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本田直之の旅する東京―パスポートのいらない、現地メシ

東京は、世界でいちばん小さな世界旅行ができる街だ。円安や物価高で、海外へ気軽に食べに行くのは少し難しくなった。けれど東京には、その国の人たちが通い、現地の香りや空気を残した店がある。
この連載では、世界66カ国255都市を食べ歩いてきた本田直之が、東京に息づく“現地メシ”を訪ねる。現地の人が通う理由、初めて食べるべき一皿、そして料理の背景を、実際に食べ、店で話を聞きながら探っていく。
今回紹介するのは、ジョージア出身の元大関・栃ノ心が2026年2月にオープンした「GEOEGIAN HOUSE(ジョージアンハウス)」だ。よく知られた「シュクメルリ」の他、ヒンカリ、ハチャプリ、プハリといった伝統料理がそろう。本格的かつ多彩なジョージア料理が気軽に楽しめる店だ。
今、一番行きたい国はジョージア

ニューヨークではここ1〜2年、ジョージア料理の新店が相次ぎ、ロンドンでも専門店が増えている。2026年にはロンドンのレストランガイドでジョージア料理だけの特集が組まれるほどになった。まだ世界的ブームとまで言うのは早いかもしれないが、確実に存在感は増している。
僕自身、今、一番行きたい国はどこかと問われれば、ジョージアと答える。きっかけは、ワインのプロである知人たちが、ジョージアワインを絶賛していたことだった。その後、料理のおいしさを知り、景色も美しいと聞くうちに、ますます行きたくなった。
日本では、外食チェーンのメニューに登場したシュクメルリが広く知られるようになった。でも、それ以外にどんな料理があるのか、すぐには思い浮かばない人が多いだろう。

東京のジョージア料理店を何軒か訪れた中で、僕が一番おいしいと思ったのが、2026年2月にオープンしたばかりの「GEOEGIAN HOUSE」だ。
ただ、正直に言えば、最初に「元大関・栃ノ心の店」と聞いたときは、そこまで興味をひかれなかった。有名人の名前が先に立つ店なのかな、というイメージがあったからだ。
でも、実際に食べてみるとまったく違った。代表的な料理をいくつか頼んだが、どれもおいしく、日本人の口にも合うと感じた。
店を手がける栃ノ心ことレヴァン ゴルガゼさんは、2018年初場所で幕内初優勝を果たし、同年に大関へ昇進した。2023年の引退後も、大好きな日本にとどまり、ジョージア大使館で文化とスポーツの顧問を務めるなど、両国をつなぐ活動をしている。

店を開くきっかけの一つは、大使から「客人をジョージア料理でもてなせるレストランはないだろうか」と相談されたことだったという。

「それならば、自分で作ろう」。力士時代から縁のある墨田区で居抜き物件に巡り合い、内装や設備に大きく手を入れ、大使も絶賛する理想のレストランを作った。

できあがった店内は、天井が高く、テーブルの間隔もゆったりとした華やかな空間。奥には故郷の風景を写した大きなパネルがあり、食事の前からちょっとした旅気分になれる。
今回は厨房も見せてもらった。厨房にはジョージア出身のスタッフが多く、ジョージア語が飛び交っている。東京のレストランなのに、厨房へ入ると空気が一気にジョージアになる。
そして実際に料理を作るところを見ると、かなり手をかけているのがわかる。作り置きで効率を上げるより、出来たてを食べてもらうことを優先する。その姿勢が、この店の料理に共通していた。
しっとりとした鶏肉とクリーミーなソースが決め手のシュクメルリ

まず食べたいのは、店で一番人気のシュクメルリだ。香ばしく焼いた鶏肉を、ニンニクの利いた生クリームのソースで仕上げる料理で、名前はジョージア北西部、ラチャ地方のシュクメリ村に由来する。
「GEOEGIAN HOUSE」では、レストランならではのひと工夫を加えたシュクメルリが楽しめる。塩で下味をつけた鶏肉を、65℃で2時間半、低温調理する。それからヒマワリ油をひいたフライパンで、表面をこんがりと焼く。中まで火を入れる工程と、焼き目をつける工程を分けることで、外はパリッと、中はしっとりと仕上げるのだ。

そこへ炒めたニンニクと生クリームを加え、ソースにする。火を止める直前には、少量のサワークリームも。生クリームの濃厚さに軽い酸味を重ね、仕上げのチリオイルで味を引き締める。
ひと口食べると、鶏肉のジューシーな旨みが広がる。ニンニクをたっぷり使ったクリームソースは、想像していたより軽い。鶏の旨みも溶け込み、味に深みがある。

パンを添えるのが定番スタイル。シュクメルリの主役は、香ばしく焼いた鶏肉だけではない。ニンニクと生クリームが合わさったソースも、同じくらい大事だ。鶏肉を楽しんだ後、このパンでソースも余さず味わいたい。
まるで小籠包。包み込んだ肉汁が主役のヒンカリ

「日本ではシュクメルリが有名ですが、ジョージアには、それ以外にもおいしい料理がたくさんあります」。レヴァンさんがそう話す通り、シュクメルリだけで終わらせるのはもったいない。
次に頼みたいのがヒンカリ。小麦粉の生地で肉や玉ねぎ、香辛料などの餡を包み、ゆでる料理だ。ひだを寄せた巾着形で小籠包を思わせるが、ふた回りほど大きい。

山岳地方にルーツを持つヒンカリには、羊肉を使うものもある。ここでは牛肉と豚肉の合い挽きに、クミンやチリなどのスパイスを合わせている。仕上げには黒コショウをたっぷり。形は似ていても、香辛料の香りは中央アジアの包み料理を思わせる。

食べ方も教えてもらった。上部のつまみを手で持ち、逆さにして、底の縁を少しかじる。中の肉汁をすすってから、皮と餡を食べる。この最初の肉汁がおいしい。ナイフで切ると汁がこぼれてしまうので、ここは現地流で楽しみたい。
つまみの部分は食べずに皿へ残すのが一般的だという。残った数で誰が何個食べたかわかる、という話も面白い。食べ方を知るだけで、料理がぐっと身近になる。
生地と同じ重さのチーズを使うハチャプリ

もう一つ、ぜひ食べたいのがハチャプリ。チーズをたっぷり使ったパンで、日本で親しまれているチーズナンを思い浮かべると、味を想像しやすいだろう。
ジョージアでは地域によって形もつくり方も異なる。また、主役となるチーズも羊、牛、ヤギと原料乳が異なり、味わいはさまざまだ。今回食べたのは、舟形のハチャプリだ。
注文を受けてから生地を延ばして焼く。ジョージアのチーズは日本では入手が難しいため、モッツァレラとフェタチーズを合わせ、現地の味に近づけているという。

驚くのはチーズの量だ。生地と同じ重さを使う。生地にたっぷりとチーズを詰め、焼き上げたところへ卵黄とバターをのせる。
パンを切ると、溶けたチーズがあふれ出す。そこへ卵黄を絡めて食べる。チーズの塩味に卵黄のコク、バターの風味が重なり、つい次のひと口へ手が伸びる。
肉汁を味わうヒンカリと、チーズを楽しむハチャプリ。同じ小麦粉の生地を使う料理でも、食感も食べる楽しさも違う。
肉とチーズだけではない。野菜、クルミ、ハーブの豊かさ

ジョージアは、ヨーロッパとアジアが交差するコーカサス地方の国だ。国土は北海道よりひと回り小さく、北はロシア、南西はトルコに接している。
「山岳地帯や黒海沿岸など、多様な地形と気候があり、野菜や果物の種類が豊富です。山岳地方では寒暖差もあり、ブドウをはじめ、果物がおいしいんです」とレヴァンさん。肉やチーズ以外の料理も気になってくる。
その豊かさを味わえる前菜がプハリだ。ゆでたり炒めたりした野菜を刻み、クルミのペーストやハーブ、香辛料などと合わせる。
ジョージア料理では、クルミをソースやペーストにして使うことが多い。クルミのコクが野菜を引き立て、一皿の主役にする。いくつもの野菜を使った盛り合わせは色も鮮やかで、食卓の雰囲気が変わる。

ジョージア料理ならではの味と香りをつくる、スパイスとハーブも欠かせない。シェフはクミンやコリアンダーシードの他に、「ウツホ・スネリ」も見せてくれた。ブルーフェヌグリークを使う、ジョージアを代表する香辛料の一つだ。料理に応じて、パクチーやディル、タラゴン、ミントなども使い分ける。
その香辛料使いがわかる料理の一つが、チャシュシュリ。牛肉をトマトや玉ねぎなどと煮込む料理で、見た目はビーフシチューに近い。この料理にウツホ・スネリの香りが加わると、また違う味わいが生まれる。
見慣れた食材も、組み合わせや香りの重ね方で新鮮に感じられる。ジョージア料理には、日本人が親しみやすい入口と、まだ知らない味の両方がある。
料理と一緒に、琥珀色のワインを

ジョージア料理を語るなら、ワインも外せない。ジョージアでは約8,000年前のワインづくりの痕跡が見つかっており、世界最古のワイン産地とされている。
伝統的な製法を象徴するのが「クヴェヴリ」だ。卵形の大きな土製の甕を地中に埋め、その中でブドウを発酵・熟成させる。このワインづくりは、2013年にユネスコ無形文化遺産に登録された。
今回は、僕のリクエストでオレンジワインを用意してもらった。ジョージアではアンバーワインと呼ばれる。
白ブドウを果皮や種とともに発酵させることで、琥珀色やタンニンによる渋みが生まれる。色だけでなく、味わいも白ワインとはまったく異なる。

レヴァンさんは、故郷で友人とワイナリーも営んでいる。クヴェヴリを使い、添加物を加えず、手間をかけてつくっているという。古いものでは、140年前の甕も現役だそうだ。
料理に使う食材や調理法だけでなく、ワインをつくる器にも、受け継がれてきた時間がある。その話を聞きながら飲むと、一杯のワインからもジョージアという国が見えてくる。
「栃ノ心の店」という見方が変わった

最初に「元大関・栃ノ心の店」と聞いたとき、正直、僕は少し構えていた。有名人の名前が先に立つ店なのかな、と思っていたからだ。
でも、実際に食べてみると、その印象はまったく違った。
シュクメルリの鶏にはきちんと手間をかけ、ヒンカリもハチャプリも注文が入ってから生地を練って延ばす。厨房にはジョージア人のスタッフが多く、ジョージア語が飛び交っている。
そこまでやっているのを見れば、栃ノ心がこの店にかけているものが、かなり大きいことはわかる。
最初に話題先行の店だと思ってしまったことを、ちょっと申し訳ない気持ちになった。
ここは「栃ノ心の店」だから行く店ではない。料理がおいしいから、また行きたくなる店だ。
僕自身、ここで食べて、ジョージアへ行きたい気持ちはますます強くなった。
次は、現地で食べてみたい。



