〈秘密の自腹寿司〉

高級寿司の価格は3~5万円が当たり前になり、以前にも増してハードルの高いものに。一方で、最近は高級店のカジュアルラインの立ち食い寿司が人気だったり、昔からの町寿司が見直され始めたりしている。本企画では、食通が行きつけにしている町寿司や普段使いしている立ち食い寿司など、カジュアルな寿司店を紹介してもらう。

教えてくれる人

山本 憲資

Sumally Founder&CEO。1981年生まれ。大学卒業後、広告代理店を経て雑誌『GQ JAPAN』の編集者に。テック系からライフスタイル、ファッションまで幅広いジャンルの企画を担当。コンデナストを退職後、自ら起業、現在に至る。スマホ収納サービス『サマリーポケット』が好評。食だけでなく、アートやクラシック音楽への造詣も深い。

神楽坂を上った先の路地裏に

かつては門前町として栄えた神楽坂。坂道の路地には石畳の小道が点在し、日暮れにはお座敷へと向かう芸者たちの姿を見かけることも珍しくない、和の情緒が溢れる大人の街といった印象が強い。

今回紹介する「神楽坂 鮨 りん」は、そんな神楽坂らしい立地にある寿司店だ。場所は、神楽坂を上った先の静かな路地裏。ビルの2階に小さく看板を掲げる佇まいは、まさに“隠れ家”と呼ぶに相応しい。エレベーターの扉が開くと木の格子扉が現れ、和の上品な趣溢れるアプローチにさっそく気分が高まる。

ビルの2階に潜む、隠れ家的な佇まいが通好み

店内に一歩足を踏み入れると、そこに広がるのは京都の数寄屋造りをイメージした和の空間。温かな風合いの塗り壁や檜の一枚板のカウンターなど、席間隔がゆったりと設けられた落ち着きのある空間にほっと心が和む。2名から6名まで利用できる個室もあり、デートに接待にと使えるのもうれしいポイントだ。

数寄屋造りの空間に映える6mの白木のL字カウンターが、凛としたムードを作り出している
 

山本さん

こちらは、神楽坂でランチに寿司を食べたいなと思ったときに調べて見つけて伺いました。 少し奥まった神楽坂の路地裏のロケーション、白木のカウンターの雰囲気、愛想のいい接客も魅力だと思います。

店主の矢作直徳さんは、埼玉県の寿司店を営む実家に生まれ、物心つく前から寿司職人になることを意識していたという。しかし「親子という意識や甘えのない環境で挑戦したい」と、実家の店は継がずに都内で修業。築地や銀座の有名寿司店でそれぞれ10年研鑽を重ね、2013年に独立した。

矢作さんの寿司は、伝統的な江戸前寿司を踏襲した握りの“美しさ”が際立つ。「寿司屋として一番大事にしていることは、綺麗に握ること。味ももちろん大事ですが、目でも喜んでいただけるように、所作、仕込みなど全てそれを意識しています」と話す。

「神楽坂は落ち着いた客層で、酒が好きな人が多いですね」と矢作さん。そんなエリアの特性を汲んで、バラエティに富んだつまみを楽しめるのもこの店の魅力だ。営業中はフレンドリーな接客で、一見客でも肩肘張らずに和やかに食事を楽しんでもらえる店作りを心がけている。

料理人歴31年を迎えた大将の矢作さん。経験に裏打ちされた本格的な握りと心地よい接客が評判だ

握りの“美しさ”は見た目だけにあらず。ネタは20年来の付き合いとなる、魚種ごとに専門の目利きを置く豊洲の老舗仲卸「山八」から仕入れ。時期や魚の種類によっては、地方の漁港産直のものも扱う。酢締めや旨みの濃いネタには赤酢、白身や貝類には白酢と、2種類のシャリを使い分け、ネタとの調和に重きを置く。芯を残したシャリの解け具合も見事で、1貫ごとに感嘆の声が漏れる美味を堪能できる。

その極上の握りを、ランチでは5,000円という破格で味わえるというから驚きだ。

「昼のコースも夜と同じネタを使って、1貫ずつ目の前で握って提供しています。オープン当初は夜の集客目的に始めましたが、近所に病院や出版社などが多い場所柄もあって、今では接待ランチの需要も高いですね」(矢作さん)

山本さんも太鼓判を押す、5,000円ランチコースの全貌

山本さんも歓喜した5,000円のランチコースは、先付、握り10 貫、巻物、お椀といった内容。赤身の漬けは、水分が抜けないように握る直前に出汁醤油に5分ほど漬け、小肌は立て塩に1日寝かせ、生酢にさっとくぐらせることで締まりすぎずフレッシュにいただける。握り手の腕とセンスが表れる2つのネタをはじめ、中トロやいくらといった高級ネタまで味わえてこの価格は、まさに“お値打ち”の一言。その他8,000円のコースもあり、こちらはつまみ2種と茶碗蒸しが加わる。

5,000円のランチコース(通常は1貫ずつの提供)。内容は季節や仕入れによって変わるが、この日は和歌山産本マグロの中トロ、赤身、アオリイカ、マコガレイ、真鯵、新子、煮ホタテ、生いくら、煮穴子、かんぴょう巻きが登場。これに和三盆を使った玉子焼きとお椀が付く
夜と同じく、1貫ずつ食べ手のテンポに合わせて握ってくれるおもてなしも、特別感とともに優雅な気分に浸らせてくれる。
 

山本さん

東京の寿司の値段が上がっている中、ランチとはいえ5,000円でこのクオリティの握りが食べられるのはうれしいです。

中でもイチオシはこれから旬を迎える「生いくら」

そんなランチコースから、山本さんも太鼓判を押すのが「生いくら」。8月から11月頃までしか味わえない旬のネタであり、毎年心待ちにしている常連客も多い同店の名物。プチプチと弾ける食感と卵黄のような濃厚な旨みは、この時期だけ体験できる別格の味わいだ。

「皮がやわらかく濃厚な味わいの生いくらは、柚子を利かせた出汁醤油でほんのり香りづけしています。いくらそのものの味を楽しんでいただきたいので、軍艦ではなくシャリのみでシンプルに味わっていただきます」(矢作さん)

小さな器で提供される「生いくら」。柚子の爽やかで上品な余韻も技ありな逸品だ
 

山本さん

中でもこの生いくらが印象に残っています。口の中でうまみがはじけました。