〈秘密の自腹寿司〉

高級寿司の価格は3~5万円が当たり前になり、以前にも増してハードルの高いものに。一方で、最近は高級店のカジュアルラインの立ち食い寿司が人気だったり、昔からの町寿司が見直され始めたりしている。本企画では、食通が行きつけにしている町寿司や普段使いしている立ち食い寿司など、カジュアルな寿司店を紹介してもらう。

教えてくれる人

小寺慶子

肉を糧に生きる肉食系ライターとして、さまざまなレストラン誌やカルチャー誌などに執筆。強靭な胃袋と持ち前の食いしん坊根性を武器に国内外の食べ歩きに励む。趣味はひとり焼肉と肉旅(ミートリップ)、酒場で食べ物回文を考えること。「イカも好き、鱚もかい?」

経堂の住宅街の地下に佇む隠れ家

「この場所で成功したら、どの街でもやっていける」。昔からそう言われるほど、小田急沿線のなかでも飲食店の猛者が揃う、経堂エリア。

メインストリートのひとつ、農大通り商店街には居酒屋チェーン店やラーメン店に混じって、SNSを賑わせるパスタ自慢のイタリアンや人気店で修業をした店主が営む焼肉店が。

通りから一歩横道にそれると、そこには閑静な住宅街が広がる。そのマンションの地階にひっそりと佇む寿司店こそ、肉と寿司をこよなく愛するライター小寺が「できれば内緒にしておきたい」という「経堂 にし岡」。

オープンから3年目を迎え、最近は遠方から訪れる人も多くいるという、この店の魅力とは?

場所は農大通りの喧騒を離れたマンションの地下。思わず通り過ぎてしまうほどさりげなく看板が掲げられている。階段を下りると玉砂利が敷かれたアプローチが 

意表を突かれるとは、まさにこのことを言うのだろう。経堂にはカジュアルな町寿司から老舗までいくつかの寿司店があるが、この店の艶っぽさは間違いなくエリアいちだ。

店内に入ると、目に入るのは落ち着いた照明に照らされた白木のカウンター。砂紋を思わせる壁紙と黒壁のコントラストがモダンな雰囲気を生み出しており「マンションの地下にこんな空間があったとは」と入店早々、心をつかまれる。いい意味で世田谷の牧歌的なイメージと対極にある空間に、これから始まる食宴への期待が自然と高まる。

カウンター6席のみの小体な空間。隣席との間隔がゆったりと取られており、ひとりでも気兼ねなく寿司を楽しむことができる
 

小寺さん

学生が多く、活気にあふれる農大通りから一歩それた住宅街にこんな洒脱な寿司店があるとは! 艶っぽい空間に一瞬、ここが経堂!?と思うほど(笑)。

「いらっしゃいませ」と柔和な笑顔で迎えてくれたのは、店主の西岡洋介さん。

この頃は若手の寿司職人の活躍が目立つが、西岡さんはそのなかでも有望株。好きこそものの上手なれ、という言葉があるが、子どもの頃からの魚好きが高じて和食の料理人を目指し「自分でやるなら、とことん魚と向き合える店を」と寿司店を開いたと聞けば、その志の高さは推して知るべしだ。

「昔から釣りが大好きで、食べきれなかった魚を冷蔵庫で保管していたんです。ある時、あれ、これは釣りたてよりもおいしいんじゃないかと気づいて。いま思えば、それが魚を熟成させるということだったんです。僕は寿司店での修業経験があるわけではないので、独学で勉強して、店を始めたばかりの頃は熟成でいかにして魚のポテンシャルを引き出すかということをずっと考えていました」

大将の西岡洋介さん。調布の和食店で働いたのち、26歳のときに一念発起して経堂に自身の店を構える。「子どもの頃から魚がとにかく好きだったんです。自分で店を始めてからはますますその深みにハマっています(笑)。どうしたら、もっとおいしいネタを育てられるか。毎日、そのことばかり考えているし、それが最高に楽しいです」

試行錯誤を繰り返し、魚の熟成と向き合う日々。「寿司ネタを育て、いざ切りつけて握るという瞬間がすごく好きで。魚をひとくくりにしないで、個体として手当てをすることに命をかけていたと言っても過言ではありません(笑)」

魚の酵素を活かす、乾燥や塩当てを的確に施すといった方法で、魚はどこまでうまくなるのか。もともと探究心が強い性格もあり、思いつくことはすべてやってみたという。

「毎日違う魚を仕入れるのに、それに対して同じ仕事はありえない」とネタの熟成期間やその方法、合わせるシャリまでこまめに見直した。たとえばスミイカ。あまり寝かせると食感が柔らかくなりすぎるので、サクッとした歯ざわりとともにねっとり感も出すタイミングを見極める。マグロは真空にして水分を抜き、冷蔵庫のなかで冷風乾燥させながら1〜2カ月かけてうまみと香りを最高潮に持っていくなど、トライアル&エラーを繰り返しながら熟成と向き合うことで、個体によってどういう手当てをするべきかが見えてくるようになったと話す。

 

小寺さん

初めてお会いした26歳の時もお若いのに魚の知識とひたむきに仕事と向き合う姿に感動しましたが、お伺いするたびにそのスキルが上がっているのをはっきりと感じます。まわりに流されず、己が寿司道を貫く姿が本当に清々しくてかっこいい!

手間のかかる“小魚”を愛し、追求する姿に職人魂が宿る

“寿司の花形”といえば、マグロやウニなどを思い出すが、西岡さんは「どちらかといえば、小肌やサヨリ、キスといった小魚が好きなんです」と言う。小魚の仕込みは想像以上に手間がかかるが、その手間を惜しまないことが寿司職人のあるべき姿だという自負がある。