本田直之の旅する東京―パスポートのいらない、現地メシ

本田直之さん。「威皇花雕醉鶏鍋 広東料理」六本木店にて

東京は、世界でいちばん小さな世界旅行ができる街だ。円安や物価高で、海外へ気軽に食べに行くのは少し難しくなった。けれど東京には、その国の人たちが通い、現地の香りや空気をそのまま残した店がある。

この連載では、世界66カ国255都市を食べ歩いてきた本田直之が、東京に息づく“現地メシ”を訪ねる。現地の人が通う理由、初めて食べるべき一皿、そして料理の背景を、実際に食べ、店で話を聞きながら探っていく。

今回紹介するのは、広東省出身の創業者が上海で始

めた「威皇花雕醉鶏鍋 広東料理」六本木店だ。

看板料理は「花雕醉鶏(ファーディオズイジー)鍋」。簡単に言えば、紹興酒の一種である花雕酒を香らせた鶏鍋である。

上海で1日平均3,500鍋。朝から行列の人気店が六本木へ

六本木通りから1本入った裏道沿いにある。鮮やかな色彩の看板が人目を引く

「威皇」が上海に1号店を開いたのは2013年。当時、刺激の強い火鍋が人気を集める一方で、スープまで楽しめる鶏鍋が注目されはじめていたという。

そこへ登場したのが、澄んだ鶏スープに花雕酒を合わせた「威皇」の鶏鍋だった。店によれば、その後の鶏鍋ブームを牽引した店の一つとなり、現在は上海で10店舗を展開している。

席数42席。壁には一面に香港の夜景の写真が飾られ、中国を訪れているかのような気分を盛り上げる

中国最大級の飲食口コミアプリ「大衆点評」でも、5年連続で“必ず食べるべき店”に選ばれてきた。看板の鶏鍋は、上海で1日平均3,500鍋を販売した実績があるという。現地では朝から晩まで行列が絶えない人気店だ。

日本には2024年、上野・湯島に初進出。上海の人気店の味を東京で食べられると、在日中国人や中国からの旅行者を中心に評判が広がり、予約必須の人気店になった。2025年11月には、日本2号店となる六本木店をオープンしている。

店員の第一声は「最初は何も入れず、まずスープを」

「花雕酔鶏鍋」(半羽)3,278円。肉類や野菜、海鮮などはオプションで追加していく。オーダーはすべて二次元コードから

看板の鶏鍋で、最初に味わうべきなのは具材ではなく、スープだ。店員からも、まずはそのまま飲んでみてほしいと勧められた。
丸鶏を一羽まるごと使い、ナツメやクコの実、党参(トウジン)、朝鮮人参などの薬膳食材とともに5時間かけて煮込み、そこに花雕酒を合わせる。
花雕酒は、中国・浙江省の紹興で造られる黄酒、いわゆる紹興酒の一種だ。熟成した米酒ならではの芳醇な香りと、まろやかな味わいが特徴である。

「花雕醉鶏鍋」の真髄ともいえる黄金色のスープ。一口飲めば、その滋味深さに心をつかまれる

黄金色のスープを口にすると、鶏のうまみは濃いのに重さがない。口当たりは澄んでいて、そのあとから花雕酒の香りがふっと立つ。
一緒にいたメンバーも、一口飲んだ瞬間に「おお」と目を見開いた。僕も思わず、「これ、しみじみ旨いねぇ」と口にした。派手に強い味ではないのに、飲むほどにうまみが広がっていく。まさに、そういうスープだった。

具材を入れれば、当然スープの味は変わっていく。だからこそ、この最初の一杯はそのまま味わいたい。
日本では国産鶏を使い、上海で親しまれてきたレシピをベースに仕上げているという。

日本では国産鶏を使用し、日本の食材に合わせながら、上海で親しまれている味わいを再現している

スープを味わったら、次は鶏肉。しっとりと軟らかく火が入り、醤油やゴマ油、ニンニク、唐辛子を合わせた少し辛みのある特製ダレにつけると、澄んだスープとはまた違う味になる。
そこからラム肉や牛肉、エビ、ホタテ、野菜、豆腐など、好みの具材を加えていく。店のおすすめは大根。鶏のうまみを吸いながら、大根の甘みがスープへ溶け出し、少しずつ味が深くなっていく。

肉を追加するなら、僕はラムがいいと思う。牛肉より脂が軽く、このスープによく合う。スープの追加は無料なので、具材を変えながら長く楽しめる。

特製の漬けダレは醤油やゴマ油、ニンニク、2種類の唐辛子を合わせている

ここで、今回店員が教えてくれた、ちょっとした楽しみ方がある。途中で花雕酒をほんの少し足すのだ。具材を煮るうちに穏やかになっていた酒の香りがもう一度立ち上がり、少し加えるだけでスープの印象が変わる。
通常メニューに載っている食べ方ではないので、試してみたい場合はスタッフに確認してほしい。

締めには乾麺が用意されているが、もう一つ店員に教えてもらったのがおじやだった。
鍋に残った薬膳食材などを取り出し、ご飯と溶き卵を加える。鶏、肉、野菜、酒と、食べ進めるうちに重なってきたうまみを、最後に米が吸ってくれる。

こちらも通常メニューではないので、希望する場合はスタッフに確認を。

最初に飲んだ黄金色のスープと、最後のおじやでは味がかなり違う。具材を加えるたびに、スープそのものが変わっていく。それが、この鍋の面白さだ。

「現地の味」より、「現地で今選ばれている味」を食べたい

日本では近年、中国で日常的に食べられている料理を現地に近い味で出す「ガチ中華」が増え、日本で食べられる中国料理の幅はかなり広がった。

でも僕が最近さらに面白いと思うのは、現地風の店が増えたことではない。中国で実際に人気を築いた店そのものが、日本へ来るようになったことだ。

「威皇」は、その一軒だ。

実は以前、上海をそこまで面白い食の街だと思っていなかった。

「威皇」では、その日に仕入れた新鮮な食材を使い、仕込みから炒め、煮込みまで、すべて手作業で仕上げる

僕は年に何度か中国へ行く。なかでも最近、特に面白いと思っているのが上海だ。

正直に言えば、以前は上海をそこまで面白い食の街だと思っていなかった。ところがここ数年、中国各地の人気店や料理人が集まり、地方料理からファインダイニングまで、今の中国料理を一つの街で楽しめるようになった。

コロナ禍を境に、中国国内の食文化が改めて注目されたことも大きいのだと思う。いま上海は、僕が世界を食べ歩く中でも、変化が特に面白い街の一つだ。

その現在形の一つが、この鶏鍋だった。

実は上海の伝統料理ではない。広東のスープ×紹興酒から生まれた

丸鶏を一羽まるごと、贅沢にだしのためだけに使う。胃に優しいスープは健康志向の上海の人々に人気だ

これだけ上海で支持されている料理だから、昔からその土地に伝わる郷土料理なのだと思うかもしれない。実は違う。

上海周辺には、鶏肉を紹興酒に漬け、冷たくして食べる料理がある。一方、創業者の故郷である広東には、鶏をじっくり煮て、澄んだスープを楽しむ文化がある。
「威皇」は、その2つを組み合わせた。広東の鶏スープに紹興酒の香りを重ね、温かい鍋にしたのだ。

強く沸騰させず、時間をかけて鶏のうまみを引き出すから、味はしっかりしているのにスープは澄んでいる。そこへ花雕酒の香りが加わる。
古い料理をそのまま再現したわけではない。昔からある食文化を理解したうえで、新しい料理にした。

最近、中国を食べ歩いていて引かれるのは、こういう料理に出会ったときだ。

鍋だけでは帰らない。店員に聞いた人気メニュー

せっかく「威皇」へ行くなら、鍋だけで終わらせるのはもったいない。店員に鍋以外の人気料理も聞いてみた。
その中でぜひ一緒に頼みたいのが、広東式の土鍋ご飯と、イカゲソとニンニクの炒めだ。

「土鍋飯」1,757円

広東式土鍋ご飯は、中国では「煲仔飯(ボウジャイファン)」と呼ばれる。小さな土鍋で米を直火炊きし、広東式の甘みのある腸詰「臘腸(ラーチャン)」と、塩漬けして干した豚バラ肉「臘肉(ラーロウ)」を一緒に炊き上げる。
肉の脂とうまみが米に染み込み、仕上げに甘めの醤油ダレを回しかける。この料理の楽しみは、おこげだ。

鍋の鶏肉はしっとりと軟らかい。一方、煲仔飯は鍋肌の米がカリッと香ばしく焼けている。鶏鍋と一緒に頼むと、この食感の違いも楽しめる。

「イカゲソとニンニクの炒め」1,427円

もう一皿なら、「イカゲソとニンニクの炒め」を。イカゲソとニンニクの茎を、干しエビや貝柱などのうまみを凝縮したXO醤で強火で炒める。ニンニクの茎はシャキッとし、イカにはプリッとした弾力が残る。

鍋が澄んだやさしい味なので、途中にこういう強い味を挟むと、またスープへ戻りたくなる。

初めてなら、2人でこう頼みたい

「ホルモン炒め」1,537円。韓国産の辛みの強い青唐辛子を使用している。「威皇」の人気料理の一つだ

初めて行くなら、僕なら2人でこう頼む。
看板の鶏鍋に、煲仔飯とイカゲソとニンニクの炒め。

鍋は店員に教えてもらった通り、最初はスープそのものを味わい、そこから鶏肉、大根、ラム肉と少しずつ具材を加えていく。最後におじやまでいければ、最初と最後でスープがどう変わったのかもよくわかる。メニューにはない食べ方だ。
これで看板の鍋だけでなく、この店の広東料理の幅までかなり楽しめる。

人数が多ければ、人気のホルモン炒めなどを追加してもいい。料理をいくつかシェアできるので、一人より何人かで囲むほうが楽しい店だと思う。

「本場」は昔の料理だけじゃない

店内は多くの中国人客でにぎわう。花雕醉鶏鍋のおいしさが口コミで広がり、最近では日本人客も増えているという

本場の味というと、昔からその土地で食べられてきた料理を思い浮かべる。もちろん、それも本場だ。
でも今回の鶏鍋は少し違う。広東のスープ文化と上海周辺の酒食文化から、現代の上海で生まれた。そして現地の人たちに何年も選ばれてきた。

僕は、これも本場だと思う。
本場とは、昔から残っている料理だけではない。その土地で新しく生まれ、現地の人たちが今、おいしいと思って選んでいる味もまた、本場なのだ。

以前なら、上海まで行かなければ出会えなかった。今は六本木で食べられる。
しかも、昔の上海を再現した料理ではない。今の上海で生まれ、今の上海の人たちが選んでいる味だ。

東京で世界を旅する面白さは、世界の「昔」を体験できることではない。
世界の「今」を食べられることにある。

※価格は税込。

文:小田中雅子、食べログマガジン
写真:海老澤芳辰