夏らしさ満点の、ズッキーニが主役の一皿

〈食べログ3.5以下のうまい店〉

おいしいもの好きのあの人に「食べログ3.5以下のうまい店」を教えてもらう本企画。今回は、連載「森脇慶子のココに注目」でおなじみ、人気フードライター・森脇 慶子さんおすすめのフレンチ「啓蟄」をご紹介。

教えてくれる人

森脇 慶子

「dancyu」や女性誌、グルメサイトなどで広く活躍するフードライター。感動の一皿との出合いを求めて、取材はもちろんプライベートでも食べ歩きを欠かさない。特に食指が動く料理はスープ。著書に「東京最高のレストラン(共著)」(ぴあ)、「行列レストランのまかないレシピ」(ぴあ)ほか。

未知なる食の扉を啓く、松濤の一軒家モダンフレンチレストラン

2023年7月13日に開店したフレンチレストラン「啓蟄」
 

森脇さん

知人から、松濤においしいフレンチができたと聞いてうかがいました。以前は「エレゾ」のあった場所といえば、頷く方も多いのでは?

渋谷駅から徒歩10分ほど、神泉駅から徒歩5分ほどの松濤エリアに2023年7月13日、モダンフレンチレストラン「啓蟄(けいちつ)」がオープンした。渋谷区立鍋島松濤公園の脇に構え、公園の緑と呼応するかのような経年変化が味わい深い一軒家だ。

奥にある大きな窓ガラスが印象的な店内
 

森脇さん

カウンターのみの落ち着いた雰囲気の店内です。

店内はカウンター8席のみ。大きな窓ガラスの向こうに広がる植栽やオリーブの木のオブジェを引き立てるように、カウンターテーブルなどのインテリアはシックな色合いで統一されている。

お店を手掛けるのは、フード・インキュベーターとして「Neki」「ease」など、近年数々の人気店を輩出している株式会社イートクリエーター。そして料理長を務めるのは広尾「アラジン」、六本木「コジト」、東京大学内にある「ルヴェ ソン ヴェール」などで経験を積み、北フランスの二つ星レストラン「ラ・グルヌイエール」のスーシェフも務めた松本祐季さんだ。山口県「CAFE 126」出身のソムリエの平野彩子さんと、二人三脚でお店を切り盛りしている。

料理長の松本祐季さん(写真左)とソムリエの平野彩子さん(写真右)

店名の「啓蟄」は二十四節気のひとつで、3月6日ごろを指す。土の中に蟄(かくれ)ていた虫たちが戸を啓(ひら)き地上に出てくるほど、寒さが和らぎ暖かな気候になる時期だ。ちょうどこの時期に開業準備を進めていたこと、和の趣を感じる建物だったこと、前向きな印象の言葉だったことからこの店名がつけられた。

“良い食材”に頼らず、手に入る素材を主役へと導く料理の数々

メニューは8品程度が提供される「ショートコース」(ランチでも提供、11,000円)と、15品前後が提供される「フルコース」19,800円の2種類のみ。より多くの食材、調理法、食べ方を楽しんでもらいたいと、少量多皿方式だ。これに5杯程度のハーフアルコールペアリング8,800円、8杯程度のアルコールペアリング13,200円をつけることができる。

コースメニューは固定式ではないため、その時々で異なる料理を楽しめるのも魅力的

コースメニューは固定ではなく、その時々にとれる旬の食材を尊重した料理が特色だ。松本シェフは盛り付けに関しても、統一された美しさではなく、不均一な素材の形を生かしながら偶然できあがる美しさを大切にしている。

アミューズとして通年提供されるジャガイモのフリット

アミューズとして通年提供されるジャガイモのフリットも、ジャガイモの新たな扉を開いてくれる一品だ。刺身のツマのように細くカットしたメークインを、流水で洗ってでんぷん質を抜き、ボール形の茶こしに入れて油で揚げている。上にはレモンのジュレをのせ、炭化させたレモンの皮を削りかけ、カタバミの葉をトッピング。サクサクと小気味よい食感のジャガイモはイモの甘さとほろ苦さがあり、キリッと凛々しいレモンとカタバミの酸味が食欲をかき立てる。

炭化させることで真っ黒に変身したレモン

ズッキーニの食感や味わいに焦点を当てた、アーティスティックな料理

野菜料理では、その時期に旬を迎える食材を主役にした一皿が提供される
 

森脇さん

私が食べた中では、春菊の料理が印象的でした。春菊という、通常は脇役的立ち位置の食材を主役に仕立てた一皿で、春菊のスポンジ、春菊のムースなど、春菊をさまざまに調理して一つにまとめたものです。深い緑一色の様相も素敵でした。

夏のこの時期は、農家から仕入れた朝採れのズッキーニを主役にした、鮮やかな一皿が目と口を彩る。桂むきにしたズッキーニを重ねてフライパンでソテーし、ズッキーニの中央にあるやわらかい種の部分などで作り上げたピューレと、アンチョビと黒オリーブを合わせたソースをトッピングし、焦がしバターの泡を入道雲のようにあしらった。

ぷくぷくとした泡の正体は焦がしバター

ランダムな緑のグラデーションが美しいミルフィーユのようなズッキーニは、薄いのにしっかりコリコリとした食感だ。焼くことで香りの良さが際立ったズッキーニに、焦がしバターとアンチョビのうまさが加わり、しっかりワインに合う味わいと満足感がある。えぐみを感じやすいズッキーニの種部分はピューレにすることで、青い味わいが苦手な人でも親しみやすくなっている。構成要素を減らしたシンプルな料理で勝負する、シェフの潔さと腕の高さが表れた一皿だ。

 

森脇さん

シンプルでいてエレガントな料理だと思いました。決して盛り付けが派手なわけではないのですが、一つの素材をさまざまな角度からアプローチしていたり、おなじみの食材をそれまでとは全く異なる手法で仕立てたりする意外性も魅力です。高級食材をことさら多用しないところも好ましいですね。

ソムリエの平野さんが料理にぴったりの一杯をセレクトしてくれる

料理に合わせてペアリングしてもらったのは、スイス産のシャスラという品種を使い、シュール・リー製法で醸した白ワイン。果実味が少なくうまみがのっており、乳酸っぽい香りやチーズのような味が、ズッキーニの風味を引き出してくれる。

鮎のパイ×鹿の血のムースをエレガントな一皿に昇華

松本シェフのすごさは、高級食材や質の高い食材に頼らず、手に入る食材の魅力をさまざまな角度から見せるプレゼンテーション能力の高さにある。この日の魚料理には、今が旬の岐阜県産の鮎を使った一品が登場したのだが、合わせたのは鹿の血のサバイヨン(ムース状のクリーム)。これは日本では困難とされる鹿の血の出荷を合法的に行える手段として、糸島ジビエ研究所との出合いから生まれた一品だ。

鮎と鹿、それぞれの味わいが持つコクが見事にマッチした、他ではなかなか味わえない逸品

畜肉の血を使ったフランス料理というと、黒ソーセージのブーダン・ノワールが一般的だが、それでは捻りが少ないと考えた松本シェフ。鹿の血でソースを作っていくと、チョコレートクリームのようなニュアンスを感じ、鮎の内臓の苦みや動物性の油のコクが、このソースと合うのではないかと考えたという。

スプーンでザクザク割って食べ進めていくのも楽しい

フランス料理では青魚、川魚とパイがよく組み合わせられることに着目した松本シェフ。パイはチョコレートのミルフィーユから着想を得て、カカオで仕立てることにした。小麦粉とココアパウダーで作ったカカオのパイの生地で、ソテーした鮎と、鮎の内臓と黒ニンニクで作ったムースをサンド。その横に、卵黄と生クリームと鹿の血を加え、火入れしながら泡立てたサバイヨンを添えた一品が完成した。

サクサクとカカオのほろ苦さが感じられるパイに、鮎の香ばしいうまみや苦みに、鹿の血のサバイヨンが寄り添い、味をまとめてくれる。ブーダン・ノワールのイメージよりもかなり軽やかで、まろやかかつ余韻が美しい芸術的な一品だ。

コース終盤にはセロリが爽やかに香るデセールが登場

セロリの青っぽさとヨーグルトの酸味がなんともクセになる

コースの終盤も驚きに満ちている。セロリをハーブに見立てたデセールが、夏のこの時期にテーブルを彩る。ヨーグルトのムース、セロリのコンフィチュールをセロリとベルガモットのゼリーで巻き上げ、その上にヨーグルトとライムのシャーベット、マリネした角切りのセロリ、マイクロセロリ、セロリのオイルを垂らしたセロリ尽くしのデセールだ。乳製品に青い味わいの食材が合うことに目をつけた一品で、青々とした草原で深呼吸するかのように、爽やかなセロリの味わいが口の中を駆け抜ける。

一度訪れれば、季節ごとに通いたくなるお気に入りの一軒になるはず

「日本では完熟したイチゴなど、そのまま食べてもおいしいもの、特に甘くてやわらかい食感の食べ物が重宝されていますが、一方で規格外のサイズや味のもの、摘果(果実の間引き)で廃棄されてしまうものも多い。修業していたフランスではよい食材がいつも手に入るわけではなかったので、その分どんな食材でも料理をすることでおいしくなるようシェフたちが手を尽くしていました。その経験が今に生きています」と松本シェフ。

実際にお付き合いのある農家からは、剪定されたブルーベリーの葉を仕入れて煮だしてお茶にしたり、摘果された青いフルーツを仕入れて漬物にしたりと、工夫が見られる。その考えはもちろん、食肉にも反映されており、害獣として駆除されたジビエも積極的に使用しコースで振る舞う。質の高い食材の力に頼るのではなく、新たな視点から食材のおいしさを引き出す松本シェフ。季節ごとに通いたい一軒だ。

※価格はすべて税込、ウォーターチャージ料(1,100円)別

※支払いはクレジットカードのみ

撮影:佐藤潮

文:中森りほ、食べログマガジン編集部