牛肉を大胆に取り入れた、正統派日本料理店

今年は、なぜか和食のあたり年。 それも、「幸村」出身の麻布十番「あらいかわ」や「石川」出身の荒木町「たつや」、「菊乃井」出身の「てのしま」から「かんだ」出身の新富町「久丹」まで、それこそミシュラン三ツ星和食店出身者が目白しなのだ。

そんな中、この4月1日人知れずオープンしていたのが、西麻布「常(とわ)」。西麻布交差点から歩いて程ない立地ながら、路地を入ったビルの2階、看板とてないシチュエーションは、まさに隠れ家と呼ぶにふさわしい。引き戸を開ければ、店全体に漂う凛とした趣に一瞬背筋が伸びるよう。杉の柾目も美しいカウンターには錫の折敷、世界的に有名な左官職人・久住有生氏の手になるシックな土壁と店内は、格式とモダンが交錯する静謐な空間だ。

板場に立つのは、ご主人の常安孝明さん。35歳の若手ながら、実は、彼も「菊乃井」、「かんだ」の両店で技を磨いてきた経歴を持つ。更には途中、フランスの和食店でも研鑽を積んだ実力の持ち主だ。しかし、この店の注目点は常安さんの経歴だけでは決してない。

 

牛タンの炭火焼やヒレステーキといったステーキ専門店も顔負けの牛肉料理が、大胆にも三ツ星仕込みの正統派日本料理のコースに登場。主役を張る点だ。常安さん曰く「もともとプライベートではBBQに目がなくて、肉を焼くのも大好きだった」ことから、牛肉を積極的に取り入れた割烹料理店を試みたのだそうだ。

ぜひとも味わいたい、「牛タンの炭火焼き」と「ヒレステーキ」

肉のノウハウを学ぶべく研修に入ったのは不動前の名店「焼肉 しみず」。ここで「肉の扱い方や仕入れ先などを教えていただいた」のだとか。それだけに肉も厳選。

手前は三重県産黒毛和牛のシャトーブリアン。奥が岩手県産黒毛和牛のタン

 

現在、「常」で扱っている肉は、牛肉のプロも一目置く兵庫「川岸牧場」の神戸ビーフや三重県産黒毛和牛などその時々で和牛の肉の部位を4~5種類ほど用意。それらを、寿司ネタよろしくネタ箱に入れ、まずは客の目の前にデモンストレーション。思わず歓声が上がる一瞬だ。丁寧に掃除され、磨かれた肉たちは、いずれも、惚れ惚れするほど美しい。

黒毛和牛のタン炭火焼き。旬の松茸と新銀杏添え

 

中でも驚かされるのは、牛タンの磨き加減。(牛タンの)周りの肉を取り除き、ほぼ半分近くになるまで磨きあげている。まさに芯の芯といった具合なのだ。これを厚さ5cmほどにカットし、炭火で焼き上げた牛タンが、コースの華のつ。強火の近火で、周りにこんがり焼き目をつけつつも、焦げ目はつけぬようコロコロ反転させて焼いては休ませ、を繰り返すこと3~4回。約20~30分かけて焼き上げた牛タンは、ナイフを入れた瞬間現れる真紅の断面が麗しい。サクっと歯が入る牛タン独特の歯切れ良さに加え、焼きの精妙さが伝わるプルプル感には、知らず溜息が漏れるはずだ。

シャトーブリアンの炭火焼き 海苔とクレソンのサラダ添え

 

そして、もう一つのメインが“ヒレステーキ”(サーロインの場合もあり)。写真は、三重黒毛和牛のシャトーブリアンだそうで、ヒレの中心部分。最も良いとされる箇所だ。「ヒレは、冷蔵庫から出したての冷たい状態のまま近火の強火で表面を焼き、あとは芯温を少しずつ上げていく感覚で、およそ20~30分かけ、休ませながら火を入れていく」 のが、常安流。全ては、外はカリッ、中はしっとりと潤いを残した焼き上がりにするためだ。ロゼ色に焼き上がったヒレは、見るからにきめ細か。口にすれば、予想通りのシルキーな舌触りに頬は緩む。旨味豊かでいて余韻は軽やか。上質な肉である証だろう。山椒タレがかかってはいるものの、塩のみで十分うまい。

コースを通して、季節感を楽しむ

「牛タン炭火焼き」「ヒレステーキ」の2品が、コースの掉尾を飾るわけが、その間にスダチそうめんといった口直し的な一品を挟むのも気の利いた配慮だろう。「お造りやお椀の前には、あまり脂分の強いものは持っていきたくない。ですから、あっさりした料理から始め、牛の叩きのような軽めの肉料理を一品だけさりげなくコースの前半に組み入れています」と、常安さん。おまかせコース全13品(デザート含む)には、天竜川の鮎塩焼きやもろこし真薯のお椀、マコガレイのお刺身など旬を意識した料理が並び、季節感を演出。

長芋寒と生うににオクラの出汁ジュレがけ。さっぱりした先付

牛タタキ。外もも肉をタルタル風に刻み、みょうがやねぎなどの薬味と和え香川のキャビアをせた一品

天竜川天然鮎の塩焼き。鮮度の良い鮎を炭火で焼いている。料理は全て22,000円のコースから

 

美味しい肉と洗練の和食、両方を堪能できる。人に教えたくない店である。

 

取材・文/森脇慶子 撮影/飯貝拓司