【噂の新店】「sinensis(シネンシス)」
“おいしい”と一口に言っても、おいしさのありようはさまざまだ。高級食材ばかりがおいしいわけではなく、一流レストランでいただく繊細な料理だけが素晴らしいわけではない。そう、“ハレ”の料理にも“ケ”の料理にもそれぞれにそれぞれの良さがあり、その本分を全うさえしていれば、どちらも等しくおいしく素晴らしいと言っていいだろう。
中華料理も同様、ふかひれや干し鮑等々、高級乾貨を使った高級料理はもちろんおいしい。けれども、豆腐や卵、豚バラ肉やひき肉などのどこにでもある安価な食材を使った町中華の味も見逃せない。餃子に焼売、麻婆豆腐、酢豚に角煮、エビチリ、炒飯。町中華の楽しさは、なんといっても背伸びをしないおいしさにある。そんな町中華の気取りのなさを前面に押し出しながらちょっとオシャレに楽しめる新しい形の一軒がここ。昨年12月、吉祥寺にオープンした「シネンシス」だ。

「料理は本格的だけれど、価格設定はリーズナブル。カジュアルだけどセンスがいい。カップルからファミリーまで色々な層の方々に来ていただける店作りを目指しました」。歯切れ良くそう語るのは、自らも料理経験を持つオーナーの小野大樹さんだ。勤め人から飲食の世界に飛び込み、焼き鳥店やバーテンダーを経て、27歳にして中華の道に進んだ小野さん。たまたま入った渋谷「月世界」で、2人の実力派シェフに圧倒、魅了され、中華の道を選ぶ決心を固めたのだとか。その後、調理場からホール担当に変わり、バーデンダー時代の接客経験を生かし、サービス面の向上に努めることにしたのだが、それには理由があった。
「調理場の世界しか見ていない料理人の場合、量の調節など、お客様の要望に細やかに応えることはなかなか難しいものです。それを、サービス側でうまくコントロールできたらいいなと思っていたんです」と小野さん。その後「月世界」と同系列店の麻布十番「ナポレオン フィッシュ」や「アパッペマヤジフ」(共に閉店)、「中華香彩JASMINE 広尾本店」等々の店長を経て独立。2022年、大泉学園にチャイニーズファミリーレストラン「POT」をオープンし、続く2023年には東久留米にも2号店を開業する。“ファミレス”と謳うように、この2軒はグッとカジュアル。子供連れでも気兼ねなく日々通えるフレンドリーさが好評を得て、週末には予約必須な賑わいを見せているという。

先の2店のカジュアルさは残しつつ、料理も雰囲気も少しだけグレードアップさせたのが、この「シネンシス」だ。場所は「吉祥寺エクセルホテル東急」の裏手あたり。「挽肉と米」や「リゴレット」等の人気店がひしめく、吉祥寺でも注目のエリアだ。この激戦区を選んだ理由を小野さんがこう説明する。「実は『カフェ リゴレット』のそばだったからというのが、一つありますね。僕が飲食に憧れたのも、将来『リゴレット』みたいなかっこいい店を自分もやりたいと思ったんです。それに激戦区ということは人が注目する場所でもありますしね」
それゆえ、内装には気を使った。古民家をリノベーションした店内は、古い木の柱や天井がレトロな趣を醸し出す隠れ家的雰囲気。木の温もりが漂うモダンな空間となっている。日常使いはもちろん、カウンター風のテーブル席や半個室のような角席など意匠を凝らした内装は、デートや接待にもおすすめできる。

町中華を自認する同店らしくアラカルトが主体。コースもあるが、ここではやはり思いのままに楽しみたいもの。麺飯1杯から、つまみ多めで飲むもよし、前菜からメインまで色々頼んで仲間とワイワイ盛り上がるのも一興と、その日のシチュエーションに合わせていかようにも使いこなせるのも、アラカルト店の利点だろう。
レトロな雰囲気と新しさが共存する店内同様、料理も“温故知新”がテーマ。小野さんによれば「海老チリや海老マヨ、酢豚といった馴染み深くわかりやすい料理をメインに置き、そこに今風の一手間を加え、少しだけ洗練させて提供するようにしています」とのこと。見た目は同じ町中華でも、そこは一流店で研鑽を積んだ小野さんと大村泰雅シェフ(「ジャスミン」出身)のこと、下ごしらえの丁寧さや食材への綿密なアプローチが、新しくて懐かしい「シネンシス」ならではの“町中華”を生み出している。

例えば「海老のマヨネーズ炒め」1,100円。海老はそのまま炒めずに、まず、塩と砂糖、そして片栗粉でよく揉み込みんでから流水にさらす。こうすることで下味をつけると共に汚れが取れ、身もプリプリに仕上がるというわけだ。

また、マヨネーズには隠し味にブラッドオレンジジュースを加え、フルーティーかつ爽やかなテイストを演出。舌を飽きさせない。

また、点心の定番「焼売」600円も、ここでは牛タンやラムバージョンを用意するなど一工夫。パクチーを混ぜたラム焼売には発酵唐辛子を隠し味に加え、ラムの風味にちょっとしたアクセントを付けている。

塩レモンと合わせた「クラゲの塩レモン和え」650円、レモングラス風味の「パクチーサラダ」950円、「アボカドの茶碗蒸し」750円など捻りを加えた前菜が並ぶ中、一番人気は「四川よだれ鶏」850円。

四川と書いてあるものの辛みは控えめ。唐辛子花椒は風味のみに抑え、代わりに多彩な香辛料を加えてインパクトのある味わいに。やや甘めの味付けが好評のようで、残ったタレに餃子をつけて味わう人も多いそうだ。

「よだれ鶏」も人気だが、一番の自信作といえば、やはり東玻肉こと「豚バラ肉の角煮仕立て」1,300円だろうか。艶やかに黒光りするタレに覆われているのは肉厚の豚バラ肉。塊のまま、ネギや生姜と共に圧力鍋で煮込むこと約30分。柔らかくなったら醤油と砂糖で40分、八角や桂皮、ローリエなどの香辛料も加え、今度は弱火でコトコト煮込む。こうしてバラ肉を煮あげた後はタレ作り。豚のエキスが滲み出た煮汁にオイスターソースと黒酢、葱油を足して煮詰めれば見事完成!

僅かに香ばしさを感じさせるこのタレが秀逸。解けるようなバラ肉の軟らかさに、タレがじんわり染み込んだおいしさは格別だ。日々のご飯のおかずとしては最強の一皿といってもいいだろう。タレだけでもご飯が進むこと請け合い。迷わずご飯を追加したい。そのご飯も、羽釜で炊いたこだわりの味。ジャスミン茶やプーアール茶などの中国茶で炊き上げている。

気になる締めの食事もいろいろ。見た目もインパクトのある「腸詰とたまり醤油の炒飯」900円は、中国のたまり醤油で炒めた香ばしさが食欲をそそる佳品。

その他、よだれ鶏ならぬ「四川式よだれ牛ご飯」1,100円や「フカヒレあんかけご飯」1,600円など気になるアイテムがそろっている。お値段も前菜、点心類は1,000円以下。メインの料理も1,000円台と確かに抑えめ。「客単価は5,000~6,000円」と小野さんが言うように、万札1枚でお釣りが来る手頃さもうれしい限り。
高級食材を使わずとも、ちょっとした一手間とアイデアで上質の日常を楽しませてくれる。今、あるべき一軒と言ってもいいだろう。
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撮影:外山温子
文:森脇慶子、食べログマガジン編集部