【噂の新店】「銀座吉澤」
大正13年、精肉店「吉澤商店」として創業した「銀座吉澤」。初代の吉澤一一(かずいち)氏は、松阪牛をブランディングした立役者として知られた人物。創業当時より、三重県松阪を中心とする地域で肥育され、役牛の役目を果たした牛(役肉用牛)を東京に運んで商いを始めたところ、この牛が評判となり、昭和33年には「松阪肉牛協会」設立の運びになったとか。その初代副会長を務めたのが一一氏で、現在は代表取締役社長であり3代目の吉澤直樹氏が副会長を任されている。まさに、店の歩み自体が、そのまま肉牛の歴史にも繋がる老舗「銀座吉澤」。この銘店が、100年の節目の年に銀座内で移転。去る7月29日、肉の日にリニューアルオープンした。
「三丁目の旧店舗は、昭和26年に祖父が購入した土地に店舗を構え、その2階で祖母がすき焼き割烹店としてスタートさせ、昭和39年に現在のビルとなりました。高度成長期へと向かう当時のことですから、店内はお座敷スタイル。会社の接待や宴会が主なニーズでしたね」と語るのは、直樹氏の弟にあたる専務取締役の吉澤裕介氏。だが、時は令和。客の仕様も変わってきた。昭和のスタイルのままでは何かと不具合も出てくる。建物自体の老朽化、そしてコロナ禍もあって、今回のリニューアルに踏み切ったのだという。
リスタートを切った銀座一丁目の店は、1階が精肉店。2階は「肉処」として営業。ここでは、従来のすき焼きやしゃぶしゃぶ、ステーキといった従来のラインアップに加え、3種のタレがユニークな“焼肉”に、自家製胡麻だれポン酢で味わう“せいろ蒸し”が新たにオンメニュー。肉問屋の精鋭が打ち出す焼肉やせいろ蒸しも、肉ラバーとしては気になるところだが、より心引かれるのは、新たな試みとして始めた「銀座吉澤 肉割烹」だろう。
裕介氏はこう語る。「これまでは、どちらかといえば接待需要が中心でしたが、それだけではなく『おいしい肉を食べたい』と思った時に『それなら吉澤に行こう』と思っていただけるような店を作りたいと思ったんです。肉の問屋として牛の質には徹底している自負はありますから。それで、3階を肉割烹としてスタートさせたんです」
エレベーターを降りれば、そこは上質な和の空間。大谷石を敷き詰めた床に見事な組子細工の照明が印象的な店内は、こぢんまりとしていながらものどやかな雰囲気が漂う。樹齢100年余りという天竜檜の一枚板を用いたカウンター6席はオープンキッチン。臨場感もたっぷりだ。
カウンターに立つのは「山の上ホテル」で和食副料理長の経験を持つ金村直樹料理長。和食一筋二十有余年のベテランだ。だが、魚に比べて肉を扱う機会が少ない和食のこと。今回「銀座吉澤」の厨房に立ち、改めて牛肉の奥深さを知ったそうで、曰く「牛肉は、魚と違って一頭のパーツが多いというか……。一つの個体の中でもさまざまな部位があるんですね。更に一つの部位、例えばもも肉一つとっても、内もも、外もも、シンタマ、ランプに分かれるわけで、もっと言えばシンタマにしても、カメノコ、トモサンカクと細分化されます。それぞれに味わいや脂のつき方、食感も異なるので、それぞれの特徴をどう生かして料理に仕上げるか、いろいろと勉強になりますね」。
和の手練れであっても、「肉は初心者」と語る金村シェフの強力な助っ人が、統括アドバイザー兼エグゼクティブシェフの椎名豊太郎氏。あの「NARISAWA」での修業経験を持ち、現在はスーパーバイザーの仕事を中心に活動している椎名氏、今回の肉割烹のコースでも、和をベースに洋のエッセンスを加味、アイデアを存分に発揮している。
ちなみに、コースは先附からデザートまで全11品のフルコース25,000円と、品数を2品少なくしたショートコース18,000円、土曜日限定の肉尽くしコース15,000円の3タイプを用意。お腹の容量に合わせて選べるのも気が利いている。
席に着くと、最初に登場するのが引きたてのコンソメスープだ。ゲストの来店時間に合わせ、牛スネ肉のミンチと香味野菜が入った耐熱ガラスの鍋をアルコールランプにかけて煮沸すること約30分。ゲストが到着する頃には、引きたてのコンソメスープが出来上がっているというわけだ。馥郁とした香りを湛えるこのスープがコースの幕開け。それも「牛の問屋ならではの贅沢な引き方をしたコンソメで、その醍醐味を感じてほしい」(椎名氏)との思いゆえだ。
聞けば、200ccの水に対して100gもの牛肉を使っているそうで、30分という短時間でうまみを抽出できるのも、肉をふんだんに使えばこそだろう。数時間かけて煮る従来のコンソメとは一味違う、ピュアなおいしさが身上だ。黄金色をしたスープは、心に染み入るような風味の中、深いコクが舌を覆う。それでいて味わいの印象はクリア。ここで既に心はすっかり持っていかれるに違いない。
続いて、前菜に「和風タルタルサンド」、造りは「和牛刺身」、そして替り鉢の「和牛生ハム巻き」と生食系が3連発。もちろん、きちんと定められた規格基準をクリアした衛生面でも安心できる生肉を使用。刺身は霜降り肉と赤身肉の抱き合わせで、取材日は、堀井牧場の松阪牛のサーロインと内もも肉を用意。刺身を見れば、質の高さは一目瞭然。室温に置かれたそれは、置くほどに脂が溶けはじめ、表面がうるっと潤んでくる。脂肪の融点が低い証拠だ。
通常、牛の融点は40~50℃と言われているが、和牛は25.9℃と低く、これが松阪牛ともなれば17.4℃と更に低い。この融点の低さは、そのまま口溶けの良さに繋がり、おいしい肉の必須条件となる。取材日は、たまたま松阪牛だったが、それに固執しているわけではなく、和牛の産地はその時々で変わっていくそう。
裕介氏曰く「牛肉には個体差があり、銘柄だけを見て選んでもだめで、同じ血統でもけっこう違っていたりするんです。なので、牛を選ぶ時はまず生産者さんと会い、牧場まで足を運ぶようにしています」とのこと。牛肉の仕入れは直樹氏の担当だそうで、その目利きには業界人も一目置くほど。牛への思い入れも深く、一頭一頭をしっかりと見極め、牛の銘柄だけにとらわれることなく、生産者の育て方等々、自らの目で納得したものだけを仕入れるなど徹底している。
裕介氏によれば「当社では、融点が低く脂の柔らかい雌牛だけを仕入れ、その選定基準として4つのポイントを重視しています」とのことで、その4つのポイントとして、1つ目は“体型”。小ぶりで胴が締まっていてロースにハリがあること。2つ目は“脂質と肉質”で、脂はサラサラしており、肉は小豆色で適度な水分量があり、締まっているものが良いそうだ。そして、3つ目は“血統”。但馬牛の血統が濃いことも条件の一つで、4つ目は“飼育法”。肥育日数33カ月の処女牛で、霜降りも見事な肉は小豆色。おいしさの基準の一つである脂の融点が低くなりアミノ酸も増えるわけで、長期肥育の牛肉がおいしい理由の一つはそこにあるのだろう。
さて、25,000円のフルコースでは、ヒレ肉をしゃぶしゃぶと網焼き、2つの食べ方で提供。しゃぶしゃぶは、カウンターの目の前で、金村料理長が直々に調理。丁寧にとったコンソメスープに、やや厚めにスライスしたヒレ肉をさっと潜らせ、ほんのりと赤身が残る絶妙のタイミングで火を入れる。
鍋のコンソメは、材料は同じでも最初と違い、今度は約3時間じっくりと煮込んでとるオーソドックスなスタイル。淡い黄金色のスープに揺蕩うように浮かぶヒレ肉は、見るからにしっとりと美しい。特製の胡麻酢タレもあるが、まずはそのまま口に運べば、コンソメの香りと共に和牛ならではの風味が品よく広がる。予想を裏切らぬたおやかな舌触りの中、滋味豊かな肉汁がじんわりと味蕾に染み通る。派手ではないが、後を引くうまさだ。
しゃぶしゃぶが“静”のうまさなら、網焼きは躍動的。分厚くカットしたヒレ肉にタレを絡めつつ、炭火でじっくりと焼き上げていくわけだが、焼くほどに漂う、甘やかにして
香ばしい香りが陰の立役者。食欲を一層刺激するはずだ。
その後、マクラ(にのうで)と冬瓜、長茄子の抱き合わせが出て真打登場。「銀座吉澤」の看板料理の一つ“すき焼き”の出番だ。肉は堀井牧場の松阪牛。肥育日数33カ月の処女牛だ。霜降りも見事な肉は小豆色。融点が低いからだろうか、脂は軽くすんなりと胃の腑に収まる。
途中で「雲丹の大葉包み揚げ」(フルコースのみ)、海鮮と和牛のユッケをのせた「小丼」など魚介が多少出るものの、ほぼ肉尽くしのコースの締めは、シンプルに「とうもろこしの炊き込みご飯」。
しかし、そこは肉割烹、鰹だしではなくコンソメで米を炊いている。目には見えずとも、実は肉のエキスがたっぷりという演出も心憎い。その分、炊き込む具は季節野菜1種類に絞っているそうだ。
コースを食べ終わる頃には、お肉を食べた!という充足感に満たされているはず。それも、コースで供される牛肉の総量は約220~230gと聞けば納得。和牛の真骨頂を味わいたい。
※価格はすべて税込、サービス料(10%)別