〈食べログ3.5以下のうまい店〉
グルメなあの人にお願いして、本当は教えたくない、とっておきの「3.5以下のうまい店」を紹介する本企画。今回は肉を愛するフードライター・小寺慶子さんがおすすめする極上の肉割烹をご紹介。
教えてくれた人
小寺慶子
肉を糧に生きる肉食系ライターとして、さまざまなレストラン誌やカルチャー誌などに執筆。強靭な胃袋と持ち前の食いしん坊根性を武器に国内外の食べ歩きに励む。趣味はひとり焼肉と肉旅(ミートリップ)、酒場で食べ物回文を考えること。「イカも好き、鱚もかい?」
肉を知り尽くした達人による“肉尽くしのコース“を心ゆくまで
東京の中でもインターナショナルかつ文化的なイメージが根付く広尾。昼夜問わず多くの人や車が行き交う広尾商店街だが、1980年代には乳牛を育てるためのファームがあったという、にわかに信じがたいエピソードも。都会の中心にありながら、どこか牧歌的でおだやかな雰囲気が通うのも、そうした時代の名残かもしれないと腑に落ちる。そして、このエリアの多彩な魅力を物語るのが、さまざまなジャンルの美食店。界隈に人気のレストランが密集するこの場所で、今肉好きの注目を集めているのが「肉幸」だ。
あらゆる肉料理店を食べ歩いていても知っている人はまだ、そう多くはないはず。というのも、2022年にオープンした時から最近までは知り合いの紹介のみで営業。「もっと多くの人に料理を楽しんでもらいたい」と、一見でも予約が可能になったのは、肉好きにとって吉報にほかならない。
ストレートな店名からも想像できる通り「肉幸」の主役は、肉。それも、日本で肉を扱う料理人なら誰もがあこがれる川岸畜産の「ピン中のピン」と呼ばれる神戸ビーフがメインだ。温度や香りも味の一部。できたてのベストな状態で味わってほしいという思いから、厨房での調理風景を眺められる割烹スタイルで料理を提供する。
そもそも肉割烹は、客の目の前で料理を仕立てる関西の割烹文化から派生。2010年頃から東京でもぽつぽつと“肉割烹”がオープンするが、ステーキや焼肉、しゃぶしゃぶやすき焼き人気に押され、苦戦を強いられた店も多かった。「東京にも肉割烹の良店あり」というイメージ転換に成功したのは、和牛や和食に新しい価値を見いだし、固定観念にしばられずに肉割烹の“精度”を高めた料理人の努力があればこそだ。
肉質や部位の個性を見極め、自由闊達な調理法で肉好きの心をとりこに!
L字形カウンター内の厨房で調理にいそしむのは、島田忠任さん。父母ともに東京・日本橋で料理人として働く家に生まれ育つも「同じ道へ進むという気はなかった」と話す。それでも、血は争えないというべきか。料理人として生きると決意をした島田さんの才能とセンスはみるみるうちに開花。しゃぶしゃぶとすき焼きで人気を集める白金高輪「今福」の料理長を任されると8年連続でミシュランの星を獲得。肉と真剣に向き合う日々の中で、その知識と技術をさらに深めていった。
調理場と客席にほぼ隔たりのない“さらしの仕事”。料理中の姿だけではなく、つくり手の志まで見える空間ゆえ、島田さんは営業後もフードや水回りを徹底的に磨き上げ、朝も9時前には店に出て一から仕込みを始める。「素晴らしい食肉を扱うことができる感謝。その肉を一番おいしく食べてもらうためにはどうしたらいいかを考えていたら休んでいる時間はありません」と静かに語る。
兵庫県の西脇市で全頭雌牛の長期肥育を行う川岸畜産。「ピン中のピン」と呼ばれる神戸ビーフを扱いたいと願う飲食店は全国でも後を絶たないが、「肉幸」ではその中でも月に7〜8頭しか出荷されない超希少なグラン・ロインを味わうことができる。
グラン・ロインの定義は、兵庫県内で生まれた但馬牛の純血種であることと未経産の雌牛であること、枝肉重量は360kg以上、499.9kg以内などいくつかあるが、その中でも重要なのは、言うまでもなく、牛の血統と兵庫県の川岸牧場で700日以上肥育されているという点にある。川岸農場で育てられるのは血統管理が徹底された純国産の黒毛和牛。「神戸ビーフ」を名乗ることができるのは、その中でも厳しい審査をクリアした牛肉のみで、さらにグラン・ロインともなると、そのハードルはさらに高くなる。そして肥育期間だが、多くの焼肉店などで扱う牛が28〜30カ月肥育であるのに対し、35カ月以上の長期肥育と、コストがかかるうえに病気のリスクも高まる。それでも牛の個体に合わせた飼料で、ストレスをかけずに肥育することは肉の健やかなおいしさに直結する。
「牛肉に関して銘柄や等級がすべてだとは思っていませんが、川岸さんのグラン・ロインは別格。どう調理すべきか、手で触れば自然と答えが見えてくる。そういう牛肉を扱えることは料理人冥利に尽きます」(島田さん)