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【運命の食材:シェフインタビュー】
海鴨の滋味を120%引き出すソースにたどり着くまで:ラ シャッス シェフ 依田誠志さん
自ら仕留めた命を供するレストランを開くまで
秋が深まるにつれ、野生動物たちは越冬のために脂肪を蓄えていく。ジビエ好きには胸の躍るシーズンである。ジビエという言葉もすっかり市民権を得てはいるが、多くの店ではハンターや専門の業者から仕入れた肉を調理している。ところが、自分自身で仕留めた獲物だけをメニューにのせるというフランス料理店がある。その名も「ラ シャッス」。フランス語で狩りを意味する言葉だ。シェフの依田誠志氏はハンター歴20年のベテランである。
「本場を知りたいと渡ったフランスでは、豊かな自然の残る南西部、ドルドーニュ県にある一つ星の『ル・エスペラナード』で修業しました。シェフは秋になると鉄砲を持って喜々として森へ出かけ、仕留めた獲物を自慢げに持ち帰り、メニューにのせる。猟の合間に採ったキノコは付け合わせやソースに。そんな自然と共にあるレストランの文化やスタイルにすっかり魅了されました」と依田さん。いつか自分も、の夢を叶えたのが12年前。六本木の街の喧騒を離れた一角に、隠れ家ともいえる店を持った。猪や鹿の剥製が飾られ、キャンドルがともる店内は、海外の山小屋を訪れたような錯覚にとらわれる。
ジビエの王道、鴨。山の鴨、海の鴨、それぞれのハンティング
鳥類から鹿や猪まで、幅広く猟をする依田さんだが、今回紹介するのは、「ラ シャッス」の哲学を最も色濃く表した、佐賀・有明海で仕留めた鴨の料理だ。鴨といえば、鳥類のジビエの中では王道中の王道。古来、肉質のよさ、また、ハンティングに際してのゲーム性の高さなどから、ハンターたちを魅了し続けてきた鳥である。
「鴨猟の典型的なイメージは、北海道の原野などの湖沼に浮かんでいる鴨を散弾銃で撃ち、レトリーブ(回収)役の犬が、沼の中を泳いでくわえて帰ってくるというスタイルです。しかし、水辺の鳥である鴨が渡ってくるのは、里山や原野だけではありません。広く知られてはいませんが、有明海にも驚くほど多くの鴨が飛来してきます。こちらは、シベリアから朝鮮半島を通って入ってくるようです」と。波間に、群れをなして浮かぶ鴨を、船の上から撃つのが有明の鴨猟。鴨のことを熟知する船長が操る小船に乗り込み、群れへ向けて発砲する。驚いた鴨は一斉に羽ばたき、そこをまた追撃。こうして船に乗り込んだ4人くらいで連携しながら撃ち落とす様はいかにも豪快だ。
山の鴨、海の鴨、それぞれに肉質が異なるわけ
同じマガモでも山の鴨と海の鴨では全く味が異なるのだという。「なぜなら、食べている餌で肉の味が決まるからです。何を食べているのかを知ることは、ジビエを料理する際にとても大切なこと。北海道の鴨であれば主に米や大豆、トウモロコシなどを食べます。米を食べているものは肉に甘みがのり、飼料用のデントコーンばかりを食べると、養殖に近い味に。ところが海を生息場所にしている鴨は、日がな、海にうかぶ海藻やのり、また、貝類などをついばんでいる。だから、海の鴨の肉は、肉でありながら海のミネラルをたっぷり取り込んで、魚に近い味を感じます」と依田さん。餌を知ればおのずと肉質がわかり、それを生かす調理法が見えてくるというわけだ。ちなみに、どのようにして何を食べたかを知るのだろう。鳥類には首の途中に「そのう」という餌を溜める器官がある。首の付け根にあるそのうを押して、食べた中身を出して調べる。海の鴨であれば、ときに、たくさん貝殻が入っているという。
海の鴨の特性を生かしたオリジナルのソースを創り出すまで
「魚の旨みを持つ…、そんな鴨はフランスにはまずいません。であれば、ジビエの本場フランスと同じソースを添えても、日本ならではの海の鴨の持ち味を生かしきることができないのではないだろうかと悩みました」。試行錯誤の末、鴨のフォンでソースを作るときに、海の鴨の好物であるサルボウ貝を加えるに至った。鴨のフォンという動物性のだしに貝を加えると、ソースは旨みの相乗効果でぐっと深みのある味わいになる。「海の鴨は肉そのものが非常に複雑な風味を持っています。その肉をローストしたところへ、サルボウ貝のソースをかけると一体感が出るのですね。口の中で至福のマリアージュを奏でる。これだと思いました」。以来、ラ シャッスの不動の看板料理となり、秋、冬のメニューを飾っている。
有明海に生息する鴨というと、マガモのみならず、ヨシガモ、ホシハジロ、オナガガモなど、多くの種類があるが、今回調理に使ったのはオナガガモだ。野趣に富んだ歯ごたえのある赤身の肉が特徴で、脂肪がのりにくい分、海の風味が強く感じられる。サルボウ貝のソースにも特に最高の相性を見せる種だ。
仕留めた個体でフォンを取るのがスタイル
ちなみに、前出のフォンとはフランス料理のソースの基本で、骨を焼いて香味野菜と一緒に煮出したエキスのことだが、依田シェフのジビエ料理を貫くこだわりの一つに、仕留めた肉を料理する際に、必ず、その骨でフォンをとるということがある。同じ個体からとったフォンでソースを作ることで、初めて一皿のジビエ料理として完結する。そこには、ハンターとして生あるものを仕留め、その命に報いるために、料理人として、食べやすい肉だけではなく、骨や筋、ときには内臓までを無駄なく使いきって、お客様に美味しく食べてもらうという責任感がある。ジビエを食することは、改めて命の尊さに触れられる、またとない機会でもあるのだ。
ジビエとは命を生かし、個性を生かすもの
「長年ジビエを調理してきても、知るほどに奥が深く、つきない魅力と感じるのは、一羽一羽、一頭一頭が、育ってきた環境や個体の嗜好によって、肉のつき方から脂ののり方、そして味までもがまったく異なるということでしょう。それはいい悪いではなく、それぞれの個性なのです」。その個性であり野趣をどう生かすか、それこそが多彩な経験を持つ依田シェフの腕のみせどころ。通常のレストランであれば、メニューに応じて材料を発注するわけだが、ジビエ料理においては、とれた獲物の状態を見てレシピを決め、火加減から味つけまでを微調整する。だから、毎回が新しい出会いなのだとも。シェフであり、ハンターであることの何よりの利点――料理するジビエの生育環境や餌の嗜好を実際に知り、最適の調理法を導き出す――を生かして生まれた名品が、「海鴨のサルボウ貝のソース」なのだ。
現在、ジビエを扱う多くのレストランでも、鴨といえば網どりが主流になってきている。新潟や北陸などの鴨の飛来地で、米などを撒いて餌付けし、しっかり太らせて脂がのった鴨を網でとる。被弾によるダメージも少ないので、当然、肉の状態もいい。「けれど、私に言わせれば、それは“ドゥミ・ソバージュ”。本来のジビエではなく、半野生。ジビエ本来の、野趣を楽しむという意味とは離れてしまいます。敢えて私は、ヨーロッパで長年貴族のスポーツとして愛され、広まった、本来のジビエ文化にこだわりながら、日本という地でハンティングすることの意義の伝わる料理を作り続けたいと思っています」
撮影:小野広幸