【噂の新店】味覚

バブル前夜の1985年にオープンし、クリアな醤油風味のおでんを楽しめる店として人気を集めた西麻布「味覚」。当時、この界隈を遊びつくした人はきっと「懐かしい」と目を細めるだろう。広告代理店の勤務時代から食べ歩きをライフワークとしてきた川井潤さんも「昔から有名なおでん屋さんで、この看板の前を何千回通ったことか(笑)。最近、若い料理人が店を引き継いで小料理屋にリニューアルしたというので気になって来てみたら、郷愁を感じる内装と料理にとても心引かれました。店名も看板もそのまま。掃除が完璧に行き届いた空間に昭和の雰囲気が残っていて気持ちが安らぎます」と話す。

日本人の“味覚”を呼び覚ます、気取らない料理に心と胃袋をつかまれる

それでは、川井さんがノスタルジーをかき立てられたという「味覚」の新しい店主とは、いったい何者なのか。店の戸を開けると、そこにはカウンターのみの小体な空間。40年前からほぼ変わらないという内装は、木材を縦横に組んだ格天井や鶯色の壁をはじめ、昔ながらの雰囲気に包まれるが、手入れがきちんと行き届いており清々しい空気が流れる。

「いらっしゃいませ」と出迎えてくれたのは、若き店主の平野昌良さん。実家も自由が丘で飲食店を営んでいるが「子どもの頃から料理人を目指していたかと言われたらそうではなくて。包丁にもほとんど触ったことがなかったので、18歳でいざ料理の道に進むとなったときはてんやわんやでした」と笑う。そうは言ってももともと素養があったのだろう。調理のテンポやさりげなくバランスが練られた盛りつけには揺るぎない自信が感じられる。

「いろいろな場所で勉強させていただいたことを生かせていけたらうれしい」と言うように、20歳のとき料理研修に訪れた香港でダニエル・カルバート氏と出会ったことが、人生に大きな影響をもたらした。「これからの料理人はグローバルな感性を持たなくてはならないというのは父からの教えでもあります。ダニエル氏との出会いがあり(フォーシーズンズホテル丸の内)の『SEZANNE』の立ち上げメンバーに参加させていただいたのは大きな財産。間近で唯一無二のア・ラ・ミニッツの仕事に触れられたのは得難い体験です」と平野さん。

そうした経験を生かす場として、日本人の多くになじみがある“小料理”を選んだのは「人が気軽に集まれる場所をつくりたかったから。アラカルト主体にしたのもそうした理由です」。

メニューに並ぶ料理は春巻きや筑前煮、炊き込みご飯などシンプルながら「こういう料理を食べたかった」と心にグッとくるものばかり。


川井さんも「おいしいだけではなく明朗会計。最近はコースや一斉スタートに少し疲れてしまっている人も多いので気軽さと本質を備えた店づくりがとても魅力的だと感じます。店主はお若いながらも日本料理で10年、フレンチで5年。コロナ禍には仕出し弁当もされていたという経験の豊かさがどの料理からも感じられて、何度でも足を運びたくなります」と絶賛。

なかでも印象に残ったという冷製カリフラワースープは「和食とフレンチの経験があるシェフならではの味わい」で、太白胡麻油やにんにくの香りに食欲がそそられる今の時期にぴったりな逸品だ。和食の心があらわれるとされる刺身の切りつけや揚げ物の油切りも実に見事。

日本酒で一献もいいが、月曜と火曜はソムリエが常駐しており、ワインとともに味わい豊かな料理を楽しむのもおすすめ。令和の西麻布の夜に、心がほっと温かくなる灯がともる。




