ページをめくり、お腹を満たす

ブックディレクター 山口博之さんが、さまざまなジャンルより選んだ、「食」に関する本を紹介する人気連載。気鋭のイラストレーター瓜生太郎さんのコミカルなイラストとともに、“おいしい読書”を楽しんで。

宿命論を乗り越えろ!“本当の日本ワイン造り”に人生を捧げた、3人の物語

Vol.9『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』(小学館)著:河合香織

私はお酒を一滴も飲めない。ワインのことは、飲みの席の話題を横で聞いたり、マンガで読んだり、読んでいる本に出てきたりといった間接的かつ非常に断片的な知識のみ。まして経験という意味では、大学生の頃に安い飲み放題のようなワインを飲まされた記憶しかない。

 

そんな下戸でもこの本はおもしろい。日本のワイン造りの大枠の歴史から、如何にして現在のようにビオワインが定着したのかまで、その足跡を駆け足で追えるという意味でも、下戸でワインを知らない人の方が新鮮な情報として楽しめるかもしれない。そして何より、日本でおいしいワインはつくれないという悪しき宿命論を乗り越える青年たちの苦闘の軌跡としてどんどん読み進められるはずだ。

 

戦後、日本のワイン界を歴史、理論、実践の面で引っ張り、日本のワインに革命を起こしたとされる“シャトー・メルシャン桔梗ヶ原メルロー”を手がけた麻井宇介。そして、その麻井の薫陶を受けた三人、山梨県北杜市津金にあるボー・ペイサージュの岡本英史、長野県塩尻市にあるKidoワイナリーの城戸亜紀人、長野県上高井郡小布施町にある小布施ワイナリーの曽我彰彦。ウスケボーイズと名乗るこの三人は、“本当の日本ワイン造り”に人生を捧げ、そして実際に成し遂げ、いまなおそのワイン造りを研ぎ澄まし続けているワイナリーだ。

 

2008年当時、国産ワインと言われるものの約7割は、バルクと呼ばれる大容器で輸入した安価なワインに日本のワインをブレンドしたものであり、濃縮マストと呼ばれるジャム状のブドウ果汁を輸入し、水で薄めて発酵させたものであった。しかも、日本のワイン造りはその多くを生食用ぶどうで行っていたものであり、世界標準であるワイン用のぶどう“ヴィティス・ヴィニフェラ”を使ったものではなかった。

 

山梨学院大学の大学院でワインの研究をしていたウスケボーイズの三人は、月に1度ひとり1万円の予算でワインを持ち寄り、飲み比べ批評し合うことを繰り返してきた。それぞれワインへの夢を描き、共にフランスとサンフランシスコへとワイン旅行もした。

 

ウスケボーイズ以前の日本では、気候や土壌が合わずヴィニフェラの栽培ができない。つまりおいしいワインは作れないとされていた。麻井はそれを「宿命的風土論」と呼んだ。日本人はその呪縛から逃れられず、恵まれない風土という言い訳にしてきたのだ。

 

ブドウ畑は、それぞれに個性を持つ。差異があるのは当たりまえなのである。これを「風土の違い」と表現したあたりで、日本では銘醸地との差が、追いつくことのできない宿命的な落差の意味を持つようになってしまった。そして、この逆もまたワインの世界では根強く蔓延した。名づけて「宿命的風土論」という。

 

麻井は風土を、その土地固有の自然のことをいうのではなく、自らの手で作るものであり、日本でも本格的なワイン造りはできるのだと常に若手の背中を押し続けた。

 

風土とは、気象や地質のごとき自然を意味するものではない。その土地の自然に働きかけて、人間の営為がつくり出すものをいう。(中略)ワインつくりにおいて、「恵まれた風土」とは、はじめから決まっているものなのだろうか。真実は、良いワインとなるブドウを育てた場所を「恵まれた風土」といっているだけではないか。それは神から与えられたのではなく、人間がつくり出したものであることを忘れてはならない。

『ワインづくりの思想』

 

ウスケボーイズの三人は、それぞれ違った方法論と環境のなか、自らの手で風土を作り上げ、ヴィニフェラを栽培し、真にオリジナルな“日本の”ワインを、彼ら自身のワインを生み出していく。“ワイン造りは農業である”という確信と、自然に取れたぶどうの魅力を最大限引き出すことという、極めて真っ当だけれども、真っ当であるがゆえに手を抜けず、言い訳もできない状況に自分たちを置いて、真摯に果実のぶどうに向き合い続ける。安定したおいしさを求めるコンクールのような第三者の評価をもらうことより、その年々の出来で違うぶどうの味を濃縮し、買ってくれるお客さまにその違いも含めて楽しんでもらいたいという姿勢も、その土地で生きることを選んだ決意ともいえる。

 

きっと彼らは、楽をすることも効率よくすることも儲けることもできた。けれども、三人は自分たちで見つけた自分たちのワインの魅力と味を譲ることは決してしない。この本は、時に家族や友人と決裂してもワインを追い求めた青年たちの情熱と執念の記録であり、気候やテロワールなど「宿命的風土論」を乗り越えたワインの革命の物語だ。

『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』
(小学館)著:河合香織

 

イラスト:瓜生太郎