〈僕はこんな店で食べてきた〉

死ぬ前に食べたい天丼を探して

その時、何を食べたいか?

最後の晩餐。死ぬ前日、あなたはなにを食べたいですか? というのは永遠のテーマである。

 

高級なレストランを食べ歩いているグルメなら、八重洲「シェ・イノ」の子羊の マリアカラス風や新橋「京味」の鮭のハラスご飯、麻布十番「たきや」の和牛ヒレ肉の天ぷら、赤坂「津やま」の鯛茶漬けなんて答えるかもしれない。どれもはじめて食べたときの衝撃は忘れられない味だし、たしかに死ぬ前にもう一度食べたいと思わなくもない。

いっぽうで「最後は白いごはんと大根の味噌汁」「鮭のおにぎりとお新香」「白飯に佃煮」などの粗食派、「母親の作ったカレーライス」「妻の得意なスパゲッティミートソース」といった“家族愛”組もいるかもしれない。

 

しかし私の場合、どれにも属さない。本郷の白山上にあった天丼屋「天安」の上天丼が理想の最後の晩餐だからだ。
「あった」と書いたのは意味がある。天安は2003年に閉店し、幻の天丼となってしまったのである。

 

私は文京区本郷で生まれ育ったため、この店には子供の頃から縁があった。
本郷通りに面した一軒家で、メニューは天丼と上天丼、それをばらした天ぷら定食と上天ぷら定食のみ。カウンターとテーブル、小上がりで計20席ほどの店だった。
私のお気に入りの上天丼は、穴子一本揚げと車海老、小海老と小柱のかき揚げがのっていた。普通の天丼は穴子と車海老がキスと芝海老の三連に変わった。

 

上天丼の当時の値段は1,500円ほどだったか。頼むと寡黙な主人が「上丼一丁」と注文を通し、天ぷらが完成したら「ごはんつけて」と調理場に声をかける。天つゆに浸された天ぷらはジュっと音を立て、羽釜で炊かれたぴかぴかのご飯にのり、供せられるというわけだ。
胡麻油で揚げられた香り高い天ぷらは、衣が心持ち硬く、それが天つゆで半分しなっとしたところで掻きこむのがなんともいえないうまさだった。

 

ご主人には後継者はいなかった。閉店後、天安の味を継承する店はなくなり、私としては天安を上回る天丼を探さないと、死んでも死に切れないことになってしまったわけだ――というのは大げさだが、それくらい天ぷらというジャンルは私にとって若い頃から魅力的だった。が、高い天ぷら専門店などには行けるわけがなく、高級天ぷら店デビューは20代後半。こちらもいまはなき赤坂「楽亭」だった。

 

開店当初はランチで天丼を出していたらしいが、私が行った頃は、昼も夜もコースのみ。寡黙な主人は余計なことはほとんどしゃべらないが、揚げる技術は一級品だった。
いまでこそ当たり前になっているが、当時は数少ない同時刻一斉スタートで、中途半端な時間に入ると次の一斉スタートまで刺身でも食べながら待っていないといけなかったが、そんな時間を過ごしてでも行きたい店だった。

系譜で辿る天ぷら行脚

あるとき、会社の近く、平河町に新しい天ぷら店が出来た。近寄ったら、「猿楽町天政より」と書かれた暖簾を発見して、俄然興味が湧いた。
天政の初代は昭和のはじめに担ぎ(魚の行商)からスタートし、「懐紙に油が付かない」という伝説を持つ名人で、一代で神田にお座敷天ぷらの店を開いた。「天政には到底いけないが、ここならいけるかも」と思ったのが平河町「天真」との出会いだった。

 

ランチが中心だったが、天真にはかなり通いつめ、主人から天ぷらの流儀や天政独特の天ぷらについて学んだ。天ぷら専門店は寿司屋の10分の1しかないが、修業店ごとに特徴があるということを知ったのも天真の大将に教わったことだ。
そういわれれば、山の上ホテル出身の楽亭と天真は天ぷらの流儀が違う。そのことを知って、まずは天政出身の天ぷらを行脚することにした。

「天真」 柏原さん撮影

赤坂見附の「かねき」(当時は「天ぷら Okamoto」)、虎ノ門「逢坂」、浅草「春日」、神楽坂「天孝」などがそうで、衣に使う卵は全卵、車海老の大きさはキロ63本と大ぶりなものを使い、ふんわりとした天ぷらが天政出身者の特徴だった。

 

いっぽう、楽亭の主人が修業した御茶ノ水「山の上ホテル」のメインダイニング「てんぷらと和食 山の上」出身者は、銀座「近藤」、京橋「深町」が当時から有名だったが、この数年で言えば麻布十番「前平」、蔵前「下村」もそう。早い時期から野菜の天ぷらを多く揚げ、温度の違う天ぷら鍋を二種類使うなど、先進的な取り組みをするのが山の上流だ。

「てんぷらと和食 山の上」 出典:ノブタcomさん

また、天政とならび、昭和初期から始まり、大チェーンを形成したのが「天一」だ。本店は銀座にあるが、支店は30以上。有名なところでは麻布十番「畑中」、名古屋「にい留」、銀座「天亭」あたりが天一出身で、天政とくらべると高温でカリッと揚げるのが特徴といえるかもしれない。

「天ぷら 畑中」出典:ハツさん

天政、山の上、天一グループの特徴がわかりさえすれば、高級天ぷらの系譜はだいたい頭に入る。あとは「みかわ」グループや「七丁目京星」に代表される関西風天ぷらあたりを押さえればほぼ万全だったが、ここ数年で台頭してきたのが「天ぷら専門店で修業していない天ぷら店」だ。

 

麻布十番「たきや」や静岡「成生」、6月に名古屋から四谷に移転した「くすのき」などがそうで、修業先の伝統に従う必要がないから、いまの「お客様目線」で美味しい天ぷらとはなんぞやだけを考え、訪れるたびに驚きがある。

成生 出典:サプレマシーさん

が、最後の晩餐と聞かれれば、胡麻油の香る昔ながらの天丼だなあ。きっと味だけでなく、幼少期の思い出もリンクしているからだろう。

暫定的“最後の晩餐”

なかなか「幻の天安」を上回る店には出くわさないが、いまの一押しは江戸川橋にある「天仙」。店を仕切る早川さんは天一の出身で、夜は良心的な値段でコースを食べさせるが、昼の天丼、かき揚げ丼が私にとって出色の出来。

「天仙」柏原さん撮影

天安がなくなって15年、いまのところ、私の「最後の晩餐」はここと決めている。

 

★今回の話に登場する店

・天真

・てんぷらと和食 山の上

・天ぷら 畑中

・てんぷら 成生

・天仙