ビストロヨシダ
こちらも、富山の料理人からすすめられた店である。店は市の中心から外れた住宅街にあった。こんなところに店があるのかという閑静な住宅街に、ぽつんと明かりを照らしている。
店内はカウンター席とテーブルがあり、カップル客が楽しそうに料理を頬張っていた。
やがて黒板に手書きされたメニューが運ばれてくる。料理名を見た瞬間、笑みがこぼれた。王道のフランス郷土料理がずらりと並んでいるではないか。これは悩む。
右顧左眄。戸惑い。逡巡。頭の中に文字が浮かんで、思いは千々に乱れる。
さあ、アントレはどうしようか。地物と書かれたベニズワイガニ、イワシ、バイ貝は食べたいな。しかし本命は、フロマージュテッドにブーダンだろう。
「シャルキュトリーはどんな盛り合わせですか?」
「自家製のハムとソーセージ、レバーのテリーヌに今日はハツと砂肝のコンフィも入っています」
やめてくれ。そう言われたらなおさら悩むじゃないか。
そしてメインはどうしよう。
「今日の魚料理はなんですか?」
「黒鯛のポワレです」
うむ、そうきたか。だが強敵の肉軍団、郷土料理攻勢が待ち構えている。今一番何が食べたいかと自問すれば鶏である。「仏産若鶏1/2羽丸ごとロースト」である。赤ワインを飲みながら鶏にかじりつきたいという衝動が抑えきれない。
だが「レストランに来て、自分が食べたいものを頼んではいけません。シェフが食べてもらいたいという無言のメッセージはメニューに書かれています。それを頼まなくてはいけません」。食の師匠から言われた言葉を長らく守ってきた自分としては、メニューで主張が強くない鶏は頼めない。
鳩や小鳩のローストで、キュイソンの具合を確かめるのもいい。しかしここはビストロ。郷土料理だろう。一人でやっているのにカスレもシュークルートもある。ああ、タブリエドサプール(ハチノスのカツレツ)にかじりつくのもいい。
いやトリップアラニソワーズ(ニース風牛胃の煮込)は、トマトのうまみにレモンコンフィが利いているかもと思えばこちらも捨てがたい。しかしここは自信作なのだろう、一番上に書いてあるアンドゥイエットにした。但し書きの「臭みというべき香りあり」という文言がいいじゃないか。
そして前菜は、グレックに引かれてイワシを少なめでお願いし、ブーダンノワールも注文した。すぐに運ばれてきたイワシのマリネとグレックをつまみながらリースリングをやる。グレックがことのほかいい。野菜たちが静かに拳をあげて迫ってくる。ポワロー、カリフラワー、にんじん、一つずつ食べながらワインを飲みイワシを食べる。
ほら、もう幸せになってきた。
次はブーダンノワール、りんごのサラダ添えときた。ワインをコートデュローヌに変え、テリーヌ型のブーダンを迎え撃つ。ソーセージ型と比べ、テリーヌ型は腸ではなく直接ブーダンの生地が焼かれているのがいい。その焼けた香ばしさと中からふわっと香る、血の甘みの対比がいい。こいつで赤ワインを2杯飲んだ。
さらに赤ワインを頼み、アンドゥイエットをお迎えする。さあ登場! 切れば内臓があふれ出す。大腸、小腸、子袋に胃袋かな。豚の命が迫ってくる。臭みという芳香が確かにあって、それが食欲に火をつける。さまざまな食感が歯の間ではじけ、脂の甘みが舌に落ちる。マスタードをたっぷりとつけて頬張る。マッシュポテトをつけて頬張る。もう一心不乱で気が付けば皿は空だった。
この興奮を収めるのはデセールではない。食後酒しかない。そこでカルバドスをお願いした。こうして富山の夜は、緩やかに更けていった。