〈自然派ワインに恋して〉

シェフの料理とマリアージュするのは、自然派ワイン。そんなレストランが増えている。あの店ではどんなおいしい幸せ体験が待っているのだろう。ワインエキスパートの岡本のぞみさんが、自然派ワインに恋して生まれたお店のストーリーをひもといていく。

ナビゲーター

岡本のぞみ

ライター(verb所属)。日本ソムリエ協会認定ワインエキスパート、日本地ビール協会認定ビアテイスター/『東京カレンダー』などのフードメディアで執筆するほか、『東京ワインショップガイド』の運営や『男の隠れ家デジタル』の連載「東京の地ビールで乾杯」を担当。身近な街角にある、食とお酒の楽しさを文章で届けている。

異国情緒にひたれるレストラン

左から口尾幸光さん、口尾麻美さん

東横線の学芸大学駅周辺は東口にも西口にも商店街があり、にぎわいを見せる。しかし、今回紹介する店は商店街を抜けて静かになった辺りにある。「HAN」は2023年2月にオープンした異国情緒にひたれるレストラン。お店で出されるのは、料理研究家の口尾麻美さんが旅先で出会ったローカルフード。これまで20冊以上の著書を手がけ、中近東やアジアを中心に世界各地の料理を紹介してきた麻美さんが夫の幸光さんとともに店を切り盛りしている。

店の中央にあるカウンター席はオープンキッチン

店の扉を開けると、クミンやコリアンダーのスパイスの香りが漂い、キッチンや棚には世界各国のカラフルな調度品やキッチン道具が並ぶ。黒板のメニューを見ても、ジョージア、トルコ、モロッコなどの聞き慣れない料理ばかり。日常を忘れて、異国の地に来た気分で食事がいただける。

旅先で出会ったグッズも販売されている

料理に合わせるのは、幸光さんがセレクトしたジョージアやフランス、イタリアなどの自然派ワイン。「いつも妻が作るスパイスの利いた料理を食べていたので、15年くらい前に初めて自然派ワインを飲んだ時から、スッと入ってきたんです。以来、自然派ワインしか飲まなくなりました」と幸光さん。麻美さんの料理と自然派ワインを合わせ続けてきた幸光さんのワインセレクトもHANの楽しさ。どんな組み合わせが出てくるのかワクワクが止まらない。

前菜盛り合わせ✕表情豊かな白ワイン

本日の前菜盛り合わせ(1,600円)。上から時計回りに、トルコ「メルジメッキ・キョフテ(赤レンズ豆、ブルグル、スパイス)」、モロッコ「牛肉の春巻きブリワット」、ウズベキスタン「おばあちゃんの豆のサラダ」、リトアニア「ビーツと白インゲン豆のサラダ」、ウズベキスタン「ウズベクコリアン料理のマルコフチャ」、トルコ「チェルケズ・タブゥ(チキンと胡桃のペースト)」

HANの序章として、ほとんどの人が注文するのが「前菜盛り合わせ」。ワンプレートにトルコ、モロッコ、ウズベキスタン、リトアニアなど世界各国の料理が色鮮やかに並んでいる。サラダあり、ペースト料理あり、揚げ物あり! どれもスパイスの風味がアクセントになった素朴な味わいで、舌で世界を巡るような面白さがある。

アレクサンドル・バンのラ・ルヴェ2018(グラス1,600円、ボトル9,000円)

合わせてもらったのは、フランス・ロワール地方のソーヴィニヨン・ブランを使った白ワイン。「盛り合わせには万能選手のオレンジワインでもいいですが、1杯目なので白ワインで。こちらは爽やかで果実味のある白ワインですが、蜜のような甘みやスパイシーさもあって、どんな料理にも寄り添ってくれます」と幸光さん。はつらつとしていながら、じんわりと染みわたるような味わいがさまざまな食文化の料理をより楽しくしてくれた。

ナスとくるみの冷製✕濃厚アンバーワイン

バドリジャーニ(ナスとくるみの冷製)950円

前菜のもう一つの人気メニューがジョージアの伝統料理「バドリジャーニ」。一見、ひき肉のように見えるのは、クルミにフェネグリークとマリーゴールドのスパイスを合わせたペースト。それをナスやパプリカで巻いた料理だ。クルミはジョージアでよく食べられる食材。ペースト状にしてスパイスと合わせると、見た目だけでなく食感や味も肉のようで見た目以上に食べごたえがあった。

アワワインのルカツテリ2019(グラス1,450円、ボトル8,200円)

ジョージアの伝統料理に合わせてもらったのは、クヴェヴリ(甕)で醸造したジョージアのアンバーワイン。「しっかりした前菜には、同じ国のしっかりした味のワインがおすすめです。濃い色合いからわかるように果実味もタンニンもある豊かな味。ジョージアワインは、おすすめすると好きになる方が多いですね」と幸光さん。ジョージアの料理とワインには、素朴だけれど力強い大地のパワーがあった。

ミートボールトマト煮込み✕赤ワイン

ケフタタジン(2,000円)
たまごをとろりと崩して混ぜて、自家製のフォブスというモロッコのパンにつけて食べる

麻美さんは、タジン鍋ブームの火付け役としても知られ、さまざまなレシピを紹介してきた。「ケフタタジン」はモロッコの伝統的なタジン鍋料理で、ミートボールが入ったトマト煮込みにたまごを落とした料理。「牛ひき肉が主体のミートボールですが、風味づけにラムのひき肉を入れています」と麻美さん。スパイスも何種類か入った複雑さで、これぞエキゾチックといえる味わいだった。

トリンケーロのヴィナージュ2018(グラス1,300円、ボトル7,300円)

ケフタタジンに合わせてもらったのは、イタリア・ピエモンテ州のネッビオーロを使った赤ワイン。フレッシュな甘酸っぱさが残るトマト煮込みに、サンジョヴェーゼのような甘みのあるタイプよりも、ドライでスパイス感があり、タンニンもシルキーなこちらが幸光さんのおすすめ。収穫から5年が経ち、こなれたエレガントな味わいがケフタタジンを大人っぽい味に仕上げ、上品で円熟味のあるマリアージュになっていた。

幸光さんの「私が恋した自然派ワイン」

左からラディコンのフオーリ・ダル・テンポ2001、オスラーヴィエ2000(いずれもグラス3,000円〜。イベント時のみ提供)

幸光さんの恋した自然派ワインは、初めて飲んで衝撃を受けたオレンジワイン。

「十数年前に初めてオレンジワインを知るきっかけになったのがラディコンです。ラディコンの本拠地であるイタリアのフリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州はオレンジワインを復活させた産地で、ラディコンは代表的な生産者の一人です。初めて飲んでみて、白ワインとも違う複雑さやスパイシーさがあって、あまりにおいしくてびっくりしました。以来、同じ地域のオレンジワインを飲むきっかけになり、数年後にはワインの原点であるジョージアのアンバーワインにも出会い、それも大好きになりました。

このワインを造ったスタニスラオ・ラディコンは亡くなり、この750mlボトルはもう入手できない貴重なものとなりました。イベント時などに常連さんと開けて、大切に飲みたいと思います」

スパイス料理に合う自然派ワインをラインアップ


HANではスパイス料理に合う自然派ワインをラインアップ。オレンジワインや白ワインが多めに用意されている。ジョージアやフランス、イタリアのワインが多いが、白ワインはドイツやオーストリアのきれいなタイプも多い。ワインは寝かせて飲み頃になったものを出すことも多く、こなれた味わいがまた料理を引き立てる。ボトルは300種類(5,000〜9,000円)、グラスは7種類(1,000〜1,600円)用意されている。

旅先に来たような非日常の刺激とくつろぎ

ゆったりと大人数で席をシェアする大きなテーブル席もある
ワインは大切に寝かせた飲み頃をピックアップして提供
外観

学芸大学のにぎやかな商店街を抜けた喧騒の先には、まるで異国の地を訪れたような好奇心を刺激される料理があり、それが非日常のくつろぎをもたらしてくれる。料理は初めて食べるものが多いが、どれも素朴さがあって懐かしいおいしさ。自然派ワインとの組み合わせがいっそうエキゾチックさを増す。旅に出るのは難しいけれど、日常にちょっと風を入れたい。そんな時には、HANの扉を開けてみよう。

※価格は税込

取材・文:岡本のぞみ(verb)
撮影:山田大輔