【噂の新店】「とんかつ ここまでやるか。」

今や、世界に誇る日本食の一つ“とんかつ”。明治時代、銀座「煉瓦亭」が始めた“ポークカツレツ”が、いわばとんかつの源流。そして昭和4年、上野御徒町「ポンチ軒」が初めて“とんかつ”の名で売り出したという説が有力と言われている。西洋のコートレットを日本人の口に合うようアレンジした、まさに和魂洋才の先駆けともいうべき傑作だろう。このとんかつが、近頃さらに進化。さまざまな銘柄豚が全国各地で飼育され、豚肉自体の質も向上。提供の仕方も定食スタイルはもとより、コースで食べさせたり、牛肉よろしくシキンボやランプなど希少部位を提供したりとスタイルも多様化。それに伴い、高級化の一途を辿っていることも否めない。

そんな中、2024年3月8日、外苑前にオープンしたのが「とんかつ ここまでやるか。」。予約至難のイタリア料理店「malca」の北野司シェフが始めたとんかつ専門店だ。

お店の場所は外苑前駅から徒歩4〜5分程度

「小さい頃からとんかつが大好きで、プライベートでも食べ歩いていたんです。そのうち、自分だったらもう少しこうして食べたいな、とかこうした方がおいしいんじゃない?的な思いが次第に膨らんできて。それなら、いっそのこと、自分で納得のいくとんかつを出す店を作ってしまおう。そう思ったんです」と語るのは北野シェフ。「ここまでやるか。」と名付けた店名には、北野シェフのとんかつ愛と信念が込められている。

オーナーの北野司シェフ(写真左)と、料理長の田代昌雄シェフ(写真右)

さらにテーブルに置かれた紙片には、次のようにしたためられている。

◎味の決め手のソースは熱々であってほしい

◎塩はバスクの湧き水を使った完全天日塩で

◎豚の品種は選べるといいよね

◎外はサクサクさせたい

◎付け合わせのキャベツが油を吸ってベチャベチャになるのは気分じゃないし、さっぱりドレッシングで食べたい時もある

などなど。北野シェフが日頃から抱いていたとんかつへの思いが、ずらりと記されていて、さながら愛しのとんかつへのラブレターのようだ。

カウンター席がメインの店内

場所は本丸「malca」のほど近く。天ぷら店をそのまま居抜きしたという店内は、テーブル席が1卓あるもののカウンターがメイン。昼は定食スタイルのみだが、夜は、アラカルトと11,000円のコースの2本立て。とんかつの他、海老フライやサワラフライ、おひたしなどの一品料理も用意され、日本酒やワインと共にそば前ならぬカツ前も楽しめる。

さて、その肝心の豚肉だが、北野シェフがオープンにあたって選んだ豚肉は、神戸ポークと埼玉の味麗豚。北野シェフによれば「味麗豚は、脂に甘みがあり香りがいい。旨みもしっかりとして肉質も柔らかく、それでいて味わいは軽い」とのこと。それも、ミネラルたっぷりの水を与え、動物性飼料は一切使わず、良質な穀類と小麦を配合した純植物性飼料に海藻粉末や黒麹菌などをブレンドした独自の飼料を与えていればこそ。加えて、清潔で衛生管理の行き届いた環境の中でストレスなく育てられている点も見逃せない。

神戸ポークと味麗豚

一方の神戸ポークは、神戸市西部の豊かな自然に囲まれた高尾牧場で飼育された雌豚。飼料に加える脂分を少なくすることで、豚が自身の力でおいしい脂を作るように仕向けているのだとか。また、毎朝毎夕の1日2回、全豚舎を消毒するなど衛生面にも徹底的に留意し、安全性の高い豚に育てている。「今後は、イベリコやビゴール豚など海外の豚を含めてもっといろいろな豚を試していきたいですね」と北野シェフ。今もスポット的に北海道のどろぶたが入ることもあるそうだ。が、現在はこの2つのそれぞれ、ロース、ヒレが常時ラインアップされている。それも、肉質が最も良い特上の部位のみを用いている。

神戸ポークの「特上ロース」

そこで今回いただいたのは、神戸ポークの「特上ロース」2,800円と、味麗豚の「特上ヒレ」4,300円の2種。ヒレは160g、ロースは200gとボリュームもたっぷりだ。最近のとんかつの傾向として、中をレアに揚げる衣の白いとんかつが隆盛の感があるが、北野シェフは、しっかり狐色に揚がった衣を良しとする。それでいて中はしっとりとややレア気味に、余熱で芯まで火が入るような揚げ上がりを理想としているとか。

低温と高温、2つの鍋を使って調理する

肉厚にカットした豚肉を低温と高温、2つの鍋を駆使して揚げているのは田代昌雄料理長。「tonkatsu.jp 表参道」でも腕を振るった経歴の持ち主で、北野シェフとはとんかつの好みが一致し意気投合。同店の料理長を任されたそうだ。

田代料理長によれば「低温でじっくりと揚げたら、しばらく休ませて、仕上げに高温でカラッと揚げている」そうで、厚さ3cm近くはあろうかという迫力のロースカツの中心部分はうっすらとピンク色。だが決して生ではない。口にすれば、衣のサクッとした歯触りも心地よく、カッシリと歯が入る肉へのみっしりとした食感に頬は緩み、肉を頬張ばればこその高揚感に包まれる。

味麗豚の「特上ヒレ」

ロースカツが攻めるおいしさなら、ヒレはふわりと軽く柔らかく、デリケートな肉質が持ち味。カットするや、肉の表面にじわりと滲み出るコンソメの如き透明な肉汁が旨さの証だ。共に、まずは何もつけず、肉本来の味を楽しんでみたい。

もちろん、味変アイテムにもこだわりが満載だ。塩はバスク地方の湧水で作られる“アンセストラル塩”。ピレネー山脈の雪解け水が地下に染み込み、2億2千万年前の岩塩層を経て地表に湧き出た塩水を天日乾燥させたもので、言うなれば古代の海塩。ミネラルをたっぷりと含み、豊かな味わいを持つ塩味が、豚の持ち味を引き立ててくれるはずだ。

複数のソースで異なる味わいを楽しめる

また、ソースも、前述のように温めて提供。あらかじめ用意される小ぶりのすり鉢に入った胡麻を客自身が擂るうちに、ソースが運ばれてくるという寸法だ。コリアンダー、ナツメグ、クミンと3種の香辛料をブレンドしたスパイシーなソースがより食欲に火をつけてくれそうだ。ソースの他にも、イタリアンパセリ、バジル、ケッパーアンチョビで作ったイタリアのサルサヴェルデ、スペイン産パプリカやナッツ、クミンやニンニクなどで作るモホソースもセットで登場。いろいろ試してみるのも一興だろう。

ご飯と赤出汁、キャベツを付ければ定食風に

「キャベツ」400円に「ご飯と赤出汁」500円をセットにして定食スタイルにするも良し。酒のアテとして楽しんだ後、「銘柄特選豚の特製コンソメ醤油ラーメン」1,000円で締めるもよし。コースなら「旬の野菜フライ」から「淡路島産新玉ねぎとしらすのサラダ」「神戸牛と銘柄豚のメンチカツ」や「千葉産釣りサワラのフライ」等々、デザートまで全11品を少しずついろいろ楽しめる。

「千葉県産 サワラ 1切」1,200円(アラカルト価格、当日の仕入れ状況により種類や価格は変動の可能性有り)

中でも肉厚のサワラフライは、サクサクの衣とふんわりした身との食感のコントラストが印象的。素材の良さが伝わるおいしさだ。揚げ油は、身体に優しい米油。ご飯は、五つ星お米マイスターの目黒「スズノブ」の西島豊造さんと選んだ秋田の“サキホコレ”を使用と、とんかつを引き立てる脇役にも抜かりはない。“ここまでやるか”の文字が刺繍されたタオル地の手ぬぐいにも、北野シェフの思い入れの深さが表れている。

※価格はすべて税込

撮影:佐藤潮

文:森脇慶子、食べログマガジン編集部