【シェフインタビュー:運命の食材との出会い】

 

たかがさんま、と侮るなかれ。―「銀座矢部」矢部久雄さん

 

江戸の昔は下魚として庶民に愛された“さんま”に魅せられて

 

落語の秋の噺の定番の一つである「目黒のさんま」。かように、さんまは、江戸の昔から現代まで、日本人が愛する大衆魚のナンバーワンの座を守り続けている。秋になれば必ず、好・不漁のニュースが流れることからも、生活への関わりの深さや関心の高さのほどがわかる。残念ながら、この3年ほどさんまの不漁が続いていて、今年も高値は必至。それだけに、さんま愛を募らせている御仁も多いことであろう。

 

名割烹「銀座矢部」の一番人気はさんまの塩焼き

銀座に店を構える高級割烹でありながらさんまの魅力にとりつかれ、さんまの塩焼きを看板メニューに挙げる「銀座矢部」。職人の鑑のような店主・矢部久雄さんは言う。「筍、鮎、松茸、蟹…、四季折々の高級食材の時期を抑えて、いちばん予約が殺到するのが、『さんま入荷しました!』のお知らせを出したときなんですよ」。秋風が吹き始めると、常連のお客さんたちはそわそわするのだという。

日本人の多くはさんまの塩焼きを食べたことがあり、それだけの絶大な支持を得る名品とは、そこらのさんまの塩焼きとどこが違うのであろうか?

「さんまは、はらわたが美味しいっていうのは、誰でも知っていますよね? でも、ただ焼くと苦いだけになっちゃう。結局、半分以上の方が残される。それでなんとかならないかと試行錯誤して行きついたのが、この方法なんです」と。

早速、さばくところを見せてもらう。

「普通は腹から開くでしょう? するとどうしても、内臓を傷つけてしまう。だから背開きにするんです」。いきなり美しい内臓が現れた。

 

「上質な内臓脂肪がどれくらいついているかが、美味しさの決め手。本当にいい時期のさんまは脂が真っ白に。そんな上ものだと、口の中が心地いい脂の甘みでいっぱいになります。今日のは、まだそこまでついてないですけれどね」

まず、内臓を丸ごとはずし、苦みのもとである胆のうとひぞうを除く。そのあとに、内側から骨をすきとり、皮を破らないように骨をはずす。さんまの骨は身にからみついているから完璧に取るのは難儀だ。次に身の厚さを揃え、破れを防ぐために、尾の部分をへいで包材にする。そうして、掃除をした内臓を戻し、もう一枚でふたをする。いやはや手のかかる下処理だ。これを一日何十尾とこなすのだから頭がさがる。

 

 

 

「とても一人では手が回りませんよ。だから、うちの二番手はこれができなきゃ務まらないんです。でもね、みんなこれができると独立していきます」と矢部さんは笑う。

 

“天然・国産”のさんまはDNAに刻まれた美味

今日のさんまはどこで揚がったものだろうかと訊ねれば、「北海道厚岸の浜中で揚がったもの」との答え。さんまは回遊魚で、夏場はオホーツク海を回遊して成長し、秋に産卵のために寒流に乗って北海道へと下っていくのだという。

「初荷は毎年7月下旬。棒受け漁(夜間に集魚灯で網に追い込む漁)が出漁されるのがお盆頃。今年、お盆直後に築地の中卸からさんまが入ったと連絡があった船は、ロシアで拿捕されちゃいました。命がけですよ、さんま漁も。9月いっぱいは釧路、根室のあたりで、その後10月になると三陸沖のあたりまで南下してきます。その後はだんだんやせてくるので、うちで出すのは10月いっぱいくらいですね」と。

これだけ、食べ物の季節感がなくなりつつある今の世の中で、さんまほど、きっちり旬を教えてくれる魚もない。また、回遊魚であるから養殖が難しい。大衆魚であってもさんまは必ず、天然の国産。それが、日本人が代々、好む味だったわけだから、まさにさんまはDNAに刻みこまれた美味なのである。

 

極上のさんまは仲買いとの信頼関係から

築地に通うのが日課という矢部さん。仲卸との信頼関係も、30年以上の年月をかけて築かれたものだ。さんまは鮮度こそが命。朝、港に揚がったあと、航空便で築地へ送られる。それを翌朝、仲卸が競り落としたさんまを購入するわけだが、その日いちばんの上ものが矢部さんに渡るかどうかは、仲買いとの信頼関係で決まる。だからこそ日々、市場に顔を出し、さんま担当と話し、さんまの状態を確認する。自身が目利きでなければ、最高の素材は仕入れられないのだ。

はたして自慢のさんまの塩焼きを口にすると、皮はパリッ、身はしっとり。心地よい脂の甘みと内臓のホロ苦みが口の中で一つになり、野趣に富みながらも、あくまで品がいい。ファンが毎年待ち焦がれるというのも頷ける。

 

金田中で培われた炭焼きへの思いと技術

絶妙の焼き加減について秘訣を聞くと、「なんといっても備長炭の力ですよ。炭の遠赤外線効果がなければ、とてもこうは焼けません」という。初めて炭の偉大さを知ったのは、料亭「金田中」で修業をしていた時代のことだそうだ。「それまでは上火のガス赤外線グリラーで焼いていましたが、焼き上がりが全然違うんです。水分を残しながら身はふっくらと立ち、皮はパリっと香ばしく焼き上がる。金田中では、季節になるとさんまを姿のまま焼いて出していました。普段は高級魚しか口にしないような社長さんや政治家が目の色を変えて食べてくれた。一度に50~60人のさんまを炭で焼くのだから、それはもう大変。

 

5分たった大根おろしは捨てるというような厳しい親方でしたから、勉強になりましたね。以来、自分の店を持ったら、必ず、旬のさんまを炭で焼いて出そうと思っていました。お客さんには焼きものの醍醐味を体感してもらいたくて、炭焼き台も見えるフルオープンのカウンターにしました」と矢部さんは言う。さんまを焼く手元を眺めながらのお酒がまた旨い。

「銀座矢部」の名物、さんまの塩焼きは、金田中での修業時代の気づきに始まり、築地市場との信頼関係、そして、職人・矢部久雄の矜持が完成させた一皿なのである。

 

撮影:小野広幸