〈秘密の自腹寿司〉

高級寿司の価格は3~5万円が当たり前になり、以前にも増してハードルの高いものに。一方で、最近は高級店のカジュアルラインの立ち食い寿司が人気だったり、昔からの町寿司が見直され始めたりしている。本企画では、食通が行きつけにしている町寿司や普段使いしている立ち食い寿司など、カジュアルな寿司店を紹介してもらう。

教えてくれる人

武智 新平

1970年生まれ。食雑誌をメインにフリーの編集&ライターとして活動中。食事では寿司、そば、カレー、洋食全般など、お酒は特に日本酒が好きで、仕事でもそれらを担当することが多い。一見でも心地よく、かつリーズナブルに楽しめる店を中心に紹介していきたい。

老舗から漂う、心地よい雰囲気

江戸の中心地であり、商人・町人文化で栄えた日本橋。当時から続く伝統工芸の店や、また魚河岸があったこともあり老舗の飲食店も数多い。日本橋から水天宮方面に足を延ばした先にある「都寿司」も、そんな老舗の一つだ。暖簾には2代目が考案したと言われる「みやこ」の字が施された鳥たちが描かれている。都道50号線に面した場所にあるが、その暖簾を潜ると、表の喧騒を忘れさせる凛としつつも、昔ながらの心地よい雰囲気が漂う。

締める、煮るなど仕事がなされた旬のネタが綺麗に並ぶケースが置かれたカウンター。それらを眺めながら「次はこれを握ってください」と声をかけての注文が可能な6席はやはり特等席。テーブルは12席
店内にはバランで作った切り絵がいくつも飾られている。現店主、5代目の山縣秀彰さんが、小さな包丁を手に、包丁使いの練習も兼ねて作ったものだ。風景、歌舞伎、漫画のキャラまで、そのモチーフは幅広い。実に細やかに細工がなされており、このバランを眺めているだけでも楽しい時間が過ぎていく
 

武智さん

今でこそビルになっていますが、丁寧に使い込まれた白木のカウンターやテーブルなど、店内の調度品からは歴史と老舗町寿司の雰囲気が漂います。それが老舗にありがちな緊張感を解いてくれ、心地よい寿司時間を楽しませてくれます。ご主人の握りはもちろんですが、さまざまなお客さんが足を運ぶことで築き上げられた、そんな老舗の奥深さも味わってみてください。

ご主人の山縣秀彰(やまがた・ひであき)さんは37歳。18歳の時、山形から上京。以来、20年近く同店で江戸前寿司に携わり、2年前、4代目の急逝を受けて5代目に。「このお店に食べに来てその握りに感動して、ぜひここで……と言うわけではないんです。寿司職人にはなりたかったんです。偶然、ここが募集をしていたので応募したら内定をもらって。そういう経緯なんです(笑)」

山縣秀彰さん(37歳)。山形県出身。高校を卒業すると同時に「都寿司」で寿司職人への道をスタート。36歳の時に5代目として、この店を任されることに。

しかしながら、締める、煮る、焼く、おぼろを作る……寿司の中でも特に伝統的な江戸前には仕事が多い。「もともと仕事が好きなので、それが大変だと思ったことはありません。例えば、締めた春子(かすごだい)におぼろを使うのは甘みを調整するため。シャリに赤酢を使うのは、江戸時代、訳ありの米を使っていたようなのですが、その“ワケ”をごまかすために赤酢で色付けしていた名残り。丼ものなんかに刻み海苔をはらりとのせるのは、それでご飯がまとまりやすくなるから……聞いた話が多く全てが正しいかわかりませんが、でも、仕事の一つひとつにちゃんと理由があるんです。それを知っての作業はむしろ楽しいんですよね」

 

武智さん

失礼な言い方になりますが、若いのに江戸前についての造詣が深いんです。なので、シャリのこと、ただ酢締めにするものと昆布締めにするものの違い……どんな質問をしてもきちんと答えてくれる、教えてくれるんです。握りのおいしさで食欲を、飾らない会話で知識欲を満たしてもらえるのは楽しいですよね。きちんと目配りができるカウンター席ならではの醍醐味かもしれません。

江戸時代に比べると、流通が格段に進化した現代。「当然、ネタは遥かにおいしくなっていると思います。伝統を守るとはいえ、当時と全く同じで良いとは思いません。締めるにしても繊細な調整が必要ですし、ヅケだって漬ける時間を変えなければいけません。そういう意味で今の時代の江戸前寿司の探求もしているので、創作寿司には興味がないんです」。こだわりは強くあるが、終始にこやかに話す山縣さん。この笑顔もお店の気持ちよさを支えている。

昼も夜も安定したコスパを実現

真っ当な江戸前寿司の老舗。しかも場所は日本橋にほど近い水天宮。そして丁寧に江戸前の仕事がなされた端正な握りの数々。気になるのはその価格だ。

「ネタはできるだけ多めに安く仕入れて、店をなるべく回転させることと技で楽しんでもらうことでロスを出さないようにしています」という握りは1貫400円代〜。セットになれば握りと巻物のセットで1,430円〜と、財布にかなりやさしいコスパを実現させている。また昼夜の通し営業で、セットは昼夜で変更なし。夜も安く楽しめるのもうれしい限り。

「握るものしか並べない」。小肌、酢締めの春子、キンメ、煮ハマをはじめとした貝類、エビは車エビと昆布締めのシマエビの2種、イカも生(真イカ)と煮たもの(スルメ)と2種揃え、綺麗に並ぶ

武智さんイチオシのメニューはこちら!

ランチ限定! 「にもの丼」

「もう30年くらい前のこと。O157がニュースになった時、それに引きずられる形で生ものである寿司も敬遠されたんです。ロスを少しでも減らしたいと、その時に考案されたのが、このにもの丼。煮ホタテ、アナゴ、タコ、エビ、そしてかんぴょうと全て加熱されたネタをのせたんです。でもメニューに載せた当初は1日に2〜3杯と本当に出なくて。5杯も出た日は『今日は5杯だよ』ってみんなで驚いていたって聞いてます(笑)」。時代は流れ、今はこのにもの丼を目当てに、ランチ時に並ぶ人も多い。

にもの丼(お椀付き)1,210円

写真手前が煮ホタテで、真ん中に高く盛り付けられているのが穴子。穴子の下にエビとタコ、さらに刻まれたかんぴょうも。上品に食べてみたいのだが、そのおいしさからついついかき込んでしまう、ランチ限定の一品だ。

 

武智さん

程よい歯応えを感じられるほどに煮た穴子やホタテ、タコ、さらに弾力のあるエビたちが、酢飯が見えなくなるほどにたっぷりとのっています。まずは何から食べるか迷い、それから狙いを定めて箸でつまみ、勢いよく頬張ります。すると穴子の煮汁を使い甘さを抑えたタレの味わい。そしてネタの旨みや甘み、最後にシャリの酸味が口の中に広がって……。それらが絡み合った時の味わいは、みなさんが想像する倍以上のおいしさであることを保証します。

丁寧な仕事に目を見張る! 引き継がれている伝統の技

「仕事が楽しい。1日に16時間働くことになっても、やっぱり楽しいんです」。この大将の言葉の先にあるのは客の笑顔だ。

そのために毎朝豊洲に行き目利し、安くていいものを揃える。シャリだってササニシキとあきたこまちをブレンドし、天気ばかりか、その日のネタの様子でも水分量を微妙に変えて炊き上げる。酢は赤酢のみ。それらを軽快に握る。

江戸時代に比べ、現代のお米の持つデンプン質の量はグッとアップ。決して握りすぎることなく、短時間、少ない手数で軽やかに握る。シャリの量はお客さんの様子で多少増減させることもあるそうだが、基本、やや小ぶりだ。米の旨みと赤酢のキリッとした酢加減が絶妙のバランスで、酢飯だけでも十分に旨い

端正がゆえに色気を感じさせる握りを口に運び、咀嚼するとほろりほぐれるシャリ。香る酢の口当たりのよさ。そこにネタの旨みと香り、わさびの鮮烈さが重なり、さらに米の味わいが全体を包み込んでいく。シンプルながら多層的な味わい。笑顔にならずにはいられない。

仕入れたネタの脂の量、旨みの強さから、シャリとのベストバランスを考えた厚みに切りつける。穴子の煮汁を使うツメは2〜3週間に1度作るそうで、素材の旨みを上品かつ力強く引き立てる。煮ハマやイカの印籠詰めにも欠かせない自慢の味
 

武智さん

「昔はそこまで気にしていなかったんですが、別の老舗の方に『握る姿も寿司をおいしく食べてもらうための心意気の表れ』と言われ、それから気にするように」と話す山懸さんは、背筋をスッと伸ばし小気味よく握る。ネタを切る。ツメを塗る。若いながら、もう名人を思わせる大将の所作でありました。

その日の選りすぐりのネタを使った山縣さんの江戸前寿司は食欲を誘う色気に溢れる。にぎりのメニューの一つ「おまかせにぎり」は4,950円(お椀付き)で、仕入れや季節などによって内容は変わるが、締める、漬ける、煮るといった江戸前の仕事によって引き出されるネタごとの旨み、香りを存分に楽しめる内容になっている。その価格から夜のメニューと思われがちだが、ランチでも楽しめるのがうれしい。ちょっと贅沢をしたい日におすすめだ。

おまかせにぎり(お椀付き)4,950円
小肌、鰆、春子、サヨリといった春の定番から、穴子、玉子、煮イカ、ヅケ、さらには鮑の肝ソース、中トロ、車エビまでのった贅沢な一皿だ。蝶のバランももちろん山縣さんの作
 

武智さん

美しすぎるのは罪です。何から食べるか迷わずにはいられません。が、最後に甘めのものにしたいなと、サヨリ、小肌からパクリ。繊細な旨みを引き出す酢加減が絶妙で、はぁとため息が溢れます。この価格で鮑が入るのもすごければ、マグロは湯霜にしてからヅケにした赤身&中トロ、玉子は芝エビと白身のすり身も加えたもので、ほの甘くふわり柔らかでコクある味わいと、手間暇かけた味を存分に楽しめます。