目次
年に1回、食べログユーザーからの投票で決まる「The Tabelog Award」。全国に星の数ほどある飲食店から選び抜かれる受賞店の魅力を伝えるとともに、店主の行きつけの店をご紹介。ストーリー性のある料理とゲストを楽しませるもてなしに定評があるフレンチレストラン「シンシア」のシェフが選ぶ名店をご紹介。
〈一流の行きつけ〉Vol.23
フレンチ「シンシア」北参道
高評価を獲得した全国の店の中から、さらに食べログユーザーたちの投票によって決定する「The Tabelog Award」。どの受賞店も食通たちの熱い支持によって選ばれただけに、甲乙付け難い店ばかりだ。
当連載では一流店のエッセンスを感じてもらうべく、受賞店の魅力やこだわりとあわせて店主が通う行きつけの店を紹介する。
第23回は2017年を皮切りに「The Tabelog Award」でSilver、Bronzeを毎年受賞、「食べログ フレンチ TOKYO 百名店」 にも選出されている「シンシア」。オーナーシェフを務める石井 真介氏に話を伺った。
料理には“人を喜ばせる力”がある
地下鉄北参道駅から徒歩3分、千駄ヶ谷の閑静な住宅街の一角、入口にツタが絡まる建物の地下1階に「シンシア」はある。地下ではあるが空が開け自然光が入るテラスがあり、開放感あふれる造り。この物件に出合うまで1年もの時間を要したそうだが、石井氏自身この場所がとても気に入っているという。
ここに石井氏が「シンシア」を開いたのは2016年。前年まで松濤にあった伝説のフレンチ「レストラン バカール」で腕を振るっていたが、店をともに立ち上げたソムリエの病を機に惜しまれつつ閉店。新たな思いで開いた「シンシア(sincere)」には「誠実な」「偽りのない」などの意味があり、石井氏の思いがそこに込められている。
実家が美容院という環境で育った石井氏。料理人になるきっかけをくれたのは母という。
「小学生時代、忙しい中でも母が僕の誕生日にスポンジ生地を焼いてくれ、誕生日会に呼んだ友人とホイップやイチゴで飾り、ケーキを完成させたのはいい思い出です。多忙な母に代わり私が料理を作ると、家族が喜んでくれるのがうれしくて。料理の本もたくさんあったので、それを見て自分でシュークリームを焼いたときは、家にあるもので作れるんだと料理のロジックに興味を抱きました」
バカール時代になるが未曽有の震災が起き日本中が沈んでいた頃、料理を作っていていいのかと自問したこともあったというが「そんなときに訪れたお客様が『おいしいものを食べて元気になれました。明日からまた頑張れます』とおっしゃって、改めて食の力のすごさを感じ、自分の仕事を誇りに思いました」と石井氏は振り返る。
フレンチの二大巨匠から受けた薫陶を生かして
調理師学校に通う中で出会ったのは、日本のフランス料理界を代表するシェフ・三國 清三氏が腕を振るう四ツ谷の「オテル・ドゥ・ミクニ」だ。食べたことのない食材の組み合わせや初めて食べる料理に感銘を受け、フランス料理の道へ。「卒業後、一番初めに働いたのも『ミクニ』です。とても厳しい環境でしたが、料理の基礎的なことに加え規律や衛生面、仕事のスピードや効率など、仕事の仕方の軸をみっちり身に付けました」
次に修業したのは、料理界で知らない人はいないフレンチの重鎮・田代 和久シェフが営む表参道の「ラ・ブランシュ」だ。「席数が多かった『ミクニ』時代は余裕がなくお客様が見えていませんでしたが、『ラ・ブランシュ』では、お出しする料理をテーブル番号ではなくお客様の名前で呼ぶのです。本来僕たちがすべきこと、なんのために料理を作るのかを再認識することができ、今の自分のスタイルにも取り入れています」
フランス料理には「ショープレート」といって、ゲストに見てもらうための飾り皿を準備する文化があるが、「シンシア」のコース料理では、このショープレートに1品目のスペシャリテ、ウニ料理を、お客様を精一杯もてなしたいという思いを込め石井氏が自ら運ぶ。食べ終わったプレートの下からサプライズ的に現れるのは、まるで手紙のようなコースメニューだ。
「一般的な箇条書きのメニューよりもわかりにくいかもしれませんが、メニューのストーリー性をお伝えしたくてこのようにしています」と石井氏。リピーターが多く、コース料理でもお客様ごとにメニューを変えていることもあり、それぞれにテーマを設け、その日の料理の流れを文章にしているという。
「シンシア」の代名詞ともいえるのが、目の前に運ばれあっと驚く「ルーアンクルート(魚のパイ包み焼き)」だ。フランス料理をもっと気軽に楽しんでほしいと、鯛焼きの形のパイの中にスズキ(季節によっては真鯛)を忍ばせてあり、パイのサクサク食感が損なわれないよう、先にソースと付け合わせを盛りつけ、後から焼き立ての“鯛焼き”をのせる。発想や形はユニークでも料理そのものは本質を外さないのが石井流だ。
サステナブルな未来を見据えた仕事で次世代へ
ミシュラン一つ星を2019年から連続獲得する「シンシア」は、サステナブルなレストランの最高峰「ミシュラングリーンスター」にも認定されている。
若い時分には本場フランスの星付きレストランで修業を積んだ石井氏。「当初はただおいしいものを作れればいいと思っていましたが、日本の外に出たことで、四方を海に囲まれた日本がいかに水産資源に恵まれていたのかを実感しました。そこから20年、当たり前に取れていた魚が取れなくなる、価格が著しく高騰するなど、日本の水産資源は非常に深刻な状況にあります」
そこで2017年から石井氏が取り組んでいるのが、サステナブルシーフードの活動だ。将来的に魚を絶滅させることなく食べ続けていけるよう、例えば水産資源や環境に配慮した漁業で獲られた大西洋クロマグロ、環境と社会への影響を最小限に育てられた真鯛、ブダイなどの未利用魚を料理に取り入れ、メニュー表にも記載。それを見て関心を抱くお客様には、さらに詳しく話すようにしているという。
「僕がやりたいのは、未来を見据えた仕事です」と石井氏は語る。
それは自分の名前を残すということではなく、10年後、20年後、100年後、次に続く世代を考えてのことだ。「マグロやうなぎなど日本の豊かな水産資源を絶やすことなく次の世代につなぎたい。と同時に、自分が携わる料理人という仕事をもっと価値のあるものに、サステナブルなものにしたいんです」
とかく日本の料理人は忙しく、修業時代は厳しく過酷というイメージがあるが「それでは続きませんよね。働く環境や時間、収入面などが改善され、料理人が憧れの職業となり、料理人を志す若い人が増えれば、世界からも高く評価されている職人技を次世代につなぐことができますし、日本の食文化がもっともっと豊かになるはずです」
石井氏が抱く思いは、プレートの上で料理という形で昇華され、ストーリーとなって未来へつながっていく。「シンシア」の料理を味わうことでその思いを受け止めたい。