【森脇慶子のココに注目 第40回】「四川料理 花重」

昨今の四川料理ブームの火付け役にして、誰もが認める四川料理界の大御所、趙楊氏。弱冠22歳にして中国・成都の迎賓館「金牛賓館」の料理長に大抜擢。世界の賓客をもてなしたその腕を、日本でも余す所なく発揮して30年余り。日本人向けにアレンジした和製中華ではなく、本物の四川の味を日本に知らしめた食の伝道師だ。その趙楊氏の味を受け継ぐ期待の一軒が、今年2月、東京・大塚にオープンした。

店名は「花重」。“かえ”と読むこの店名、実はあの趙楊氏の娘さんの名前を冠したもので、ご想像の通り、ここ「花重」は、趙楊氏の娘さんご夫婦が始めた火鍋と四川料理の店だ。

「以前『趙楊』で出していた火鍋ファンの方が思いの外多くて。(火鍋を)やめてからも“また食べたい!”という声をたくさんいただいていたので、自分たちの店で出すことにしたんです」と、ご主人の田中宏茂シェフ、41歳。花重さんの夫君だ。

田中宏茂シェフ

花重さんとの結婚を機に料理の世界に入った田中さんだが、それまでの仕事は全くの畑違い。中学の頃から好きだった音響関係の仕事に携わること10年、料理とは縁のない世界に生きてきた。それが、花重さんとの出会いによって、思わぬ人生の転換期を迎えることとなったわけだ。

趙楊氏から後継者としての資質を見いだされたとはいえ、料理らしい料理を作ったこともない自分が、果たして趙楊氏の味を継承できるのだろうか。修業について行けるだろうか。未知の世界へと新たな一歩を踏み出すには、かなりの勇気と決断を要したに違いない。そこに不安はなかったのだろうか――。その思いを、田中さんは次のように淡々と語る。

「『あなた、できるよ。大丈夫』。趣味で描いていた僕の油絵を見て、趙楊さんがそう言ってくれたんです。『あなたは絵がうまい。絵のうまい人は料理も上手くなれる』。中国では、そんなふうに言われているそうです。半信半疑でしたが、その一言に背中を押された感じですね」

皿洗いとホールでのサービスから始まった修業は、ひたすら食べることと見ることの繰り返し。それが勉強だった。まずは舌と目で覚えろ、という訳なのだろう。結婚前から店の料理を食べさせて貰うことも一度や二度ではなかった。厨房に入ってからは、とにかく趙楊氏にへばりつき、鍋を振るタイミング、味のバランスの取り方等々、その一挙手一投足を見逃すまいと必死にあとを追いかける日々だった。

やがて賄いを作らされたり、前菜の飾り付けを任されたりと見よう見まねではあるけれど、次第に料理らしい料理を作らせてもらえるようになり、3年も経った頃には手頃なコースなら、一通りの料理は作れるようになっていた。そして、7年間みっちりと腕を磨いた後、花重さんと二人して独立。こぢんまりとした店を構えた。

大塚駅南口から歩いて5分。まだ新しいビルの地階に下りれば、まず、スパイシーな香りの洗礼に胃袋が揺さぶられる。木のテーブルと床が温もりを醸し出す店内にはテーブルが3卓。奥には個室もあり、どこか隠れ家的な雰囲気もテンションを上げるには充分だろう。

目指す火鍋コースは、2色と3色の2種類。2色は「麻辣湯」「白湯」「酸菜魚湯」「アガリスクと珍菌湯」の4種のスープから選べて9,000円。3色は、2色の4種に加えて「老酒と地鶏の清湯スープ」「季節限定スープ」の2種が入った6種類から好みを選んで12,000円。どちらにも前菜と担々麺、デザートが付いてくる(7月からは、夏季限定の牛テールとトマト鍋も登場予定)。

いずれ劣らぬ力作揃いだが、今回は「麻辣湯」「酸菜魚湯」、そして身体に優しい「アガリスクと珍菌湯」の3種を選択。前菜をつまみつつ、鍋の登場を待つことしばし。パンダの取っ手も愛らしい特注の真鍮(しんちゅう)の鍋が運ばれてきた。

続いて、テーブルを埋め尽くすほどの鍋の具が次々に登場。そのバラエティの豊富さに、思わず歓声があがること必至。しかし、種類が多いだけではない。豚は鹿児島産黒豚のバラ肉と肩ロース、牛は埼玉産深谷牛の腿肉や肩ロースに鶏肉は鳥取産大山鶏の腿肉と食材も吟味。魚介や野菜も、埼玉の大宮市場から、毎日新鮮なものを仕入れている。

ちなみに取材日の魚介は、ハタハタ、ヤリイカ、赤海老にズワイガニ。だが、日によっては鯛が出ることもあり、内容は仕入れ状況でその都度少しずつ変わってくる。加えて、12,000円のコースには、ヨシキリザメのフカヒレが姿のまま1人1枚ついてくる贅沢さだ。食べ方は自由。これらの具材を思い思いのスープに入れ、好きに楽しめばいい。

そのスープだが、火が入ると共に立ち上る芳香に陶然となるのは麻辣湯。牛骨と鶏ガラを1日がかりで煮込んだスープをベースに、牛脂や豆板醬、一味唐辛子、更には八角、肉桂、草果にクミン、砂仁等々15種にも及ぶスパイスを加えたもので、辛味と香りの織りなす複雑にして一種麻薬的な味は王道のおいしさだ。

一方、四川の発酵漬物と泡椒(発酵唐辛子)が独特の酸味を醸し出す酸菜魚湯は、辛味と酸味が絶妙に絡みあうマニアックな旨味が魅力。そして、辛さに熱った舌と身体をクールダウンしてくれるのが、珍菌湯ことキノコのスープだ。13種の乾燥キノコを含め、実に18種類ものキノコからとるエキスが旨味の源。ベースは水だけとは思えぬ深淵にして余韻の深い味わいは、心身共に癒やしてくれそうだ。

何をどれに入れるか迷ったなら、ひとまず豚や牛肉は麻辣湯、魚介は酸菜魚湯で食べてみると良いだろう。フカヒレは、キノコのスープが合いそうだ。下味はあまり付いていないゆえ、早めに入れてしばらくじっくり煮込むと良いだろう。鴨の血や牛センマイ、香菜などの追加メニューもあり、よりニッチな味を求める向きにはおすすめしたい。

「汁無し担々麺」

〆には「趙楊」名物の「汁無し担々麺」。これを啜りこむ頃にはお腹も満ちたりているに違いない。が、もう少し余裕があるなら、自家製豆腐で作る「麻辣豆腐」もぜひ試してみたい佳品。豆腐の旨味を損なわぬ趙楊氏の味の片鱗を漂わせつつ、辛味は幾分マイルドになっている。

「麻辣豆腐」

大塚の小さな四川で、名店譲りの味を満喫してみては?

※価格はすべて税込

※外出される際は人混みの多い場所は避け、各自治体の情報をご参照の上、感染症対策を実施し十分にご留意ください。

※営業時間やメニュー等の内容に変更が生じる可能性があるため、最新の情報はお店のSNSやホームページ等で事前にご確認をお願いします。

取材・文:森脇慶子

撮影:佐藤潮