〈秘密の自腹寿司〉

高級寿司の価格は3~5万円が当たり前になり、以前にも増してハードルの高いものに。一方で、最近は高級店のカジュアルラインの立ち食い寿司が人気だったり、昔からの町寿司が見直されはじめたりしている。本企画では、食通が行きつけにしている町寿司や普段使いしている立ち食い寿司など、カジュアルな寿司店を紹介してもらう。

ハードルが高すぎず、されど空気感は凛と。二人三脚で挑む江戸前の新境地

暖簾のロゴマークは、握り寿司の理想的な型とされる地紙の型を2枚重ねた「重ね地紙」に、「大和櫻」の紋を配したもの。二人三脚でおいしい寿司を生み出すという意味が込められている

演劇や古着、サブカルチャーの街として知られる下北沢。中心街から三軒茶屋方面へ歩いた代沢の住宅街に、都心の流行に左右されることなく、独自の哲学を貫く寿司の名店がある。2023年8月4日に産声を上げた「大和徹(やまととおる)」だ。

 

山本さん

下北沢で、夜ひとりで気軽に行ける寿司屋を探していた時に訪れました。駅から少しだけ離れているので、周囲の雰囲気が落ち着いている隠れ家感が素敵だと思います。2巡目だったので、雰囲気もまったりしていて居心地がよかったです。  

樹齢約250年、10メートルもの尾州檜を用いた一枚板のカウンター席。奥には最大6名の半個室もある

店名は、握りを担う大和謙さんと、裏方の仕込みや焼き場、サービスを担う上原徹さんの2人の名前に由来する。

大和さんは、祖父の時代から続く寿司店の息子として生まれ、幼少期から職人の背中を見て育った。大学卒業後は一度別の道を歩むも、実家の寿司店でキャリアを築きはじめ、その後築地の仲卸の紹介を経て、魚を主役とする名酒場「魚真」の寿司部門「すし屋魚真」へと飛び込んだ。そこで実に16年以上、うち7年以上にわたって下北沢店の寿司部門の店長として腕を振るった。上原さんも「魚真」に19年在籍した生え抜きだ。2人は長年同じ現場で経験を積み、ついに2人の名を冠して独立を果たした。

つまみ約10品、握り約15貫の計25品で16,500円という愉悦

記念日の会食から、新生児を連れた退院祝いの家族の団欒まで、あらゆるシーンに優しく寄り添う「大和徹」

現在「大和徹」で供されるのは、つまみ約10品、握り約15貫(巻物・玉子含む)の計25品で構成される「おまかせコース」16,500円(2026年6月現在)だ。都心部であれば間違いなく倍の価格は下らないであろう圧巻のボリュームだ。さらに一皿一皿に施された仕事の細かさを知れば、そのコストパフォーマンスの高さに言葉を失う。

取材時のマグロは、大間と並ぶ名産地である青森県岩崎産

例えば通年提供される赤身とトロは、創業400年のマグロ仲卸「大善」から仕入れる本マグロ。同店では過度に熟成させるのではなく、あくまで鮮度とうまみの調和を狙う。少し高めに調整された温かいシャリに、常温に戻されたマグロをのせ、煮切り醤油を引く。口に含んだ瞬間、マグロの良質な脂が体温でとろけ出す。カツオ節を排したピュアな煮切り醤油が、マグロの鉄分の妖艶な香りをこれ以上ないほど綺麗に際立たせていく。

同店では煮切り醤油のほか、煎り酒や海老醤油などネタに合わせ複数使い分けている

一般的な江戸前寿司では、煮切り醤油にカツオ節のうまみを移すことが多いが、同店では酒、みりん、昆布出汁のみで煮切りを仕立てている。これはカツオ節の強い燻製香が魚の輪郭を濁らせ、素材本来のピュアな香りを損ねることを防ぐためだ。

合わせるシャリにも、緻密な計算が施されている。米は麹町の米専門店が季節ごとに厳選する銘柄古米を使用。酢は、ミツカンの最高峰赤酢「三ツ判山吹」に、「富士酢」「千鳥酢」といった米酢2種類をブレンドしている。

営業中は、江戸びつを湯煎にかけ、おひつの中に緩やかな“温度の層”を形成。マグロのような脂の強いネタには高めの温度のシャリを合わせ、ネタ自体も常温に戻すことで、口に入れた瞬間にシャリとネタが同時に美しくほどけるよう計算しているのだ。

骨の食感をなくすために、丁寧にそぎ切りする

マグロと同じく、イワシにもこの煮切り醤油を引いている。イワシは身側に焼き塩を当てて、盆ざるでイワシを立てた状態で水分を抜き、水で割った玉酢で洗って水分を抜く。魚を平面に置くと浮き出た水分が再び身に沈殿してしまうため、立てることで重力を利用して余分な水分と臭みを滴り落とす。

この時期の日本海産のイワシは香りと脂乗りが良く、とろけるような食感だ。ネタとシャリの間には、アサツキや大葉、芽ネギや新生姜のおろし汁を合わせた薬味が秘められており、清涼感あふれる味わいがイワシの脂と呼応する。

血合いのきれいな色が酸化しないよう漬け込み過ぎを防ぎつつ、直前に切りつけを行っている
 

山本さん

都心で1万円台のコースのお店がなかなかない中、リーズナブルな設定でしっかりとおいしいつまみと握りを食べられるところは実に魅力的です。軽く飲んでも2万円以内に収まるくらいです。 

江戸前の手仕事が光る「小肌」、脇を飾る一品料理

江戸前寿司らしく、二寸五分という小ぶりサイズで握られる
 

山本さん

小肌がとてもおいしかった印象があります、あとアワビもおいしかったですね。

江戸前寿司の代名詞であり、大和氏が「最も仕込みに力を入れている」と語るのが小肌だ。脂が抜け落ちて仕込みが極めて難しいとされる初夏の季節であっても、その仕事に妥協は一切ない。まずは開いた小肌の皮目に、粒子が極めて細かい自家製の焼き塩を強めにあてる。その後、海水と同じ濃度に調整した氷の立て塩に30分間じっくりと潜らせ、酢水で酢洗いを実行。再び身を立てて水気を切った後、横井醸造の赤酢「珠玉」と千鳥酢を合わせた本漬けの工程へ。ここから丸1日、冷蔵庫でじっくりと寝かせる。

小肌は本漬けしてから1日寝かせることで、塩味と酸味の角が取れ、穏やかになじむ

切り付けるのは、提供直前。端正で美しい光を放つ小肌には、すだちを利かせた特製の「加減醤油」が塗られる。口に運ぶと、キリッとした歯ごたえと、光り物特有の芳醇な香りが感じられる。噛み締めるほどに酢締めしたことによる小肌のうまみと、シャリの酸が掛け合わさっていき、後半にかけて味が広がっていくのも面白い。山本氏が絶賛するのも頷ける、まさに職人技の結晶だ。

日本酒とあわせたいお造り。10種類以上の銘柄が用意される日本酒のほか、ビールやワイン、焼酎やウイスキー、ソフトドリンクも

コースの合間に供される一品料理もまた、丹念な仕事が施されている。例えばこの日のお造りとして登場したアブラボウズは、鮮度が高すぎると繊維質が強靭で、ゴムのような硬さになってしまうためマイナス60℃の超冷凍設備へ一瞬通す。細胞をあえて僅かに破壊することで食感を良くし、その後、限りなく0℃に近い冷蔵庫で数日間じっくりと熟成をかける。丁寧に掃除されたアブラボウズの身は、驚くほどしっとりと艶やか。口に含むと、濃厚極まりない脂の塊であるはずの身が、柑橘のキレと自家製の焼き塩の力によって、高潔で清らかなうまみへと昇華されている。

炭火で皮目はパリッと、身はしっとりとジューシーなマナガツオ

焼き物として登場したのは、三重県産のマナガツオを用いた西京焼きだ。特筆すべきは、上原氏が仕込み段階で、つきっきりで弱火で長時間練り上げた自家製の「玉味噌」。傍らには九条ネギとともに、玉味噌に和がらしとお酢を丹念に合わせ、手作業で仕上げた特製の酢味噌が添えられる。気品あるマナガツオの白身のうまみはもちろんのこと、この添えられた酢味噌自体が、信じられないほど上質な日本酒の肴として完結している。

あらかじめ塩水で洗浄された桜えびが、茶碗蒸しの余熱によって、食べる頃合いに半生へと変化

握りのフィナーレへと向かう直前に供されるのが、茶碗蒸しだ。ベースとなる卵液には、エビやカニなどの甲殻類の殻をオーブンで香ばしく焼き上げ、そこからゆっくりと引いた濃厚な出汁がふんだんに使用されている。最大の特徴は、駿河湾由比産の桜えびを、茶碗蒸しが蒸し上がった直後に生のまま後のせすることだ。蓋を開けた瞬間に生の桜えび特有の甘い香りが立ちのぼり、卵液の滑らかさと、桜えびのレアでみずみずしい食感、ふくいくたる香りとうまみが広がる。

 

山本さん

つまみと握りがランダムに出てくるのも楽しいです。

3層のうまみが時間差で押し寄せる「白イカとウニのイカ墨塩仕立て」

隠し味は、日本4大高級ウニブランドの一つとも言われる「東沢水産」のムラサキウニとイカの白子のソース

常連客に人気だというのが「イカ」だ。今時期は極上な「白イカ」を使用。そのままではシャリに対して身のパキッとした硬さが勝ってしまうため、身の表面に格子状の細かな隠し包丁を無数に入れる。これにより、口の中でシャリと同じスピードで優しく溶けていく食感を作り出す。しかし、仕掛けはそれだけではない。イカの身とシャリの間には、イカの白子を出汁でゆっくりと炊き上げ、ムラサキウニを混ぜ合わせた特製ソースを忍ばせているのだ。

イカ墨塩は、生のイカ墨を丁寧に裏ごしし、フライパンで塩に当てながらじっくりと煎り焼き、当たり鉢で細かく粉砕したもの

仕上げに、昆布だしとゲランドの塩を合わせた「水塩」をスプレーし、最後に自家製の「イカ墨塩」をハラリと天にのせる。隠し包丁のおかげでイカはやわらかく舌になじみ、イカ墨塩のシャープな塩味が舌を刺激し、続いて白イカのねっとりとした甘みが広がる。そして咀嚼の終盤、中からウニと白子のクリーミーなコクと、グルタミン酸由来のうまみがあふれてくる。

30分以上素手でもみ洗いして生まれる、ホワホワ食感の穴子

穴子は魚体のポテンシャルが最も高いとされる、350〜450gの身が厚く脂が乗った大物のみを厳選して使用

コースの終盤を飾る穴子の握りは「ぬめり取り」の工程において塩も熱湯も一切使っていない。「塩でもむと身の水分が抜けすぎて硬くなり、熱湯をかけると皮目の最もおいしいデリケートな脂までゼラチン質と一緒に固まって剥がれ落ちてしまう。だからうちは、ひたすら素手だけで30分以上、何度も何度も手でもみ洗いをしてぬめりを落としています」

こうして完璧に磨き上げられた穴子を、低温に保った煮汁の中で、キッチンペーパーの落とし蓋をして1時間、静かに静かに泳がせるようにして煮上げていく。

さらに骨の食感をなくすために、煮上がった穴子を一度マイナス60℃の環境で冷凍する。骨の内部に含まれる水分が結晶化して抜け去り、のちに解凍して温め直すと骨を感じなくなるというのだ。

煮詰めは、上白糖をほぼ使用せず、甜菜糖とざらめ、そして穴子の骨から出た純粋な出汁をゆっくりと煮詰めた甘さ控えめの味わい

カウンターに置かれた穴子の握りは、自重で崩れてしまいそうなほどホワホワでやわらかい。口に入れた瞬間、穴子の身が舌に味わいを残しながら儚く溶けていき、豊かな出汁の余韻とシャリの爽やかな酸味だけが美しく調和する。穴子本来の味わいで勝負しているからか、上に塗られた煮詰めの量も控えめで潔い。江戸前寿司の伝統を感じさせつつも、他店でもなかなかお目にかかれないような代物だ。

下北沢というカジュアルな街において、過度な虚飾を排し、肩ひじ張らずも凛とした空気感を創り出している「大和徹」。できれば秘密にしておきたい、まさにとっておきの自腹寿司店だ。

教えてくれた人

山本憲資
1981年生まれ。大学卒業後、広告代理店を経て雑誌『GQ JAPAN』の編集者に。テック系からライフスタイル、ファッションまで幅広いジャンルの企画を担当。コンデナストを退職後、Sumallyを起業、2023年10月末に代表を退任し顧問に就任。食だけでなく、アートやクラシック音楽への造詣も深い。

※価格は税込。

文:中森りほ、食べログマガジン編集部
撮影:佐藤 潮