【噂の新店】「麻布苑」

焼肉店の原風景を知る大人ほど「ニクイね!」と唸る店である。気の置けない仲間とロースターを囲み、とにかく本能のままに肉を焼く。 これこそが、焼肉店を訪れる醍醐味の一つであるが、焼肉業界全体のレベルが上がり、多様化が進む昨今においては“原風景”の懐かしさだけで勝負に出ることは難しい。 飲食店であるからには味で勝負、焼肉店というからには、肉の質やカット、味付けをとことん突きつめるのは必要不可欠である。
SNSで検索上位によく上がる食べ物のジャンルが#焼肉という印象があるほど日本人の焼肉愛の深さがわかる。 都内には大衆から高級まで数えきれないほどの焼肉店があるが、もしかするとその勢力図が大きく変わるかもしれない焼肉店が麻布十番にオープンし、早くも予約困難の予兆を見せている。

韓国大使館があることや“陸の孤島”と呼ばれた時代からマスコミ業界で働く人々が多く出入りしていたこともあり、昔から焼肉との親和性が高いエリア。 全盛期に比べると焼肉店の数は減少傾向にあるが、「麻布苑」の出現によって、焼肉タウンとしての勢いが再燃する予感がするのは気のせいではないはずだ。

二の橋交差点に近い商店街の一画で目を引く黄色の大提灯。 急階段を2階へ上がると、ざっかけない町焼肉の風情が漂う空間が広がる。 洒落っ気とは無縁であるが、各テーブルには昇降式のダクトが備えられ、煙とも無煙、もとい無縁である。 品書きはシンプルながら普通のカルビに特選ロース、内臓の各部位を揃えており、チェーン展開ではない一等地の焼肉店としてはほぼ奇跡とも言える値付けに目が釘付けになる。

黒板メニューに目を向ければ、焼肉好きならば反応せずにはいられない、樺澤商店や田島健次商店から仕入れる黒タン元や上ハラミといった肉も。 焼肉を食べこんでいる人ほど「この店はいったい何者か」と興味をそそられるはずだが、実はここはフルアテンドの高級焼肉店として知られる「思食」の別業態。 オーナーがずっと温めてきた「思食で提供するものとまったく同ランクの肉で大衆的な焼肉を」という思いがついに形となった。

接待やデートでの需要が高い“高級店”に対して、こちらは「焼肉好きがふらりと立ち寄れる店を目指す」と話すが、肉好きというのはとにかく鼻がきくもので、月初めにはほぼ席が埋まるという噂の真相をたずねると「まったく想定してなかったんですけれど、始まったばかりのお店を支持してくださる方が多いのはとてもうれしいです。うまいは正義、という心を持ちながら令和の大衆焼肉を探求していきたい」という答えが。

肉は品質に甘んじることなく注文が入ってから手切りにする、もみダレも肉の持ち味を生かすよう配合バランスを熟考するなど工夫が随所に。「思食」ではにんにくを極力使わないよう配慮するが、ここでは本能で「うまい!」と感じる味付けを意識している。


また、ロースターの熱質に合わせた肉のカットも、誰でもおいしく焼き上げられるポイント。 脂の甘みと歯切れのよさが持ち味のタンや噛むほどに肉の繊維からうまみが迸るハラミは必食だが、おろしポン酢でさっぱりと食べる特選ロースも白眉。 皇室献上米の「銀の朏」とともに味わえば、焼肉でしか得ることのできない幸福感に包まれる。


ホルモンの盛り合わせでビールやマッコリの杯を重ねた締めにはぜひとも、満腹でもつるつると胃袋におさまる麻布冷麺を。 自分の食欲に忠実に、好きな肉を好きなだけ食べたあとには体中からアドレナリンが放出されるような感覚になるが、この冷麺にはそれをそっと鎮める効用がある、という声も。

「今夜はシャカリキに肉を食べたい!」という欲を満たしてくれる、違いがわかる大人のためのパラダイス。 今後は「ようやく予約が取れたよ」という店にならないことを願うばかりだ。



