豚骨ラーメンの歴史に思いを馳せ、聖地久留米へすすり旅

福岡県・久留米市は豚骨ラーメン発祥の地として知られています。1937(昭和12)年、「南京千両」(今も営業中)で“史上初”の豚骨ラーメンが生まれ、その10年後「三九」初代の“煮込みすぎた偶然の失敗”により現在も一般的な白濁豚骨が誕生。それが佐賀や熊本、宮崎など九州各地へ伝播していった……というのが大まかな九州豚骨ラーメンヒストリー。つまり、久留米は豚骨ラーメンファン垂涎の場所。そして、作り手であるラーメン職人にとっても聖地というわけです。

豚骨ラーメンの記念碑!?

今回は、久留米で絶対に食べておきたい穴場5店舗をピックアップします。店の紹介へいく前に、久留米には豚骨ラーメンに関する記念碑が2つあります。

JR久留米駅前にある小型の屋台モニュメント

1つ目は、JR久留米駅前にある屋台モニュメント。そして明治通り沿いにある豚骨ラーメン発祥の地の記念碑。どちらも小型でさりげなく立っているので、うっかり通り過ぎてしまいそうですが、ぜひ見つけてみてください。豚骨ラーメンヒストリーもしっかりと記してあり、聖地巡礼の旅気分をより盛り上げてくれます。

もう一つのラーメン記念碑

2つ目のラーメン記念碑は、豚骨ラーメンの祖である「南京千両」の屋台が最初にあった場所にさりげなく立てられています。周りの景観に溶け込んでいて、ほとんど気付きません。地元民もあまり知らない穴場です。

1. 国道3号系のレジェンド|丸星ラーメン

「ラーメン」450円

ここはどちらかというと久留米ラーメンの王道ですが、ノスタルジックな雰囲気の中、気さくなおばちゃん、おじちゃんが迎えてくれる外せない愛され店。何よりラーメンの味に惚れ抜いているので真っ先に紹介します。1958(昭和33)年に、24時間営業の大型ラーメンセンターとして開業し、1日数千杯を売っていた通称“国道3号系ラーメン”のレジェンド「丸星」。
ラーメン450円(開業当時は60円だったそう)、安っ! 今も圧倒的なコスパを誇り、店の一角にはお代わり自由の高菜やタクアン、総菜まで置いてあります。

入り口で食券を買い、席に向かう途中で厨房が見られるのですが、巨大な羽釜にグツリグツリとあふれんばかりの豚骨が煮込まれている様子は圧巻。豚の全身の骨を強火で炊き出したスープは、ガツン!と豚骨フレーバーが立ち、野趣あふれる味わい。飲んだ瞬間から感じる、豚骨らしい荒々しさと重厚感。塩気、甘さのバランス。麺との絡みも絶妙。これぞマルボシ!  
昔ながらの真っ平らな平網を使って麺上げする熟練の技にも注目。カンカンと鍋縁に叩きつける音も、イニシエの豚骨ラーメン店の愛すべき音風景なのです。

ちなみに、皆「マルボシ」と呼んでいますが、初代店主の星野吾三郎さんの名が由来なので正確には「マルホシ」なんです。まあ、どっちでもいいですが豆知識として(笑)。

和子お母さんとの話もはずむ

筆者は和子お母さんと話をするのも毎回楽しみにしています。和子さんは、初代店主・星野さんの次女。現在74歳ですが、驚くべきは12歳から店の手伝いを始め、それから60年以上に渡りほとんど休まず店に出ているんです。

本人は「ラーメンを毎日食べて、厨房で蒸気を浴びているから」と笑いますが、とにかく元気で肌ツヤが良く若々しい! 最高のラーメンとお母さんの笑顔で、パワーを充填できますよ。

2. 久留米“食堂系”ラーメンならココ|丸好

久留米ラーメンは先の「丸星ラーメン」を代表とする“国道3号系”のほか、“食堂系”と呼ばれる古の豚骨ラーメン店も点在しています。

店主の平川広義さん(写真左)、息子の涼太さん(写真右)

「ひろせ食堂」「沖食堂」がその代表格ですが、「丸好」(まるよし)も根強い人気を誇る食堂系の一角。筆者も足繁く通っています。
店主は平川広義さんで、母の好美さんが1967(昭和42)年に始めた食堂を、27歳の時に継承しました。現在は息子の涼太さん(写真右)が3代目候補として腕を磨いています。

「ラーメン」560円

丼になみなみと注がれたスープは、久留米産醤油のほんのりとした甘さを感じ、豚骨らしいパンチもあります。ラードを抑えているのでギトギト感がなくサラリとした飲み口がいいですね。久留米ラーメンらしい、いかにもウマそうなビジュアルもグッド。海苔、茹で卵、そして紅ショウガもデフォルトでのっています。紅ショウガが苦手な人はオーダー時に伝えてください。

久留米ラーメンには元来替え玉はないので(最近は出す店も増えましたが)、お腹いっぱいになりたい人は“大盛り”、そして鉄板サイドメニューの焼きめしと共に楽しむことをおすすめします。

席数70席以上と広々。畳敷の小上がりもあり、子供連れのファミリーも多い店です。駐車場が入りやすいのがいいですね。