〈僕はこんな店で食べてきた〉
地味な料理こそ奥深い
この十年ほど、自分で会食の店を決める場合は、ほとんどが和食。なかでも日本料理が一番多い。
理由は簡単で、年をとるとともに女性との会食がなくなり、フレンチやイタリアンに行こうと動機付ける要素が少なくなったからなのが大きいが、もうひとつ、昔からの日本料理の系譜を微力ながら応援したいという思いもあった。
ここ数年、特に「インスタ映え」という言葉が当たり前になってきてからは、見て美味しい料理を作る日本料理店が多くなった。たとえば、イカにウニを載せてキャビアをかけるといった料理だ。高級食材が多く、考えただけで美味しいとわかるから、誰だって行きたいと思うだろう。
それに引き換え、こんにゃくを酒盗(カツオの内臓の塩辛)と卵黄、長ネギで和えただけの料理なんて、写真に撮れば茶色でしかないし、食材の原価も安そうだ。見ただけではコンニャクの胡麻和えみたいで食指が動かないのもわからないでもない。
だが、そういう料理を作る職人を僕は応援したいと思っているのだ。根が天邪鬼であることも理由のひとつだが、もともと日本料理というものは一品ごとの完成度を評価するものではなく、先付けから水菓子まで、一皿ごとは8割ほどの満足感でも、全部を食べ終わったときにトータルで満足できる料理だと思っている。
だが、一皿の構成要素が地味で、インスタ映えもしないと、食べログ読者層には刺さらないから、おのずと投稿が少なくなり、点数が下がっていく。そうなると、新規客の目にとまりにくくなり、経営も苦しくなるという悪循環がおのずと予想される。
その結果、伝統的な日本料理の系譜の店は消えていき、華やかな日本料理やフュージョン料理ばかりになっていく。
けっしてそうした料理が悪いと言っているわけじゃない。客が望む料理を作ることは賞賛されこそあれ、非難されることではない。が、若い「食べ手」の皆さんには、そういう地味な料理のうまさも理解した上で自分の好きな料理の地平を構築してもらいたいと、人生を半分以上過ごした僕は思う。
「こんにゃくの酒盗卵和え」は銀座「未能一」のスペシャリテで、こんにゃくを数時間かけて煎り、からからにしたあとに酒盗と卵の味を入れる。こんにゃくの食感が独特で、酒がいくらでも入ってしまう禁断の料理だ。
未能一は銀座の雑居ビルの一角にひそむ料理店で、初見の客はまず訪れない。だが、ほかの料理もふくめて地味だが手間がものすごくかかり、コースの最後まで計算された料理を出す店なのだ。たとえば良質の鯛のカマを塩水だけで煮た「鯛の塩煮」なんて簡単そうに見えるが、なかなかこの味は出せない。
こんな店を銀座の数ある料理屋から探し出すのは至難の業だが、この店を紹介してくれたのは僕の日本料理の水先案内人のひとり、築地の器屋TのOさん。
Tは和食の器を扱う店で、開業を控えた料理人は彼の店を訪れ、数百もの見本が並ぶなか、扱いたい食器を指名して、開店までに届けてもらう。だから、開業情報にはくわしく、僕の好きそうな店がオープンするときだけ、事前に教えてくれる。
が、もともとは、彼と僕との好みの店が似ていたことが親しくなるきっかけだった。これまでの連載で名前を挙げたHさんが共通の友人で、京都「千花」や岩手「シェ・ジャニー」といった店が好きなところも似ていた。
Oさんの店は朝から開いているから、築地を一巡りした料理人たちがひと休みの場所として訪れる。結果的に彼の店は日本料理のさまざまな情報のハブのような存在になり、調理技術や産地、人材情報までが彼のもとに集まるというわけだ。
銀座にいる「料理人のハブ」
その彼から教わった、これまた「料理人のハブ」のような存在が「銀座 矢部」のオーナー、矢部久雄さんだ。研究熱心な彼のもとにはいつも若い料理人が集まり、研究成果が彼らから拡散されていく。矢部さんの料理は派手ではないが、調理方法を聞くと「こうしなくてはいけない」説明が必ずついてくる、納得のいく料理なのだ。
矢部には個室もあるが、一番いい席は、矢部さんの庖丁さばきを見られるカウンター。彼と会話のキャッチボールをし、今日の食材のなかで自分好みのコースを仕立ててもらうのはなによりも気持ちいい。
いまなら「骨なし秋刀魚の肝の挟み塩焼き」が美味しくなっていく時期だ。骨が多くて食べにくい秋刀魚から骨をすべて外して肝をペーストにして挟んで炭火焼にするという、いま流行りの言葉でいえば「秋刀魚の塩焼きの再構成」といった料理だ。
彼のもとで修業した料理人たちもこの季節には同じ料理を出し、しかも矢部さんの弟子の店は人気店が目白押しだから、すでにポピュラーな料理になっているが、もともとは矢部さんのオリジナル。ただ、見た目はただの秋刀魚の塩焼きだから、「インスタ映え」しなさははなはだしい料理である。
矢部さんから薫陶を受けた料理人は数多い。ほんの一部を挙げれば、青山「いち太」、西麻布「豪龍久保」、西麻布「き久ち」、西新宿「板前心 菊うら」などだが、どこも実直な料理を出す店が多く、僕は彼らからもまたいろいろなことを教えられてきた。
新世代のアンチインスタ映えな日本料理店
先ほど述べたOさんがいま、気になっているのが四谷三丁目の「御料理ほりうち」だ。歌舞伎町や神楽坂で修業した女性料理人、堀内さやかさんが満を持して7月に開店した城だ。
カウンター、個室ともに6席で、コースは1万円から。彼女の料理も伝統的な日本料理をバックボーンにした背筋を張ったもの。あわびやハモなど高級食材も使いながら、鳥の肝煮など彼女の育った山梨の郷土料理をうまく組み合わせる。
コースの最後に出される炭水化物は、胃をクールダウンさせる役目だと僕は思っているが、最近は炭水化物にまで高級食材をてんこ盛りにしている店が多い。
しかし、堀内さんの最後は、炊き立ての白ご飯をその日のおばんざいとともに食べる。そして水菓子は故郷の桃。こういうもので〆ると、美味しい料理に興奮していた自分がいつの間にか普段の姿に戻っている。
これが伝統的な日本料理の食後感なんだろうと僕は思っている。
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