【噂の新店】「天ぷら北川」

2025年1月7日、恵比寿にオープンした「天ぷら北川」

「天ぷらって、寿司に比べるとあまり進歩がないように思うんですよ。もっと自由な発想があってもいいんじゃないかと感じています」。開口一番、こう語るのは村田直彦さん。2025年1月7日、東京・恵比寿にオープンしたばかりの「天ぷら北川」のご主人だ。その言葉通り村田さんの天ぷらへのアプローチは、なかなかユニークだ。といって、アバンギャルドなわけでは決してない。供される天ぷらは極めてシンプルかつ正統的。だが、その手法は、従来の天ぷら店のセオリーとはいささか異なっている。それは、ひょっとしたら村田さんの経歴に由来しているのかもしれない。それというのも村田さん、「天ぷらはほぼ独学」という破天荒なキャリアの持ち主なのだ。

店主の村田直彦さん

実家は静岡。17歳で家業の寿司屋に手伝いに入ったものの、20歳で上京。「まだ10代、20代でしたからね、遊びたい盛りで。いろんな物を見て、経験してみたいという思いもありました」と村田さん。東京で見聞きした日焼けサロンやネイルサロンに刺激を受け、22歳で地元に戻ると早速起業。日焼けサロンとネイルサロンを始めたそうで、時にクラブのDJもやっていたというから、その多才さはなかなかのものだ。そして30歳の時に再度東京へ。今度は会員制ラウンジのスカウトマンとして敏腕を振るう。が、さまざまな仕事に就きながらも、村田さんの心の奥底には「ゆくゆくは料理の世界に戻る」との強い思いが刻み込まれていた。「一度は目指した料理人への道から逃げだし、中途半端にしてしまっていることに対する忸怩たる思いがあったのも事実です」

シンプルで清潔感のある雰囲気の店内

そして出合ったのが、静岡「成生」の天ぷらだった。そのおいしさに感動した村田さん、35歳にして天ぷら職人を目指して一路邁進。だが、常套通り天ぷら店に修業に入ったわけではなかった。料理に関しては10代の頃、寿司屋で多少聞き齧ったとはいえ、ほぼ素人からのスタート。年齢的にも、一から店で修業を始めるには難しかったかもしれない。そこで、名店といわれる天ぷら店を食べ歩くと同時に、天ぷらに関する本を片っ端から取り寄せでは実践したそうで“揚げては試食“の毎日だったとか。その傍ら、日々の生計を賄うべく2018年に「味噌らーめん専門店 柿田川 ひばり」を静岡でオープン。2021年には、恵比寿にも店を構えるほどの人気店に。件の天ぷらは「ラーメン店が終わった後、(スープの)寸胴鍋を天ぷら鍋に置き換えて毎晩練習していましたね」と振り返る。

ラーメン屋を営みながら、約4年の歳月をかけて完成した村田流天ぷら

およそ4年の月日を費やして、自ら納得のいく天ぷらを完成させた村田さん。すぐにも店を始めようかとも思ったそうだが「天ぷら店での経験を全く無しで店をやるのもちょっと不安でした。自分1人で揚げているのと、何人ものお客さんを相手に揚げるのでは勝手が違うだろうし、店の回し方や経営面なども学びたかったんです」というわけで、天ぷら界のレジェンド「てんぷら 近藤」に、独学の集大成として1年間お世話になることに。「てんぷら 近藤」では、ご主人近藤文夫氏の傍らに付き、そのノウハウを目にしながら、自身で確立した天ぷらの理論と比べつつ再確認していく日々だったそうだ。

店に入ると「天ぷら北川」の表札が出迎えてくれる

かくして、今年1月7日、待望の天ぷら店を開店。店名は「天ぷら北川」に決めた。自分の名を冠するにはまだ時期尚早との思いがあったからだ。由来を聞けば「妻が好きな俳優の北川景子さんの名にあやかった」のだとか。新しいビルの地下、素っ気ない無機質な扉を開ければ「北川」と記した表札が出迎えてくれる。店内はカウンター9席のみ。余計な装飾を省きすっきりとまとめた店内は、落ち着いて天ぷらと向き合える雰囲気だ。

それにしても、天ぷらのいったいどこに、それほどまでの魅力を感じたのだろうか。村田さんに尋ねると「天ぷらって、ごまかしの利かない究極のシンプルな料理だと思うんです。そこに引かれました」との返事が帰ってきた。奇を衒わず、あくまでも王道の味を深めていきたいと考えている。

一般的な天ぷらよりも油の温度が低めなため、揚げている最中の音が静かなのも新鮮

さて、その天ぷらだが「近藤さんと僕とでは、衣の作り方も揚げる温度も全く違っていたんです」とのことで、例えば、衣。「てんぷら 近藤」では、水に全卵を入れ、泡状になった卵白を取り除いて卵水を作るのに対し、村田さんの場合は全卵に水を入れ、しかも、卵白をメレンゲ状に泡立てている。その衣は、まるでパンケーキ生地のよう。とろっとしてややもったりとした質感ながら、いざ揚げてみると「衣に気泡ができるため立体的に揚がる」のだとか。立体的に揚がることで、食感の軽い衣に仕上がるというわけだ。また、揚げる温度も160~170℃と通常より低め。静かな天ぷらだ。

大方の天ぷら屋では、巻き海老からコースが始まるのが常だが「北川」では、シグネチャーメニューでもある“太刀魚”からスタートする。同郷・静岡のカリスマ鮮魚店「サスエ前田魚店」から取り寄せている太刀魚だ。村田さんは、これを3日間ほど寝かしてから使用。曰く「魚の締め方や冷やし方、配送技術の進化によって、魚の鮮度や状態も昔より遥かによい状態で入ってくるし、保存方法も技術の進歩により向上してきている。急いで使わないといけない理由がなく、落ち着いて魚と向き合っても良いのではないかと思うんです。寿司屋さんでも魚を寝かす時代になっていますから。寝かすことでまた違ったうまみに変わり、食材へのアプローチの幅も広がりますからね」というのがその理由。太刀魚の他にも、鯵やえぼ鯛も寝かしているそうだ。

太刀魚

明るい狐色の衣に包まれた揚げたての太刀魚に歯を立てれば、サクッフワッの食感に思わず目を見張る。そう、衣はあくまでもサクサクなのに、太刀魚の身はふんわり軽やか。その食感のコントラストが実に絶妙なのだ。「気泡がたくさん入っていることで、その分、油を吸収する質量が少なくなり(衣が)軽くなるんです」と村田さん。油切れも上々。舌にじわっと残るうまみの余韻が、続く天ダネへの期待を募らせる。

次にカラリと素揚げにした海老の頭の部分や海老の天ぷら、走りのグリーンアスパラガスと続いて、村田さんおすすめのじゃがいもの登場となる。聞けば、皮が赤色の珍しい赤じゃがいも「レッドムーン」を1年8カ月ほど熟成させたもので、これを約1時間かけて揚げていくのだという。その揚げ方も独特だ。

じゃがいも

「てんぷら 近藤」のさつまいものように、低温からじっくりと揚げていくのかと思いきや、じゃがいもを揚げては取り出し、休ませてはまた揚げて、とまるで、肉の火入れ(低温調理)のような揚げ方が村田流。村田さんによれば、チャーシューの火入れにヒントを得たそうで「150~160℃ほどの油に2~3分ほど揚げたらバットに上げてホイルで覆い保温させ、冷めてきたかなというところでまた揚げる。これを10回ほど繰り返しています」とのこと。こうすることで、甘みがより引き出されるのだという。

極太サイズが特徴的な静岡産のオデオゴボウ

他にも、後半に登場するオデオゴボウが1時間、さつまいもに至っては2時間かけて揚げる手間のかけよう。ちなみに、オデオゴボウとは、富士山麓の牛蒡農家で作られている牛蒡で、通常の倍以上の太さがあるのが特徴。これをやはり1年2カ月ほど熟成させて使っているとか。土の香り高く、仄かに甘みを感じるのはそれゆえなのだろう。

ごぼう

一風変わっているのは鯵。やはり「サスエ前田魚店」から取り寄せ、3日間ほど寝かしたものをレアに揚げ、天つゆや塩ではなく、煮切りとわさびで食べさせるのが村田さんのスタイル。また、どんな魚でも同様の調理法が通用するというわけではない。魚の締め方と配送技術に長けた「サスエ前田魚店」の鯵だからこそ、寝かした上での調理ができるのだ。

この調理方法について、村田さんはこう続ける。「漁獲量や収穫量が減っている今日、資源を大切にする意味合いも含めて、魚や野菜を寝かす技術、熟成させてよりおいしくする技術を伸ばしていきたいと、日々向き合っています」

そして、鯵のうまみを引き出すわさびも静岡産。少しテイストの違う一品が出ることで、油ものが続くコースも単調にならずに楽しめる。その他、半生で揚げる北海道野付の天然ホタテや静岡の原本椎茸等々、素材への吟味にも抜かりはない。

レアに揚げられた鯵とわさびの相性は抜群

全12~13品を堪能した後の〆は、天丼か天茶を選択するシステムで、今回は天茶をチョイス。というのも、だしに「手火山式焙乾製法」で作られた静岡の鰹節を使っていると聞いたからだ。

天茶

この手火山式とは、350年以上の歴史を持つ最古の製法で、すべてを手作業で焙乾して作られており、従来の鰹節とは香りが雲泥の差! なるほど、目の前に丼が置かれるや馥郁とした香りが立ち上り、それだけでおいしさが伝わってくる。そこへ、揚げたてのかき揚げを村田さんがすかさず投入。ジュッという快音に、自ずと胃袋が開いていく。

揚げたてのかき揚げを丼の中に投入するときの「ジュッ」という快音がたまらない!

一口だしを啜れば、風味豊かな香り通りの深遠な味わいが、じんわりと舌に広がる。かき揚げの具は白海老(富山の白エビとは別物)。澄んだだしのうまみに太白胡麻油のコクが合わさり、さっぱりとしていながらも食べ応えがあり、最後を締めくくるにふさわしい満足感を与えてくれる。

だしと天ぷらの油を吸ったご飯がまた美味

食後に静岡の煎茶が出されて大団円。これでコース18,500円。費用対効果も抜群だ。ちなみに、アルコール類も日本酒からワインまで幅広く用意。中でも、日本酒は、メニューにない希少なお酒がそろっているので、村田さんに聞いてみると良いだろう。日本酒1合900円~、グラスワインは2,000円~。

アルコール類は、特に日本酒好きにはたまらないラインアップとなっている

※価格はすべて税込

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撮影:外山温子

文:森脇慶子、食べログマガジン編集部