ヒラメ、イサキなど、白身魚が主役の「瀬戸内前」の握り

握りの主役は、瀬戸内の白身魚だ。シャリには広島と島根の県境で育つ奥出雲コシヒカリ系の仁多米などを使用し、羽釜で炊き上げる。合わせる酢は、尾道造酢に特注でブレンドをお願いしている「生粋」に、酒粕と水だけで造られた酢で、日本酒・竹鶴の10年熟成酒粕を使った「純正赤酢」、3年寝かせた「熟成赤酢」を独自で配合したもの。煮切り醤油にも広島県産のみりんを合わせるなど、食材だけでなく調味料に至るまで瀬戸内ゆかりの布陣だ。

握りの序盤に登場したのは、広島県産のヒラメ。広島市中央卸売市場の仲卸「吉文」で特注の脱水方法を施してもらってから仕入れ、店内でさらに寝かせることで、身の弾力とねっとりとしたうまみを最大限に引き出している。煮切り醤油を塗っただけで艶やかに光るヒラメは、白身魚特有の淡白さだけでなく、しっかりとした輪郭のある味わいだ。

瀬戸内前の本領発揮とも言えるのが、愛媛県産のイサキの昆布締めだ。こちらは4日間寝かせたのち、3時間ほど昆布締めにしたもの。軽く入った隠し包丁のおかげか、口に含むとイサキ特有の脂の甘さが溶け出す。昆布のグルタミン酸由来のうまみが赤酢のシャリの芳醇な酸味と混ざり合い、うまみの相乗効果が感じられる。

長崎県産の水イカは、広島県呉市の藻塩と、尾道市瀬戸田産のグリーンレモンを搾って味わう。縦に細かな隠し包丁が入った水イカはねっとりとした食感で、舌に絡むと甘さが広がり、グリーンレモンの青々とした爽やかな酸味が鼻腔をくすぐる。

山本さん
広島のクロダイの昆布締めが印象に残りました。広島でお寿司を食べたときも昆布締めの白身を食べた記憶があり、マグロに頼らないコースなのも瀬戸内らしくていいと思います(とはいえマグロもやま幸さんから入れていらっしゃるみたいですが)。
小肌、マグロ、穴子など、江戸前の鉄板ネタも一級

瀬戸内の魚介を使いながらも、やはり江戸前鉄板のネタも食べたいのが食いしん坊というもの。そんな欲張りなお客の心を、マグロや、コハダ、穴子がしっかりと掴む。

コハダは愛媛県産。熟成赤酢と生粋赤酢を割ったもので締めて3日間寝かせており、酸味と塩味の角が取れ、コハダのうまみがまろやかに引き立っている。「酸味や塩味が強すぎない、食べやすいバランスを常に意識している」という有田さんの哲学が表れた一貫だ。

マグロは東京の著名な仲卸「やま幸」から仕入れたもの。この日は血合いに近い中トロだ。「乙巳」の赤酢シャリは白身魚にも合うが、やはりうまみが強い赤身との見事な調和もまた一興。その他にも「大宗」から雲丹や貝類などを仕入れており、素材選びに抜かりがない。

江戸前定番の穴子は、長崎県産だ。穴子は醤油ベースで煮て、蒸して、焼き上げるのだが、骨のジャリジャリとした食感が残ったり、煮崩れたり、うまみが失われたりと下処理や火加減が難しい。有田さんは部位やサイズによってぬめりとりの作業や、炊く時間をつぶさに見極め仕事を施す。口の中でフワッとほどけるやわらかな穴子は、身質の品の良さを引き立てる控えめなツメにも職人技が光る。

コースの終盤を飾る巻物は、自家製のかんぴょう巻きだ。「かんぴょうだけは自分で炊け」。これは、有田さんが寿司職人の父から唯一受け継いだ教えだという。

ユウガオの果実を天日干しした乾物を、前日の晩に塩もみして水で戻す。翌日、大きな鍋で透明になるまで茹でて、醤油、三温糖、水だけで20〜30分かけてじっくりと炊き上げる。最も重要なのは絞る工程だそうで、この絞り加減一つで味の染み込み方が決まるという。ワサビのピリリとした辛さとかんぴょうの甘みが調和した滋味深い味わいで、江戸前の仕事ぶりに感服する逸品だ。

巻物のあとに提供される味噌汁は、白身魚の頭や骨から丁寧にとった魚出汁がベースだ。そこに京都の白味噌、愛媛の麦味噌、広島の合わせ味噌をブレンドして溶き入れる。魚介の濃厚なうまみと、西日本らしい甘みのある味噌の風味が、コースの余韻を優しく包み込んでくれる。
瀬戸内魚の奥深さを、江戸の小粋な手仕事で堪能

首都圏の食通だけでなく、瀬戸内や西日本からわざわざ上京して訪れるお客さんや、広島や愛媛出身者が地元の味を求めて来店するケースも多いという「乙巳」。有田さんの妻が愛媛県大島出身であることもあり、将来的には東京と地方を行き来しながら店を展開したいという夢も抱いているそうだ。東京に居ながらにして、瀬戸内の風を感じられる寿司店。長く愛される名店への道を、すでに歩み始めている。




