨や頭のカマの部分の肉は、食べにくいけれども味はいい。捨てるのはもったいない気がしたんです」と中井さん。本来なら廃棄してしまうところを活用する、まさに京都や大阪でいうところの“始末の料理”。今風に言えば、サステナビリティな一品といったところだろうが、こういうところにこそ食いしん坊心をくすぐる美味があるものだ。塩焼きにした魚のほぐし身とセロリ、さらに胡麻や椎茸も加え、生姜で味を調えたその味は、さっぱりとして小粋。料理の箸休め的にもおすすめしたい佳品といえよう。

「スジアラ南蛮」(2個)1,320円

また、割烹らしさを感じたのは「スジアラ南蛮」。南蛮漬けといえば、作り置きされた冷たい料理のイメージが強いが、こちらのそれは出来立てを提供。片栗粉をつけてカラリと揚げたスジアラをアツアツのうちに甘酢と合わせて提供。出来立てならではのサクッとした歯触りの中、しっとりした食味もあり、作りたてなればこそのおいしさに頬が緩む。付け合わせの胡瓜のシャキシャキした歯応えもいい合いの手になっている。

「胡麻豆腐ご飯」(1合)2,200円

刺身、焼き物、揚げ物の中から1品ずつ選び、自分なりのコースをカスタマイズするのも、アラカルトならではの醍醐味だろう。〆の食事も「鱧寿司」や「時鮭煮麺」「季節の炊き込きみご飯」等々、目移りするほど豊富。中でも、一度試してみたいのが「胡麻豆腐ご飯」だ。

是非「削りたての鰹節」と一緒に味わってほしい

揚げたり焼いたり、椀種に用いたりと何かと用途の多い胡麻豆腐だが、胡麻豆腐の炊き込みご飯は初耳。中井さんに聞くと「『京都 吉兆 嵐山本店』でごくまれにお出ししていました。最初は私もえっ?と驚いたのですが、食べてみるとこれがおいしくて……。自分で店をやる時は、絶対にメニューに加えようと思っていました」とのこと。

程よい粘りを持つ「にこまる米」と、とろけるような食感の胡麻豆腐がなんとも言えないハーモニーを奏でる

ご飯は福岡県みやま市の金賞米「にこまる」を使用。粒が大きく艶があり、心地よい粘りが特徴のおいしい米だ。これをだしで炊き、蒸らしの際に胡麻豆腐を投入し、共に蒸らせば完成。炊き上がりは地味だが、味わいは滋味深い。

だし醤油がこれまた旨い

浅煎りの胡麻で作った胡麻豆腐はあっさりめ。そのやわやわととろけそうでいてもっちり感を残した食感と仄かにだしを利かせたもちもちのご飯とのハーモニーも絶妙。決して派手ではないが、しみじみと旨い。単品メニューの「削りたての鰹節」880円を追加してご飯にのせれば、おかわり必至のおいしさだ。

その日の気分や体調に合わせて、自分だけのメニューを組めるのもアラカルトならでは

「今後はお客様の要望にもっとお応えできる店にしていきたいですね。例えば、お客様が鱧しゃぶを食べたいとおっしゃったら、メニューになくてもご用意するとか。品書きになくても、食材さえ間に合うようならご希望に添いたいと思っています」と、中井さん。ラストオーダーは24時。21時以降なら6,600円の“おまかせ”なしでアラカルトを楽しめる。飲んだ後の〆に、あるいは2軒目使いにも重宝。日本酒、ワインも豊富にそろっている。グラスワイン赤・白各1,500円~、日本酒グラス900円~。ちなみに22,000円のおまかせコースもある。

※価格はすべて税込、サービス料(10%)別

食べログマガジンで紹介したお店を動画で配信中!
https://www.instagram.com/tabelog/

文:森脇慶子、食べログマガジン編集部

撮影:外山温子