【おいしいパンのある町へ】

Vol.20 東京・仙川「AOSAN(アオサン)」

京王線の仙川駅から歩いて、およそ5分。まだ開店1時間前ながら、すでに15人以上の行列が。パン好きにとって言わずと知れた名店らしく、「AOSAN(アオサン)」には年中、オープン待ちの列が絶えない。

「オープン当初から毎日欠かさず、台風の日も、大雪の日も、列ができなかったことがないんです。本当にありがたい限りなのですが、見ているこちらが辛くなるほどで……」と語るのは、オーナーの奥田まきさん。人々のお目当ては、“まぼろしの食パン”との呼び声が高い「角食」。平日は100斤、週末には120斤を焼き上げるが、開店から30分ほどで売り切れてしまい、この日も完売のアナウンスに肩を落とす人が続出していた。

モチモチ、ふんわり、しっとり。パンを形容するにありきたりな語句を並べただけでは語り尽くせないのが、AOSANの「角食」。「食べログ パン 百名店 2018」の特集でも、〈こんがりパンだパンクラブ〉のひのようこさん、食に精通する齋藤優子さんが太鼓判を押す逸品。その魅力の真髄を少しでも知りたくて奥田さんにおいしさの秘訣を伺ってみると、「気持ちを込めて丁寧に作っている、ただ、それだけです」という答えが。

育休中も忘れられなかった、パン作りの楽しさ

今から12年前、元ケーキ職人で夫の充央さんとともに、「AOSAN」をオープンした。ふたりの出会いは、代々木八幡にある天然酵母の名店「ルヴァン」だった。「大学を卒業してから、“手に職をつけたい”と思い立って。子どもの頃から大好きだった、パン作りがしてみたい!と。両親に頼み込んで製菓学校のパン科に通うことに。かねてからオーガニックに興味があったので、『ルヴァン』に就職しました」

「調布にある『ルヴァン』の工場に勤務していたときの同僚であった夫と結婚し、私は妊娠後に退職。育児中もパン作りが恋しくて、恋しくて……。子どもが寝付いてから夜な夜な、パンを作っていました(笑)。当時、夫は体調を崩してしまった関係で、パン業界から離れていて。それでもお互いにパンへの情熱が忘れられず、お店をオープンするに至りました」

店のコンセプトを表すなら、“いい加減にいい加減”

独立に向けてメニューを考えるにあたり、片っ端から他店のパンを食べ歩いて研究を重ねたという奥田さん。「個人的にハード系パンは大好物だけど、たまには柔らかいパンも食べたいよね、と。オーガニック食材に限定して、単価が高くなってしまうのも避けたい。ハードルが高くなく、毎日食べたいパンってどんなもの?を追求した答えが、“ストイックすぎず、押しつけがましくないパン”」

「安心して食べてもらえるように、小麦粉はすべて国産。たまにオーガニックのフランス産小麦粉が手に入ると、それを使ったりすることも。砂糖は甜菜糖、塩は自然塩のみを使用しています。ベースはこれらですが、その他はパンそれぞれに合うものを選ぶスタイル。そういう意味でも、“いい加減にいい加減”が、うちのコンセプトかも(笑)」

不必要なものは加えず、生地そのものの味わいを最大限に引き出す

12時のオープンとともに、焼きたてのパンがずらりと並ぶ店内。色も形も異なる30種類の商品を眺めていると、そのシンプルさが際立つ。色とりどりのフルーツが飾り付けされているわけでも、チーズがとろけているわけでもない。ただひたすらに素朴ながら、触れてもいないのに柔らかさ、焼き目の香ばしさが伝わってくる。

 

「リッチな素材を使えばもちろん口にはおいしいけれど、その分、体に負担がかかる。毎日食べてほしいから、不必要なものは加えない。発酵で引き出したパンそのものの味を最大限に生かすようにしています」。そんな手法の真骨頂が、「角食」だ。

熟成時間なしに完成しない、3日間を要する「角食」

「角食」に使用するのは、国産小麦粉、ナチュラルイースト、甜菜糖、自然塩、バターのみ。極めてシンプルな食材で深い味わいを作り出す秘訣は、3日間にも及ぶ長時間熟成にある。「まず1日目に液だねを作り、2日目に粉とミクシングさせたら一晩寝かせ、3日目にようやく焼き上げに。最大のポイントは、無添加のナチュラルイーストを最小限に抑えたこと。イーストの量を増やせば早く仕上がるけれど、あえてゆっくりと発酵させることで、味わいが深まるんです」

手に取るとずっしりと重みを感じるも、表面は指に沈んでしまうほどやわらか。トーストせずにそのまま噛みしめると、想像をはるかに超える弾力、雑味のない爽やかさ、粉そのものの風味が次々と押し寄せ、五感を刺激される。「味わい、食感ともに、どんな食材でも作り出せない。人一倍パンが好きで、コツコツ重ねてきた研究の集大成だと思っています」(一斤250円)※10月以降は260円

 

とはいえ、「『角食』に際立って力を入れているわけではなくて。すべての商品を、同じ気持ちで作っています。私たちにとって、どのパンも同じくらいかわいい!」と宣言する奥田さん。「角食」とともに試したい、おすすめの商品がこちら。

焼き込みをしない、繊細&なめらかクリームの「クリームパン」

「甘いものは得意じゃないけれど、これは大好き! 毎日食べたくて、自分の分をキープしちゃうほど(笑)」というのが、元ケーキ職人のご主人が手がける「クリームパン」。毎朝炊き上げるカスタードクリームをサンドし、シュークリームのように見立てた一品。

 

「卵を加えて弾力を出した菓子パン生地は、クリームに甘みがあるので、甜菜糖とバターを控えめにしてシンプルな味わいに。冷蔵ケースで冷やすことでパンが引き締まって、クリームとよくなじみます」。パンとともに焼き込みをしないことで、クリームのフレッシュ感もキープ。生クリームのようになめらかで、繊細な味わいのカスタードクリームと、もっちりとしたパンの食感のバランスが秀逸。(150円)

皮までしっとり、もちもち。酸味を抑えた天然酵母の「カンパーニュ」

「オープン当時から繋いでいる、レーズンから培養させた天然酵母を使用しています。長時間焼き込むことで中をよりもちもちに仕上げ、ハード系が苦手な人でも取り入れやすく改良。酸味も抑えているので、ご年配の方、お子様にも親しんでいただいています」

 

「当日はそのままの状態で、全粒粉とライ麦粉の風味を味わって。2日目以降は、霧吹きなどで水分を加えてからトーストすると、しっとり感が戻ります。シンプルにバターで食べるのもいいけれど、個人的にはメープルシロップや、ピーナッツバター&ジャムもおすすめ。甘みと酸味のマッチングが絶妙なんです」。ホールサイズは直径30cmものビッグサイズ。(1,120円)※2分の1カット、4分の1カットもあり

焼き加減が肝!ほろ苦ココア生地にチョコたっぷりの「ショコラ」

「こちらも、主人の力作。食パンの生地にココアを混ぜ込み、チョコレートケーキ風に仕上げています。ココアに含まれるカカオは生地を硬くする作用があるのですが、ミクシングを調整してやわらかく。この技術は、企業秘密です(笑)。生地をなめらかに焼き上げるコツは、ギリギリまで下げた低温。生焼けにならない程度のタイミングで取り出すことで、表面もふんわりと」

 

うっとりするほどなめらかな表面を割ると、中からとろけるチョコレートが登場。「チョコレート尽くしですが、生地がほろ苦いので重くない。スタッフ人気も高く、スイーツ代わりに、おやつとして取り入れている方が多いよう」(180円)

奥田さんに聞く、仙川の一押しグルメ

「仙川はおいしい個人店の宝庫! 行きたいお店がありすぎて、時間が足りません」と、仙川の“グルメリテラシー”を絶賛。素材を生かした味わいに目がない奥田さん行きつけの2軒をご紹介。

フランス料理のエッセンスを取り入れた創作和食「蒔」

スタッフの誕生日など、特別な日に訪問しているというのが、「AOSAN」から目と鼻の先にある「蒔」。「フランスで料理を学んだご夫婦が営む、懐石料理屋さん。家では作れない丁寧でユニークな料理の数々は、感動!のひとこと。盛り付けも美しく、1品出るたびに歓声が湧き上がります。夜はコースがメインで、奥さんがお酒のペアリングを担当。こちらも外れがなく、いつ訪れても大満足」

繊細で優しいドーナツ&焼き菓子の大ファン!「ドーナツ工房 レポロ」

「こちらもご夫婦で営んでおり、奥さんが調理を、旦那さんが接客を担当。ドーナツは油っぽさがなく、繊細で優しい味わいがすばらしい。プレーンやシナモンなど、シンプルなフレーバーがお気に入りです。看板商品はドーナツですが、焼き菓子もピカイチ。休日のご褒美として、フロランタン、マドレーヌ、ラスクなどを大量買いしています」

撮影:山田英博

取材・文:中西彩乃