〈運命の食材・特別編〉

東京の森に、美味しさを求めて

都心から1時間半。食材入手ルートに同行してわかったこと

 

野山で草木や花を友として遊んできた少年が、長じてイタリア料理をめざし、単身渡伊。技術と感性を磨き、自らの可能性を試したいからと、敢えて、生まれ育った京都を離れて、東京に店を開いたのが3年前。その名もイタリア語で草を意味する“erba” da nakahigashi。かつての少年の父は、摘み草料理で名高い京都「草喰 なかひがし」の店主・中東久雄さんと聞けば合点がいくことだろう。

 

「エルバ ダ ナカヒガシ」オーナーシェフの中東俊文さんは、西麻布という都心に店を構えながら、週に2~3回、1時間半ほどかけて緑深いあきる野市の秋川渓谷に通い続けている。あきる野市の道の駅から渓谷の山歩き、そして秋川の鮎名人が釣る鮎まで、中東さんの食材の入手ルートに同行することで、素材や料理への熱い思いが見えてきた。

新鮮でリーズナブルな食材の宝庫、道の駅に到着

初夏のある日、西麻布の店から一路、あきる野へ。都心への渋滞とは逆方向ゆえ、1時間かからずに道の駅「八王子滝山」に到着。

 

「都心のスーパーに比べれば、収穫してから売り場に並ぶまでの時間が半分ほどですから、鮮度が全く違うし、なんといってもリーズナブル。ヤングコーンが束になって200円。トマトも味が濃いんですよ。葉唐辛子って知ってますか? じゃこと炒め煮するとすごく美味しいんですよ」。見るまにかごがいっぱいになる。

 

買い物終了後は秋川渓谷を目指す。京都に生まれながら、なぜ、あきる野市にたどり着いたのかと尋ねると「夏にはどうしても鮎を焼きたくて、初めは京都から送ってもらっていたんです。でも鮎のように繊細な魚を生きたまま運ぶのは難しい。そこで、ネットを検索しまくって、秋川に鮎釣り名人がいることを見つけました。あたって砕けろで、行ってみたんですね。何度も足を運ぶうちに心を開いてくれて、名人・小峯和美さんの鮎を購入することができるようになりました。都心から1時間半でこんなに豊かな自然があることがうれしくて、そのたびに山を歩きまわりました。体が山を渇望していたんですね。同時に、せっかく東京という土地で店をやるのだから、近郊でとれたものを食べるべきだと思えてきました。身土不二の考え方です。京都から食材を送ってもらうのをやめて、あきる野市に通うようになったのです」。

都心から1時間半、秋川渓谷へ

今回はその片鱗を紹介してもらった。車を停めて、まずは、道沿いに生えている山いちごを採取。口に入れると、瑞々しい甘酸っぱさがあふれ出す。その合間にもシオデという野生のアスパラガスのような山菜を見つけては摘んでいく。

 

「これ、なんだかわかります? この蔓にむかごがなるんですよ」と教えてくれる。平らに開けている土地には、野生のミツバやカタバミがたくさん自生している。今日の冷菜に添える予定だそう。そのすぐそばにあるドクダミは、干してお茶にする。大きなイタドリの葉ははさみで切り取り、何枚も重ねて持ち帰り、盛りつける皿として使う。崖を登ったところには、山椒の木が群生していて、その香りの清々しさといったらない。必要な分だけ葉は取るが、実は取らずに秋まで完熟させ、より複雑でスパイシーな風味を楽しむのだという。帰りがけにも、明るい橙色のノカンゾウの花を見つけ、車を停めた。

 

「甘くて優しい味なんですよ、ほんの少しとろみもあって、金針菜みたいですよ」と嬉しそうに説明してくれる。山の中であでやかに咲き誇る花も、中東さんの手にかかれば美味食材になるのだ。

「山は、繰り返し同じところに行き、固有の生態系を知ることが大切です。春になると、このあたりには何が芽吹くのか、花が咲くのはいつ頃で、その後2週間もすれば実がなり始める。そんな自然のサイクルを体で覚え、森の知恵を授からなければ、野草を料理に使うことはできません」とも教えてくれた。

 

最後の目当ては、稀代の鮎釣り名人

 

あきる野市での仕入れの最後は秋川の鮎だ。秋川漁協の公認のおとり鮎の販売所にもなっている「舘谷売店」の主であり、鮎釣り名人の小峯和美さんの元を訪ねる。

「ほれ、昨日釣って、一日泥をはかせた鮎を30尾。秋川だけじゃ揃わないから、支流も行ったよ。むしろそっちのほうが苔の状態がいいね」と小峯さん。今年は鮎が少ないと嘆きながらも、名人のプライドにかけて、最高のものをそろえて中東さんに渡したいという思いが伝わってくる。

そんな信頼関係が築かれたのも、中東さんの自然を愛する心や、料理に対する真摯な姿勢があってこそだ。早速、酸素のポンプ付きのクーラーボックスに移し、東京へ向けて出発。鮎は時間との勝負だ。東京へ戻る1時間の間でさえ、弱ってしまうものもあるのだという。であれば、無理に京都から送ってもらってもいい状態で出せるわけがない。「鮎のおかげで豊かな東京の自然にたどり着けて本当によかったです」と中東さんは笑う。

 

とれたての食材を、料理に

店についたら、早速荷をほどき、本日の戦利品で料理を始める。料理に使わない野草や花も店を飾る生け花として使う。

 

まず1品目は「エルバ ダ ナカヒガシ」のシグニチャーディッシュでもある、サイフォンで沸かすミネストローネスープだ。

サイフォンの上の部分にトマト、ケール、ニンジンの葉、かぼちゃの種など、旬の野菜を干したものを入れ、下には生ハムとチーズでとったピュアなスープを入れて加熱。沸騰して野菜のエッセンスや香りを取り込んだスープを、季節野菜を盛り込んだ皿の中に注ぐ。シンプルでありながら、野菜の旨みをまとったスープの、淡い中にも大地を感じさせる豊かな味わいに陶然となる。具材である野菜は、ゆでたり蒸したり、炭火で焼いたり、それぞれの持ち味を最大限に生かす処理が施されている。

 

続いては、鮎の塩焼きエルバ ダ ナカヒガシ風。「小峯さんが全霊をかけて釣った鮎の尊い命をいただくには、イタリアンにおいても塩焼きに勝るものはありません。アクセントにビーツのカルピオーネをソルベにしたものを添えました」。

 

ベルナルドの器に描かれた流水文が、鮎の泳いでいるような姿と絶妙のマッチングを見せている。「実はこの皿、父が親しくしていた京都の作家さんの息子さんの作品です。父が昔オーダーしたのと同じ流水紋を、あえて洋食器に描いてもらったという思い入れのある器なんです」と中東さん。京都のバックグラウンドに現在の世界観を重ねた、まさにエルバ ダ ナカヒガシを象徴する一皿といえるだろう。

 

最後の料理は、塩もみしてカチカチになった鮑をすりおろすという、魯山人が好んだ鮑とろろをアレンジしたもの。冷たいパスタにたっぷりと鮑をかけ、先ほど摘んできたカタバミやアカザ、スベリヒユなどを添え、ノカンゾウの花をあしらって完成。海と山の恵みが出会った、なんとも贅沢な一皿だ。

 

「植物には食べて美味しいもの、食べられるけれど美味しくはないもの、食べると毒になるものがあると父に教わりました。大切な森の恵みを料理に生かそうと思っても、自然を見分ける術がなければできません。森と共に暮らし、先人から学んだ森を生かす知恵を受け継いでいきたいと思います」と中東さんは言う。「エルバ ダ ナカヒガシ」の料理には、どの一皿にもそんなの命が詰まっているのだ。

撮影:小野広幸