昨今のカレーカルチャーを語るうえで欠かせないのが、スパイスカレー発祥の地と言われる大阪のシーンです。では、その最新事情はどうなっているのでしょうか。4,000軒以上のカレー店を食べ歩いてきたカレー細胞さんに、おすすめ5軒を含めて聞きました。

うどんが主食
出典:うどんが主食さん

教えてくれる人

カレー細胞(松 宏彰)
兵庫・神戸生まれ。国内だけでなくインドから東南アジア、アフリカ南端、南米の砂漠まで4,000軒以上を食べ歩き、Web、雑誌、TVなど各メディアでカレー文化を発信し続ける。年2回、カレーにまつわるカルチャーを西武池袋本店に集結させる「東京カレーカルチャー」など、イベントプロデュースも多数。TBS「マツコの知らない世界」ではドライカレーを担当。Japanese Curry Awards選考委員。食べログアカウント:ropefish

スパイスカレーなんて食べ物は存在しない

今回の趣旨をカレー細胞さんに伝えたところ「僕はスパイスカレーなんて食べ物は存在しないと思っています」とのこと。これは興味深い話が聞けそうです。大阪におけるカレーの歴史とともに、その真意をうかがいました。

「大阪カレーの老舗と言えば、1910(明治43)年創業の『自由軒』と、1947(昭和22)年創業の『インデアンカレー』が有名。前者は大阪初の洋食店であり、後者にもスパゲッティやハヤシライスといった洋食があります。つまりルーツはハイカラな洋食で、伝統的な和食を含んだハイソな食文化なんですね。

一方で対岸には、粉もん、串カツ、どて焼き、うどん、町中華といった大衆食文化があります。そこで、もともとハイソだった食べ物を庶民側に寄せたひとつがカレーだと僕は思っています」(カレー細胞さん/以下同)

*あんこ*
「自由軒」の「名物カレー」(並)(800円)   出典:*あんこ*さん

しかし大衆食文化の中でもカレーの地位は決して高くなく、むしろ低いほうだったとか。ただ、だからこそ「スパイスカレー」と呼ばれるムーブメントが起こったとカレー細胞さんは言います。

「そういう既存の価値観に対するカウンターカルチャーという意味合いが最も大きいかなと。だから、スパイスカレーなんて食べ物は存在しないと思っています。よく、スパイスカレーは小麦粉やカレールウではなくホールスパイスを使うとか色々言われますけど、そうやって型にはめるのであれば、極端な話インドやスリランカのカレーだってスパイスカレーですから。

料理の構成要素に関しても、カウンターカルチャーだからこそ既存メソッドの小麦粉やカレー粉を用いない手法で、個々のシェフが新たな表現としてのカレーを創造した。そのムーブメント自体が、スパイスカレーの本質なのだと思います」

例を挙げるとすれば、若い世代が独自のセンスで生み出したシティポップやオルタナティブロックなどのバンドシーン。インディーズでのライブ活動や手売り音源から熱烈なファンを集め、やがてメジャーシーンへとステップアップしていきました。その流れは多くのスパイスカレー店が間借り営業から熱烈なファンを集め、やがて実店舗営業へと移行していった流れそのものだとカレー細胞さんは言います。

名店「カシミール」の影響を受けた第2世代

 カフェモカ男
「カシミール」の「ミックスB(半熟卵あり)ビーフ」(1,350円)   出典: カフェモカ男さん

「スパイスカレーのパイオニアは、1992年創業の『カシミール』だと言われており、店主の後藤明人さんがEGO-WRAPPIN’の初期メンバーだったことは有名。そのほか、スパイスカレーの店主=ミュージシャンというのはよくあるケースですが、スパイスカレーと音楽創作には共通点が多いんでしょうね」

ちなみに「カシミール」以前に存在したスパイスカレーの源流として、かつて心斎橋にあった「ルーデリー」があります。スパイシーでサラッとしたそのカレーは、後藤さんをはじめ多くのスパイスカレー店主に影響を与えたはず、とカレー細胞さん。余談ですが「ルーデリー」の流れを汲むお店は現在宮崎県で同名「ルーデリー」として営業しています。

「後藤さんがカレーを始めたら、セオリーを無視した調理法だけど抜群にウマいと。やがて2000年代前後に、その自由な表現にインスパイアを受けて『ヤムティノ(のちの『ヤムカレー』『旧ヤム邸』)』や『コロンビアエイト』(後述)などがデビュー。スパイスカレー第2世代と言えるシーンが形成されました」

ジャンルが安定し新たな論争も。飽和状態を迎えた第3世代

OWL1964
「curry bar nidomi」の「混盛〜トロトロ豚ナンコツのスリランカカレー 紫キャベツのピクルス添え、ナンコツ入りスパイスチキンキーマ カダラコットゥ(雛豆のカレーソース卵炒め)添え、梨ミカンキュウリのサンボル」(1,100円)、 スペシャルトッピング 「チキンのサンバル炒め」(200円)、「牡蠣のオイル漬け海老醤仕立て」(250円)   出典:OWL1964さん

「2010年代になると、さらなる新星による第3世代が登場。代表格は『curry bar nidomi』『スパイスカリー バビルの塔』『ボタニカリー』『谷口カレー』など。スパイス居酒屋、あいがけ、青い皿を用いた美しい盛り付け、間借りといったスタイルが顕著になります」

やがてこれら先達のスタイルを踏襲する店が次々と誕生しますが、ジャンルとして確立されればされるほど、スパイスカレーは論理矛盾をはらむことに。なぜなら、既成概念をひっくり返すことが本来のスパイスカレーだったから。なんとなく、パンクのレジェンド「ザ・クラッシュ」のジョー・ストラマーによる名言「Punk is attitude. Not style」や、お笑いコンビのマヂカルラブリーを例にした漫才論争などに似た感覚を覚えるのは筆者だけではないでしょう。

他方、スパイスカレーの認知が府外に大きく広がったのも2010年代。これはFacebookによるコミュニティや、Instagramによる映え写真のトレンドなど、SNSの影響が強く関わっています。

「2015~2016年頃からはメディアによく取り上げられるようになり、スパイスカレーというジャンル自体も安定化、裏返せば飽和状態になったと思います。以降は第4世代と言えるでしょう。第3世代で確立されたスタイルでジャンルの裾野を広げるお店が全国に広がった一方、固定化されつつあった枠を飛び越えて自由な表現に挑む、本質的なスパイスカレーマインドを持った気鋭店も登場しています」

大阪カレーに多大な影響を与えたスリランカ料理

ここまで大阪カレーの歴史に触れてきましたが、ひとつ欠かせないエッセンスがあります。それがスリランカ料理。米を主食とし、日本の鰹節に似た食材「モルディブフィッシュ」を使い、油は少なめで香りとうまみを共存させているのが主な特徴です。また、仏教国なので豚肉や牛肉も自由に用いられているなど、日本の食文化との親和性も。

日常食のひとつは、ご飯とパリップ(スリランカ式豆カレー)やカレー、ポルサンボル(ココナッツふりかけ)などの副菜をワンプレートに盛り付け、混ぜ合わせて食べる「ライス&カリー」。このスリランカ料理が日本で最初にメジャーとなった地域が大阪であり、スパイスカレーにも大きな影響を与えたと考えられるのです。

「きっかけは、1990年に開催された『国際花と緑の博覧会』。ここで“宝石と紅茶とスパイスの国、スリランカ”をテーマに掲げ大好評だったスリランカ館です。その後日本に残ったスリランカ人シェフやスタッフ、そしてそのツテで来日してきたシェフたちの手で次々と本格的なスリランカ料理店がオープンしていきました」

虎太郎がゆく
「カルータラ」の「チキンカリー」830円   出典:虎太郎がゆくさん

エポックメイキングなお店は、1998年オープンの『カルータラ』や、2011年オープンの『ロッダグループ』などです。カレー細胞さんは「スパイスカレーと聞いてイメージされるあいがけスタイルワンプレートの原型は、スリランカの『ライス&カリー』にあると言っていいでしょう」とのこと。

「大阪でスリランカ料理が爆発的に受け入れられた背景についてはいくつか挙げることができます。ひとつは『うまみ文化』。合わせだし文化が育まれた背景もあり、大阪人は他地域の人が思っている以上にうまみにこだわります。異国料理ながらうまみを感じられるスリランカ料理が、大阪人の味覚にジャストフィットしたのは間違いありません。

もうひとつは『混ぜ文化』。粉もんが根付く大阪では、料理をグチャッと混ぜることにあまり抵抗がありません。前述した『自由軒』に代表される、生卵を混ぜるカレーがソウルフードですし。これらの背景から、スリランカ料理のエッセンスが今の大阪カレーに生かされたと僕は考えています」