〈今夜の自腹飯〉

予算内でおいしいものが食べたい!

食材の高騰などで、外食の価格は年々あがっている。一人30,000円以上の寿司やフレンチもどんどん増えているが、毎月行くのは厳しい。デートや仲間の集まりで「おいしいものを食べたいとき」に使える、ハイコスパなお店とは?

小寺慶子

肉を糧に生きる肉食系ライターとして、さまざまなレストラン誌やカルチャー誌などに執筆。強靭な胃袋と持ち前の食いしん坊根性を武器に国内外の食べ歩きに励む。趣味はひとり焼肉と肉旅(ミートリップ)、酒場で食べ物回文を考えること。「イカも好き、鱚もかい?」

知らなければ通り過ぎてしまう“暗闇坂下”のビル内に穴場ビストロを発見!

麻布十番商店街から元麻布方面へと抜ける暗闇坂。昔は道のまわりに樹木が生い茂り、昼間でも薄暗かったことからその名がつけられたというように、どこか情緒的な風情が漂う坂下界隈には、著名人がお忍びで通う飲食店も多い。

その一画で宵闇にぽっかりと浮かぶように佇む真新しいビル。エレベーターで上階へとあがり、チリンとベルが鳴る扉を開けると、そこに上質で落ち着いたカウンターのみの「たそがれ」がある。“暗闇”に対して“たそがれ”とはなかなか洒落ているが、それ以上に、黒板メニューに書かれた料理に類稀なるセンスの予感。席に着いた瞬間から始まる“マジックアワー”への期待に胸が膨らむ。

ビルの外にも看板があるが、ふらりと入るにはやや勇気が。入り口から向かって右奥にゆったりとしたカウンター席が見える

ずっと昔からこの場所にあり続ける店のような居心地のよさと落ち着いた雰囲気。カウンター内で調理にいそしむ双川洋利さんと緑子さんの自然体の接客もあって、店内にはおだやかでリラックスした空気が流れる。洋利さんは調理師専門学校を卒業後、フランス料理店で経験を積み、夫婦で麻布十番に「れとろ」という店をオープンしたのは10年前のこと。趣のある古民家でフレンチをベースにした料理をアラカルトで供する店として人気を集めたが、建物の老朽化で今年2月に現在の場所に移転し、店名を改め新しいスタートをきった。

キッチンとカウンター席の距離が近く、食材が調理される音や温度を間近に感じられる。コンパクトな空間ながら隣席との間隔もゆったりとしており、ひとりでもリラックスした時間を過ごすことができる

一風変わった店名は「黄昏時のゆっくりと日が暮れていく時間が好きで、一日の終わりになごやかな気持ちで過ごしていただける場所になれたら」という双川シェフの思いから。バーやカジュアルな酒場は多いが、大人が夜遅くにくつろぎながら料理を楽しめるレストランが意外と少ない麻布十番で、心弾む美味を気構えずに味わえると注目を集めている。

オーナーシェフの双川洋利さん。都内のフレンチやワインバーなどで働いたのちに独立。ワインのセレクトとサービスは奥様の緑子さんが担当。「こうでなくては、というルールや正解がないのが僕の考える料理の面白さ。ベースにあるのはフレンチですが、そこにとらわれすぎずに自分の料理を楽しんでいきたいです」

メニューからは想像できない!? 期待値をはるかに上回る料理のオンパレード

ある程度食べ慣れた人なら、メニューを見ればそれがどんな料理かを想像するのはそれほど難しいことではないかもしれない。自分や一緒にいる相手の気分と腹具合に応じて、アラカルトのなかから数皿を選ぶのは、食いしん坊にとって至福の時間だ。ところが「たそがれ」では黒板メニューを見た瞬間に悩む。見れば見るほど、黒板メニューとにらめっこ状態になる。

食いしん坊ほど、思わず「食いつく」黒板メニュー。料理はアラカルトのみ。前菜からメインまであれこれ悩むのも楽しい時間だ

本日の料理、と書かれた下に並ぶのは、うさぎサラダにホタテ貝のアメリカンドッグ風、アイルランド産の牛ハラミ チャプチェ添えetc……といった具合。頭のなかにはてなマークが浮かび、メニューを追うごとにそこにびっくりマークが加わり「一体、どんな料理なのだろう」と食欲と好奇心が湧き上がる。季節はもちろん、食材の仕入れによっても内容が変わるので、それが“一期一会”の料理という可能性もある。だからこそ何度でも足を運びたくなるのだが、こんなに料理を選ぶのに頭を悩ませる店はなかなかないと、ワインを飲みながら心のなかでにんまりとする。