令和元年には第3次タピオカブームが起こるなど、平成の流れを受け継ぐトレンドに思いを馳せてはエモい気分に浸ることも多い令和のこの頃。そして最近、新たに再ブームを迎えている平成スイーツ、「カヌレ」の存在が気になっているという人も多いのでは?
実際、2010年代に入ってから日本全国に専門店を増やしつつ、本格的な第2次ブームを巻き起こしているカヌレ。そんな、再びの注目を集めるカヌレについて、連載「スイーツ探訪」でお馴染みのお菓子の歴史研究家・猫井登さんに、その起源から全国の専門店まで、じっくり教えてもらいましょう!
教えてくれる人
猫井登
1960年京都生まれ。 早稲田大学法学部卒業後、大手銀行に勤務。退職後、服部栄養専門学校調理科で学び、調理免許取得。ル・コルドン・ブルー代官山校にて、菓子ディプロム取得。フランスエコール・リッツ・エスコフィエ等で製菓を学ぶ。著書に「お菓子の由来物語」(幻冬舎ルネッサンス刊)「おいしさの秘密がわかる スイーツ断面図鑑」(朝日新聞出版刊)がある。
日本全国で地位を確立! 第二次ブーム中のスイーツ「カヌレ」の名店集めました
【起源】カヌレってどんなお菓子なの?
カヌレというのは、ワインで有名なフランス・ボルドーの郷土菓子で、外皮は黒くカリッとし、中は黄色くカスタードクリームがハチの巣状に固まったような、もっちりとした食感のお菓子。カヌレとは「溝」を意味し、カヌレの生地を流し込む、縦「溝」の入った小さな釣鐘状の型に因んでその名がつけられた。
カヌレの生地の材料は、牛乳、卵、砂糖、小麦粉、バター、ラム酒などである。生地を焼成する際に型に蜜蝋を流し込み、内側に蜜蝋の膜を作る。これにより、生地の型離れがよくなる。また生地の表面が、独特のツヤを有するパリっとした食感になり、ラム酒の香りもとびにくい。蜜蝋は、ミツバチが巣を構築するために分泌する物質で、人体には無害で、化粧品やクリームなどにも用いられる。
カヌレの起源は明確ではないが、16世紀頃に修道女たちが作っていた棒状のお菓子が起源といわれる。昔、修道院ではワインの醸造も行っており、オリを取り除くための清澄剤として卵白が使用された。そのとき残った卵黄を活用し、お菓子を作ったのだとされる。
また修道院では、ロウソクを製造するために養蜂を行い、ミツバチが作り出す蜜蝋を採取していたことから、型に蜜蝋を塗ることを思いついたといわれる。18世紀のフランス革命で特権階級と見なされた聖職者も職を追われ、一時的に作られなくなったが、1830年頃に復活。その際、菓子職人の発案で今のような形なったとされる。
【日本とカヌレの関係】90年代と2000年代のブームの変化とは?
第一次カヌレブーム(1990年代後半)
ボルドーのひとつの郷土菓子に過ぎなかったカヌレは、ピエール・エルメ氏がパリのフォションのシェフパティシエを務めた時代(1986年~1996年)にパリで発売し、一躍人気となり、日本でも1990年代後半(特に1995年~96年)に知られるようになった。当時日本では、「ドンク 青山店」「パパ ダニエル」(いずれも現在は閉店)、「オーボンヴュータン 尾山台店」などがカヌレの販売を行っていたが、当時プランタン銀座にあった「ビゴの店」(現在はマロニエゲート銀座2で営業中)で大量のカヌレを店頭に並べ、行列ができたことなどが話題となり、広まっていった。
第二次カヌレブーム(2010年代〜)
第1次ブーム以降、カヌレは、フランス菓子店では定番のお菓子のひとつとして粛々と作り続けられる。2012年頃から、兵庫県・芦屋に本店を置く「ダニエル」による味わいのバリエーション豊富なカヌレなどが人気となり、再び脚光を浴び始める。これはミニサイズのカヌレに、ラムレーズン、カフェ、シトロン、りんご、ジャンドゥージャのほか、抹茶、黒ごま、といった味わいを持たせたものであった。2012年5月には、大阪でカヌレ専門店「カヌレ堂 カヌレ ドゥ ジャポン 桜川店」*1がオープン。関西でカヌレの人気がじわじわと上昇してゆく。
*1 カヌレ堂は、その後2014年11月には堂島に、2019年2月に長堀橋にも店をオープンしている。
以上の流れも汲みつつ、ここからは全国にある人気のカヌレ名店を紹介していく。