全13貫とおつまみで13,000円~の江戸前寿司コース

江戸前の定義と言えば、もともとは、江戸の前の海でとれたものを握る寿司ということだったが、今は一般的に、ねたに仕事を施した寿司のことを指す。づけ、こはだ、煮穴子、煮蛤、小鯛、などなど。

まず最初に供されたのが、蒸し鮑と締めた小鯛に白板昆布を巻いたつまみだ。3時間かけて蒸した鮑のやわらかいこと。噛みしめるほどに口中に旨みがあふれる。小鯛は、春の時期は春子とかいて「かすご」と読ませるが、今の時期は小鯛。そのあたりのこだわりも粋である。ほのかな酢味と昆布の旨みで酒が進む。

さて、握りは、まずは青森・小泊で揚がったまぐろのづけ。10~15分浸けるとのことだが、醤油となじむと、まぐろがまた別物になる。日持ちがするようにという先人の知恵が、欠かせない名品として結実した。

ところでしゃりは赤酢だが、今流行りの、すし飯が茶色いというほどではない、やわらかな赤酢の利かせ方が金多楼のしゃり。「これくらいがね、寿司ねたすべてを受け止めてくれるんですよ。キツすぎるのは、まぐろにはよくても白身には厳しい」と大将。

次のこはだは、唐津産。しっかり脂がのったものを、15~20分、ギリギリの加減で酢で締める。季節や魚の大小、脂ののり具合を見極めて、微妙に時間を変える。長年の経験が支える職人技だ。食べてみると、これぞ江戸前の寿司、と、舌が喜ぶ。

金沢八景で揚がったという煮穴子は、口の中でふわりととろけて、実に旨い。上に塗っている煮詰めは、53年、毎日毎日、穴子の煮汁を足して、沸かし返した、まさに大将の人生そのものなのである。穴子を煮る時にも、この煮詰めを加える。半世紀の歴史が作り上げた味は、偉大である。なぜ、こんなにふんわりと煮えるのかと聞いたところ、「大きな鍋でゆっくりと泳がすように煮るからなんですよ」との答えだ。

最後は車海老。昔は東京湾にもたくさん車海老がいたのだそう。だから、れっきとした江戸前のねたである。ゆで加減は比較的しっかりめ。それを開き、ミソを頭側と、尾側の両方にはさまみ、1貫をパツンと半分に切って出してくれる。どちらも海老味噌が楽しめるという、心憎い仕掛けだ。目に鮮やかな赤の美しさに、やっぱり寿司ねたに海老は欠かせないと、改めて思う次第だ。

こうした江戸前の仕事をした握りに季節の魚を加えて、コースは全13貫。その前に、おつまみとして、先のような料理と造りの盛り合わせが供される。それで締めて13,000円~とは、本当に頭が下がる。

すでに気づいている読者も多いかもしれないが、こちらは器にもなみなみならぬこだわりを持っていて、多くは唐津の作家物を使用している。つまみの器は、唐津の中川自然坊氏の作。握りをのせた黒の器は、同じく唐津の田中佐次郎氏作。器好きなら目を輝かすに違いない。若い人でも、ここで器好きになった人も多いようだ。酒杯もいいものをそろえているので、ぜひ、日本酒をたしなんでほしい。

ちょっとした祝い事に食べられるこの価格を守っていきたい

大将の野口四郎さん(右)と息子の剛さん(左)

ところで、どうして、こうした価格で営業できるのかを伺った。「まず、毎日河岸に足を運ぶこと。いろいろな情報も入ってきますし、ずっと通っている人のほうが、手ごろな価格で買えるんですよ。今は、仕入れは全部仲買いに任せちゃっているところも多いですから。そして、規模を広げずに家族経営でやってきたことですね。息子も握り始めて25年になりますが、私とかみさんを支えてくれています。今年で75になりますが、体が動く限りは握っていたいですし、一般の方が、ちょっとしたお祝い事に食べられるようなこの価格を守っていきたいと思っています」

※価格は税込。

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※外出される際は人混みの多い場所は避け、各自治体の情報をご参照の上、感染症対策を実施し十分にご留意ください。

撮影:大西尚明
文:小松宏子、食べログマガジン編集部